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みんなの事は知らないが、俺はこう思う。

時事問題から身近些事迄、出来るだけ自分の視点や立場から熟考して書いています。時々空気を読まずに暴走したり、独善的に決め付ける事も度々あり。常識や良識からの逸脱必至。真面な方なら顰蹙間違い無し。それでも読みたい方は大歓迎です。尚、書評、音楽評も行って居ます。

高校時代はソフトテニスのペアでも活躍

6/29(土) 17:00配信 毎度なニュース


ソフトテニスで双子のペアとして全国大会などで活躍した京都府舞鶴市の姉妹が今年、同じ日に赤ちゃんを産んで話題となっている。予定日とは2週間ほどの差があったというが、なぜか同じタイミングで陣痛が訪れ、出産した。姉妹は「毎日一緒に過ごしていたせいなのかな」と不思議がっている。


姉の浜田奈々美さん(25)と、妹の畑本美奈恵さん(25)。福知山成美高時代は共にソフトテニス部で活躍し、団体で全国3位になった実績を持つ。韓国の大会にも出場し、注目の双子ペアとして現地の新聞に掲載されたこともある。


 高校卒業後は生まれ育った舞鶴市で別々の仕事に就いたが、「2人でまた何かに挑戦したい」と一念発起。ともに170センチ近い身長を生かし、一緒に大阪でモデル活動を試みたこともある。


 新型コロナウイルス禍で大阪に通えなくなり、再び舞鶴市の飲食店で2人そろって働き始めたが、2022年5月に美奈恵さんが結婚し、第一子も授かった。奈々美さんも23年7月に結婚した。


 その後、美奈恵さんは2人目を妊娠し、出産予定日は今年2月4日だった。奈々美さんも同時期に第一子を授かり、今年1月18日が予定日だった。


 妊娠期間中は実家で毎日一緒に過ごしていたが、1月20日昼ごろ、奈々美さんに陣痛が始まり、先に病院に駆け込んだ。すると、1時間ほど後に美奈恵さんにも陣痛がおとずれ、同じ病院に行くことに。無事、奈々美さんは女の子を、その約1時間後に美奈恵さんが男の子を出産した。


 姉妹によると、幼い頃から同じタイミングで発熱したり、ソフトテニスをしていても同時に足をつったりしていた、という。今も近くに住んでいる2人。夫同士も高校の野球部の同級生で仲が良いという。美奈恵さんは「今も一緒にいるのでストレスなく楽しんで子育てできています」、奈々美さんも「双子を育てているようで楽しいです」と話している。


(まいどなニュース/京都新聞)

まいどなニュース

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「偶然の重なり」に吃驚した。

『なるべく人の世話役を心がけよ。

 

そして、報を望むな。

 

求むるな。』

 

 

 

世話役を何度もやったことがある人と、まったくやったことのない人とでは人生経験や人格形成に大きな差が出る。

 

人格的に、練れているか、人を包み込む魅力があるかどうか。

 

明るくて、前向きで、気遣いがあるかどうか。

 

企画力や発想力、継続力や忍耐力、まとめ力があるかどうか。

 

そして、ただひたすら、人を喜ばせる気持ちがあるかどうか。


デイリー新潮  6/30(日) 11:06配信


女子バレーボール日本代表が、ネーションズリーグ福岡大会で韓国を3―0のストレートで破るなどして、パリ五輪出場を決めた。


とかく熱く語られがちな日韓戦だが、肩透かしの弱さ。ちなみに韓国バレー代表は男女ともパリ出場権を獲得できなかった。

ハンドボール以外の球技は全滅


 実は、かの国のスポーツは凋落の一途をたどっている。


 夏季五輪の獲得メダル数をわが国と比べると、韓国史上最多33個を記録した1988年ソウル大会から2008年北京大会までは韓国の5勝1敗だったが、12年ロンドン大会以降は日本が3連勝。先の東京五輪では37年ぶりの低水準である20個にまで落ち込んだ。


