■マリコ先生の自己紹介
・東京都江東区で個別学習塾を27年経営
・不登校、支援級の生徒も合格に導く
・教育評論家ではなくガチで現場の人です
・平成の不登校と令和の不登校は違う
・ダメな子どもはいない。ただ、困っているだけ。
・中央大学法学部
・進路アドバイザー
・ナリ心理学®︎認定心理アドバイザーとして発信
LINEセッションマスター
「悪気はなかったのよ」
って言う人、いますよね。
もちろん、
本当に悪気はなかったのだと思います。
わざと傷つけようと思ったわけでもない。
嫌がらせをしようと思ったわけでもない。
だから、
「悪気はなかった」
それ自体は事実なのかもしれない。
でもね。
問題は、
その次。
相手が、
「私は傷ついたよ」
と言ったときに、
「でも、悪気はなかったんだから」
「そんなふうに受け取ると思わなかった」
「気にしすぎじゃない?」
となる。
すると、
いつの間にか話が変わってしまう。
傷つけた人の話だったはずなのに、
今度は、
傷ついた人の受け取り方が悪い
という話になってしまうのです。
「傷ついた」も最強なら、「悪気はなかった」も最強
ナリ心理学®︎のブログでは、
「私、傷つきました」
という言葉が、
ときに相手を強制的に加害者にしてしまうことがある、
というブログがあります。
なるほど。
確かに、
「私は傷ついた!」
と言われた瞬間、
何も言えなくなることがあります。
でも私は、
その逆もあると思ったのです。
「悪気はなかった」も、かなり強いぞ。
「悪気はなかった」
↓
だから私は悪くない。
↓
悪くない私を責めるあなたがおかしい。
↓
あなたが気にしすぎ。
ほら。
最後には、
傷ついた人が面倒くさい人になっている。
これも、
すごいすり替えです。
悪気がなかったことと、相手が傷ついたかどうかは別
ここを分けたい。
悪気はなかった。
でも、
相手は傷ついた。
この二つは、
同時にあっていいのです。
たとえば、
うっかり人の足を踏んだ。
わざとじゃない。
悪気もない。
でも、
相手は痛い。
そこで普通なら、
「わざとじゃないから、痛くないでしょ」
とは言わない。
「ごめん。痛かったよね」
って言う。
心だって同じです。
意図がなかったことと、起きたことは別。
ナリ心理学で「傷つく」を考えると
ナリ心理学®︎の記事では、
「傷つく」という反応には、
自分でも薄々分かっているけれど認めたくないことや、
自分の中で隠しているものを、
突然指摘されたときの反応が関係するのではないか、
と考察されています。
だから、
「私は傷ついた」
と言ったからといって、
100%相手が悪い、とは限らない。
自分の中の何が反応したのかを見ることも大切。
でも、
だからといって、
傷つけた側が何を言ってもいい、にはならない。
ここも混ぜない。
相手の言葉で私の何が反応したのか。
これは、
私が見ること。
でも、
相手がどんな言葉を使ったのか。
傷ついたと伝えたあと、どう対応したのか。
これは、相手の問題。
両方見る。
どちらか一方だけを悪者にしない。
「悪気はなかった」のあとに、本性が出るから!
私は、
悪気があったかどうかより、
そのあとのほうが大切だと思っています。
「悪気はなかった。
でも、あなたは嫌だったんだね。
それはごめんね」
と言える人。
一方で、
「悪気はなかったんだから、
そんなに怒るあなたがおかしい」
と言う人。
同じ、
「悪気はなかった」
でも、全然違います。
前者は、
自分の意図と相手の感情を分けられている。
後者は、
自分が悪い人になるのが怖くて、
相手の感情まで否定している。
「私は悪くない」
を守るために、
「あなたがおかしい」を作ってしまう。
許すかどうかを急がなくていい
だから、
「悪気はなかったって言ってるんだから、
許したほうがいいですか?」
と聞かれたら、
私は、急いで許さなくていいと思います。
「悪気はなかったんだから許してあげなよ💦」
って言うおばさんや同僚がいるけど無視して下さい。
すぐに
「あ、大丈夫、大丈夫💦」とか
嫌なのに焦って「いいよいいよ。許すよ」と言わないこと。
悪気があったかどうかは、相手側の事情。
嫌だったかどうかは、自分側の感覚。
だから、
悪気があろうがなかろうが、嫌なことをされたら嫌でいい。
まず、
自分に聞いてみる。
何が嫌だった?
何を言われて悲しかった?
本当は、どうしてほしかった?
謝ってほしかった?
分かってほしかった?
もう二度と言ってほしくない?
そこを自分で分かってあげる。
(自分を大事にするってこういうこと)
そのうえで、
相手に、
「悪気がなかったことは分かった。
でも、私はあの言葉が嫌だった」
と言えばいいのです。
これで十分です。
「悪気がない」は謝罪ではない。「悪気はなかった」は、ただの説明です。
「私はそういうつもりではありませんでした」
という説明。
謝罪ではありません。
相手への理解でもありません。
ただの説明です。
だから、
「悪気はなかった」
のあとに、
何を言うのか。そこを見るのです。
「でも、傷つけたんだね。ごめんね」
なのか。
「だから私は悪くない」
なのか。
ここには、
ものすごく大きな違いがあります。
悪気がなかったことは、
傷つけた事実を消さない。
そして、
傷ついたことも、
相手を100%悪者にする材料にしない。
私は私を見る。
相手は相手を見る。
そこを分ける。
謝るところは謝る。
許すのなら許す。
許せないなら時間をかけて交渉する。
それが、
大人の人間関係なのだと思います。
AIで作ってもらった画像
ではまたね。
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