■眼だけはごまかせない 人殺しの眼「アラン・ドロン」 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

 ■リアルタイムに『シンクロニシティ』する『人殺しの眼』◆二つの現象と憑依臭


テーマ:

映画『黒いチューリップ』
主演アラン・ドロン 監督クリスチャン=ジャック

 

・・アランドロンの画像を載せた意味を今、「謎解き」いたします。(笑)

 

 

眼だけはごまかせない

人の心はどこに現れるか?
それは何といっても「顔」である。
ところが、「顔」は心の住み家ではない。笑いながら心で泣いたり、泣きながら心で笑ったりと、「顔」はときとして心を覆い隠す。

心の本当の居場所、それは「眼」である。眼だけは、絶対にごまかしが効かない。
眼は人間性そのもの。我々は、目が見えない人とも、その透明な目に光を感じながら話をしている。

人を見る目を養いたければ、相手から目を逸らさないこと。相手の目を見るのではなく、目の中の相手を見るのだ。

『妙法尼御前御返事』
引用:超訳日蓮のことば 松岡幹夫著

 

 

 

三証

日蓮仏教は、理証・文証・現証が揃った三証具足の法門である。理証とは道理・理屈に合うこと、文証とは経典や先哲の論書などに裏付けとなる所説があること、現証とは現実の世界が教えの通りであることである。

「日蓮仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理・証文よりも現証にはすぎず」『三三蔵祈雨事』であるから、とりわけ現証が大切である。理屈が合っていても、経典に説かれていても、それが現実と相違するのであれば、本物の宗教ではない、とする立場である。現代人にとっては当たり前のことであるが、大抵の宗教は、この姿勢を持っていない。


引用:日蓮宗霊断師会 

 

 

若き日のアラン・ドロンはインドシナ戦争にフランス軍として従軍した。
敗戦とともに帰国した彼は俳優として頭角を現す。


スターとして人気絶頂の頃、スキャンダルでギャングから脅迫されたが、その男は不審な死を遂げた。真相は隠されて、犯人は不明とされた。

 

記者からの質問に・・
疑われたアラン・ドロンは不敵な笑みを浮かべて綺麗な眼を向けたそうです。

 

現証は、「人殺しの眼」に顕れています。

彼の通った後には、「憑依臭(地獄臭)」も漂うでしょう。

 

気づくのは、縄文血統だけに存在する霊的能力の一端です。