「特に球技の衰退は顕著で、パリ出場は、伝統的に人気がある女子ハンドボール以外は全滅してしまいました」


 と、韓国紙記者が嘆く。


 世界最長の9大会連続出場中だった男子サッカーも、今春のU-23アジア選手権でインドネシアに敗れ、パリ切符を逃している。


 日本のさる競技団体幹部もため息交じりに漏らす。


「野球のWBCも韓国は弱かった。日韓戦はどの競技であれ注目されるし、わが国の強化の面でも隣国に難敵がいるのはプラス。韓国にはもっと頑張ってほしい」

スポーツは「貧乏人の食い扶持」扱い


 人口が日本の5分の2だということを考慮すれば、今なお善戦しているとはいえ、なぜこんなに弱くなってしまったのか。先の記者は、


「意識が日本と違うんです。韓国でスポーツは“貧乏人の食い扶持”か“金持ちの娯楽”。でもそれも……」


 国が豊かになりハングリー精神が消えた。かつて日本より多くいたボクシング世界王者も、今はゼロだ。


「それに、普通の若者は受験勉強で忙しくて、放課後に部活なんてやりません」


 わが国に4000近くある高校野球部は、韓国全土でわずか100に満たない。


「ただ逆に運動部の連中は、ガチンコで練習漬け。昔は、授業そっちのけで朝から晩まで練習していました。でもそんなエリート一辺倒では、落伍者は路頭に迷うし問題だということで、今は“ゆとり教育”に変貌。結果、弱体化してしまった」


 韓国政府はパリ五輪出場候補選手たちに海兵隊訓練を受けさせた。これも“時代遅れ”と批判されたが、


「昔は、五輪代表合宿の方が海兵隊訓練より辛かった」


 スポーツとは何ぞや――と考えずにはいられない。


「週刊新潮」2024年6月27日号 掲載

キャリアのほとんどは偶然によって引き起こされ、その偶然に対してポジティブなスタンスでいると、キャリアの成功を得やすいというものだ。

 

野球のイチロー選手や、大谷翔平選手のように、子どもの頃からの夢や目標を実現したという例もあるが、これはほぼありえない確率で起きた奇跡的な事例。

 

ほとんど大多数の人は、予期せぬ偶然に翻弄されながら、自分のキャリアを積み重ねていく。

 

 

そして、その中でも、成功した人たちは一様に、肩の力が抜けている。

 

「こうでなければ嫌だ」、とか「ここは絶対に曲げない」というようなこだわりがない。

 

 

クランボルツ教授は、よき偶然が起こるためには5つの考え方が大事だという。

 

それが、「好奇心」「持続性」「楽観性」「柔軟性」「冒険心」の5つ。

 

まさに、肩の力が抜けている人の資質と同じだ。

 

 

「その入社は偶然だった」

 

肩の力を抜き…

 

偶然を大切にする人でありたい。

 


6/29(土) 21:32配信  東スポWEB


早稲田大学出身の著名人も愛した東京・早稲田の老舗ラーメン屋「メルシー」が、29日の営業をもって突如閉店した。


「ご挨拶する間もなく申し訳ございません。人手不足、後継者不足により継続が困難な状況になり、突然ですが本日をもちまして一旦店を閉めさせて頂く事になりました」。この日、店を訪れた常連客にはこんな手紙が配られた。


〝最後のラーメン〟を食べた地元民によれば「店員さんに聞いたら、店じまいは当面の間と言っていて、今のところ再開のメドは立ってないとのことでした」。


 メルシーの創業は1958年。早稲田かいわいの学生や地元民に長く愛される、街中華の名店だ。早大OBの有名人にもファンが多い。二代目店主は一昨年のインタビューで、タモリや堺雅人、吉田照美、橋下徹元大阪府知事の名を挙げている。吉永小百合がお忍びで通う店という噂も。


 大早稲田大学出身の著名人も愛した東京・早稲田の老舗ラーメン屋「メルシー」が、29日の営業をもって突如閉店した。


「ご挨拶する間もなく申し訳ございません。人手不足、後継者不足により継続が困難な状況になり、突然ですが本日をもちまして一旦店を閉めさせて頂く事になりました」。この日、店を訪れた常連客にはこんな手紙が配られた。


