””元貴乃花親方と、「永田町の怪僧」池口恵観繋がりから日本の病巣がわかる””◆祈雨の修法 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

空海が大陸から密教の呪詛のノウハウを持ち込んで以降、日本では火を使って

 

護摩を炊いて政敵や恋敵などを呪い殺す

 

というようなことがなされていました。源氏物語の中にも、何かあるとすぐ僧侶に護摩を焚いてもらうシーンが登場しますよね。まさか、現代でそんなことしているわけないだろ、と思いますか? 私には、火を使った呪詛にしか見えませんけどね。このような北朝鮮ラブで「金日成菩薩観音」なる像を作らせて北朝鮮に寄贈した人物でテロ組織の一味であった人物が、まさか

 

日本が良くなるように祈祷していると思いますか? 

 

しかも、この人物は日本の重要な霊場の一つである高野山のトップも兼任しています。

 

*リブログ本文↴

 

◆祈雨の修法

 

鎌倉時代、文永五年(1268年)、高麗国王の使者がモンゴル・フビライの国書をもたらしました。

蒙古からの国書到来で巷間では蒙古襲来の危機感をもったのです。

日蓮予言の『立正安国論(他国侵逼難)』の兆しが現れたと騒がれた。

 

 

 

 

文永八年(1271年)、天変地妖が続き、鎌倉幕府は人心の安寧を願い、真言律宗の良観房忍性に「祈雨の修法(加持祈禱)」を申し付けた。

だが、忍性の真言密教による雨乞いの祈祷は無慈悲にも雨は全く降りませんでした。

 

今度は、日蓮聖人の祈祷が始まると、たちまち黒い雲が湧き起こり雨が降り出したのです。

これが讒訴(ざんそ)の原因か、文永八年(1271年)九月十二日、平頼網によって捕縛され、龍ノ口の刑場で斬首されそうになったのです。

 

 

霊光寺と、「日蓮の雨乞い伝説」で知られる田辺が池

霊光寺 祈雨の霊場 修復された田辺の池

 

江戸時代の講中が創建した埋没していた石碑 霊光寺

 

 

日蓮と忍性の修法に違いはあるのか・・・

 

日蓮の修法の本質は密教的であり、忍性の修法とは同根であると思える。

 

畢竟、「祈雨修法」の優劣は問はず、人の本質にあるのでしょうか、霊的能力の有無にあらざるのか?

 

藤沢市江の島大師・池口恵観法主が行う修法(加持祈祷)の効き目は寡聞にして聞えない。シャーマン(霊的能力)の素質が無いと視える。

寺門に立てば、あらかた気づくものですw