〝最後のラーメン〟を食べた地元民によれば「店員さんに聞いたら、店じまいは当面の間と言っていて、今のところ再開のメドは立ってないとのことでした」。


 メルシーの創業は1958年。早稲田かいわいの学生や地元民に長く愛される、街中華の名店だ。早大OBの有名人にもファンが多い。二代目店主は一昨年のインタビューで、タモリや堺雅人、吉田照美、橋下徹元大阪府知事の名を挙げている。吉永小百合がお忍びで通う店という噂も。


 大阪在住の50代男性は、早大に通っていたころ「やさ大(やさいそば 麺大盛り)ともや大(もやしそば 麺大盛り)のヘビロテだった」という。


「出張で上京する際は欠かさず通ってました。あの煮干臭い醤油スープの虜で、早稲田関係者以外の人を引き連れて案内することも多く、概ね好評。あの青春の味、今も愛する味が今日で最後になるのは、心にポッカリ穴が空くような心境です」


 一昨年時点で店主は「父は80(歳)過ぎまで店には出ていましたけど、私はあと5~6年てところかな」と語っていたが、閉店を知らせる手紙には「打開策を探すつもりではありますが、何分体力に不安を感じる年齢であるのも事実でございます」と記している。


 5月には、メルシー監修のカップ麺「もや大」がローソン限定で発売されたばかり。閉店の手紙では「何とかここまでやって来られましたのも、お客様に支えていただいたお陰であり、本当に心より感謝申しております。皆様の健康とご多幸をお祈り申し上げます。長い間ありがとうございました」と結んでいる。大阪在住の50代男性は、早大に通っていたころ「やさ大(やさいそば 麺大盛り)ともや大(もやしそば 麺大盛り)のヘビロテだった」という。


「出張で上京する際は欠かさず通ってました。あの煮干臭い醤油スープの虜で、早稲田関係者以外の人を引き連れて案内することも多く、概ね好評。あの青春の味、今も愛する味が今日で最後になるのは、心にポッカリ穴が空くような心境です」


 一早稲田大学出身の著名人も愛した東京・早稲田の老舗ラーメン屋「メルシー」が、29日の営業をもって突如閉店した。


「ご挨拶する間もなく申し訳ございません。人手不足、後継者不足により継続が困難な状況になり、突然ですが本日をもちまして一旦店を閉めさせて頂く事になりました」。この日、店を訪れた常連客にはこんな手紙が配られた。


〝最後のラーメン〟を食べた地元民によれば「店員さんに聞いたら、店じまいは当面の間と言っていて、今のところ再開のメドは立ってないとのことでした」。


 メルシーの創業は1958年。早稲田かいわいの学生や地元民に長く愛される、街中華の名店だ。早大OBの有名人にもファンが多い。二代目店主は一昨年のインタビューで、タモリや堺雅人、吉田照美、橋下徹元大阪府知事の名を挙げている。吉永小百合がお忍びで通う店という噂も。


 大阪在住の50代男性は、早大に通っていたころ「やさ大(やさいそば 麺大盛り)ともや大(もやしそば 麺大盛り)のヘビロテだった」という。


「出張で上京する際は欠かさず通ってました。あの煮干臭い醤油スープの虜で、早稲田関係者以外の人を引き連れて案内することも多く、概ね好評。あの青春の味、今も愛する味が今日で最後になるのは、心にポッカリ穴が空くような心境です」


 一昨年時点で店主は「父は80(歳)過ぎまで店には出ていましたけど、私はあと5~6年てところかな」と語っていたが、閉店を知らせる手紙には「打開策を探すつもりではありますが、何分体力に不安を感じる年齢であるのも事実でございます」と記している。


 5月には、メルシー監修のカップ麺「もや大」がローソン限定で発売されたばかり。閉店の手紙では「何とかここまでやって来られましたのも、お客様に支えていただいたお陰であり、本当に心より感謝申しております。皆様の健康とご多幸をお祈り申し上げます。長い間ありがとうございました」と結んでいる。

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早稲田大学に近く、著名人、有名人の来客多数でも閉店せざるを得ないのは後継者不足とコロナ禍の様な不測の事態への対処が最早不可能な点か。国も自ら醵金して落手した様なユネスコ無形文化遺産から脱退する事で無駄な国連への拠出金を完全離脱で削除して、此の様な「残すべき味」「国内の味覚遺産」を守る事に舵を切るべきだろう。店主の突然の病気が閉店理由だとすると惜しんであまりにある。「二郎系ラーメン」の先駆者であり、ヒントを与えた存在だとすると、「慟哭の閉店」となるに違いない。

「メルシー」の意味がわからない奴は食べなくても宜しい‼️‼️


6/29(土) 11:50 Yahoo!ニュース 

NBS長野放送

見つけた現金で菓子やジュース購入…習慣化 広域連合が処分や指導 


長野県箕輪町にあるごみ処理施設の職員たちがごみの中から出て来た現金を警察に届け出ず、飲食に使っていた問題で、上伊那広域連合は28日、職員1人を懲戒処分にしたと発表しました。


問題が発覚したのは箕輪町にある「クリーンセンター八乙女」で、2023年7月、搬入された粗大ごみの中から見つかった現金9万円を遺失物として届け出ず、そのうちの5万円余りを、職員10人程度で焼き肉店での暑気払いに使っていました。長年、見つかった現金をプールし、ジュースやアイスクリームの購入に充てていたということです。告発の手紙で発覚し、センターは後日、9万円を警察に届け出た他、再発防止策として適正に扱うマニュアルを作成しました


運営する上伊那広域連合は28日、飲食には参加しなかったものの、使用を黙認してきたなどとして、47歳の係長を戒告の懲戒処分にしました。他の職員2人についても訓告や口頭注意で指導しました。

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係長だけが訓戒の懲戒処分。甘過ぎる。飲食に参加した職員全員を懲戒処分に付すべきだろう。早朝にだけ仕事をして、ゆったりと入浴して他人様が汗水垂らして働いて居る時間に帰宅。何とも御気楽な生業が惹起した不祥事。瞬間的な人手不足は全員自らの時間を削いで穴埋めをすべきだろう。怒りを最早抑制出来ない不祥事だ。私としては怒りで身体が火照り、絶対に看過不可能だ。

@ニフティニュース


2024年06月29日 20時50分時事通信



在日コリアン社会をリアルに描いた「血と骨」などで知られる作家の梁石日(ヤン・ソギル、本名正雄=ジョンウ)さんが29日午前、老衰のため東京都内の病院で死去した。87歳だった。大阪市出身。葬儀は親族で営む。後日、お別れの会を開く予定。

 在日コリアン2世として生まれ、経営する印刷会社の倒産後に上京。タクシー運転手の経験を元に書いた「狂躁(きょうそう)曲」でデビュー。同作は崔洋一監督により「月はどっちに出ている」として映画化され、大ヒットした。

 在日コリアンの鉄くず窃盗団を描いた94年の「夜を賭けて」は直木賞候補に。実父をモデルに凶暴な男の栄光と転落を生々しく描いた98年の「血と骨」は山本周五郎賞を受賞し、崔監督、ビートたけしさん主演で映画化もされた。他の作品に「Z(ゼット)」「闇の子供たち」など。 【時事通信社】


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直木賞候補か………

映画、山本周五郎の「血と骨」、ビートたけしさん主演だったら観るべきだった。

一度は読んでおくべき作家だった。

具体的には、聞き上手で、人の話を最後までさえぎらずに、よく聞きます。 

 

自分の意に反したことを相手が口にしても、いちいち反論しません。 

 

人に何かしてもらったときは、必ず、「ありがとう」とお礼を言います。 

 

身勝手な振る舞いをつつしみ、相手の好みを優先させます。 

 

一度、口にしたことは、どんなに些細なことであっても、絶対に守ります。

 

人が困ったときや大変なときは、親身になって応援・協力します。 

 

 

こんなふうにされたら周りの人はみんな嬉しくなります。

 

その人のそばにずっといたくなり、いつも助けてもらっているから、その人が困っているときは助けてあげようという気持ちになります。

 

そう、今度は“報復の感情”ではなく“返報の感情”が芽生えるのです。 」

此の感情で「オリンピック休戦」を。


「宇宙人と戦う前に考えてほしいことがある」と歴史学者

2024/06/09     47NEWS


国際社会ではウクライナや中東での激しい戦争、米国内での世論分断…。日本国内を見てもインターネット上にあふれる他人への不寛容や誹謗中傷…。

対立と分断が深まり、先行きが見通せない時代。普通に暮らしたいだけの庶民が、穏やかに平和に共存するには、どんな社会や世界にしたらいいのだろうか?

 国際政治や社会学の専門家ではない日本史の学者に聞いてみると、実は多様性に満ち、案外自由だった江戸時代がヒントになるのではと話した。潜伏キリシタンなどの近世民衆史を専門とするこの学者が、現代人が戦うべき相手として挙げたものとは…。(共同通信=下江祐成)

▽「士農工商」の身分制度は否定されている。宗教の掛け持ちも当たり前だった

教科書で習った記憶では、江戸時代と言えば、身分制度が厳しく、キリシタン弾圧もあった暗いイメージがある。

 だが、長崎や熊本の潜伏キリシタン研究の第一人者である大橋幸泰・早稲田大教授は、「士農工商」という身分制度は近年の研究で否定されてきていると話す。

 多様な身分や宗教が混在していた江戸時代。一人の人間にはさまざまな身分があり、身分と身分の境界もあいまいで、実は多様性のある社会だったという。

 潜伏キリシタンも一神教信者と思われがちだが、実は寺や神社の活動にも参加していた。そもそも当時の人は、一つの宗教活動だけを行っていたのではない。仏教や神道、陰陽道や修験道など宗教も多様性に満ち、かつ多くの人が信仰の掛け持ちをしていたという。

▽村民として結束していた江戸時代

 江戸時代初期の苛烈な弾圧後、長崎や熊本でキリシタンはどう「潜伏」していたのだろうか?

 大橋氏によると、キリシタンも非キリシタンも年貢などを村単位で請け負う制度下で、同じ村民としての意識や結束が強かった。用水の管理などに加え、寺や神社の活動も一緒に行っていた。自分の宗教上の属性より「村民という属性」で結束していたというわけだ。

 江戸幕府を倒した明治政府は、欧米列強に負けないように国民国家建設を急ぎ、国民という一律の型にあてはまる価値観や人間像が教育されていく。

 天皇中心の新秩序をつくるため、宗教の境界が曖昧だった状態を変えようと神仏分離令を出し、多様性を許さないようになっていったという。

 長崎奉行所に近い長崎市浦上地区では多くのキリシタンが「潜伏」していた。奉行所が事実上、黙認していたからだ。

 3千人を超える浦上のキリシタンが流罪になり6百人以上が死亡した弾圧は、幕府ではなく明治政府によって行われた。

▽人間同士が争っている場合ではない

 日本史学者の大橋氏に、あえて現在の国際政治の問題点や打開策はないだろうかと聞いてみた。

大橋氏は、国家や民族、宗教といった異なる属性を優先すると必ず分断や対立が起きると指摘して「毎日、暮らしをしないといけない生活者という共通の属性を優先する必要がある」と話した。

 エイリアンの侵略に対して地球人が結束して戦う映画「インデペンデンス・デイ」を見て思うところがあったという。

 今、地球人が国家や民族、宗教を超えて結束して戦うべき相手は、気候変動や原子力発電所、核兵器など人間が生み出した矛盾そのものではないかと感じたと話す。

 「江戸時代の人が村民として結束していたように、地球人という属性を優先して協力しないといけない。多くの人が生活者の視点に立ち、相手の生活も尊重する。隣の人の朝ご飯にも、ゆで卵があったらいいなと思えるかどうかが重要です。地球の上で人間同士が戦っている場合じゃないと常に思っています」

© 一般社団法人共同通信社

社会



学校推薦で高校進学、実業団選手に。謝罪はないまま

47NEWS 2024年6月28日 10時0分


2016年9月、兵庫県加古川市立中の2年生だった当時14歳の女子生徒が同級生らからのいじめを苦に自死した。7年後、両親は娘の死と向き合い続ける日々の中で、加害生徒の1人が実業団スポーツ選手として活躍していることを知ってしまった。「娘の未来は絶たれてしまっているのに、なぜ…?」。もう会うこともできない娘とのあまりの“落差”に、抑えきれないほどの憤りと悔しさが再燃した。

事件後、加害生徒から直接謝罪の言葉はなく、いじめを本人らが認めたかどうかもはっきりしないままだった。両親は当時から生徒らへの厳しい指導を学校や市教育委員会に求めてきたが、学校側はその裏で加害生徒たちの一部を学校推薦で希望の高校に進学させていた。遺族に情報が開示されていないため定かではないが、同級生らの証言によると、後に実業団選手となった生徒もいるとみられる。父親は信じられない思いで、こう疑問を投げかける。「遺族をバカにしている。こんなことが許されていいのか」―(共同通信=木村直登、岩崎真夕)

 ▽認定された12人の加害者

 両親は学校が適切な対応を怠ったとして、加古川市に対し損害賠償を求めて提訴し、現在も係争中だ。2023年9月、陳述書を作成するため過去の資料を精査していた時、母親はふと気になって、加害生徒のうち1人の名前をインターネットで検索してみた。ヒットしたのは、とある実業団の選手の紹介ページ。名前、出身地、出身校、そして顔写真…。間違いない。あの生徒だ。いじめ自殺があった1年半後、強豪高校に進学し、その後もスポーツ選手として着実にキャリアを積んでいた。現在は退団している。

いじめの内容と自死の因果関係を調べた第三者委員会が報告書をまとめたのは、加害生徒が中3だった2017年12月。高校への進路を決めるタイミングだった。

報告書によると、

 16年2月には「ミジンコ以下 死ねばいいのに」などと書かれた作成者不明の紙を渡された。中2になっても状況は改善せず、夏休み明けの16年9月、登校途中に自死を図り、1週間後に亡くなった。自室の机の上にはメモが残されていた。

 「どうして世の中こんなになってるの?クヤシイ…イタイ…シニタイ…」

後日、第三者委の報告書を受け取る際、両親は委員会のメンバーから口頭でこう伝えられた。いじめ行為について12人の多くが自ら話すことはなく、聞き取りを最後まで拒んだ生徒もいる、と。両親の元には「いじめた人たちが『自分たちのせいではない』と言っていた」との同級生の証言も寄せられていた。

 ▽不十分な指導、そして推薦へ

 「なぜ娘をいじめたのか」。両親はその後も一貫して学校や教育委員会に12人に対する指導を求めてきた。こうした要望を受け、市は加害者への指導計画を策定。「自らの言葉で事案を振り返らせ、反省の気持ちを継続して持たせる」方針を両親に提示してきた。

 しかし、その指導内容は遺族の納得とはほど遠かった。市教委に設置されている「少年愛護センター」の所長がまとめた「関係生徒、保護者説明及び指導概要に関する報告」は、指導日時をまとめた表を入れてA4用紙3枚分しかない。それによると、指導は2017年12月~18年2月、各生徒に1~3回行われ、「涙を流していた」「嫌な思いをさせたのかもしれないと話した」と指導時の様子が数行書かれている程度。中には「あだ名で呼んだことはない」と、いじめ行為を否定する言い分も含まれていた。

 加害生徒らの卒業が間近に迫っていた。両親は「反省もないままに進学してしまうのではないか」と焦りを感じていた。そうした疑念の中で持ち上がったのが学校推薦の問題だ。スポーツなど特定の分野に優れている生徒を学校として進学先に推すことが多いが、何よりもこれまでの学校生活から生徒の「人格が優れている」と認められることが前提のはずだ。

 「まさか推薦してないでしょうね」。18年3月、弁護士事務所で両親は関係教員や市教委職員に問いかけている。だがその時に回答はなく、市教委側は年度が変わった4月になって推薦した事実を正式に認めた。面談の場で「加害者だから推薦しないという基準はない」と伝えてきた。

 加害側が堂々と人生を歩んでいる事実に納得できるはずがなかった。当時の音声データには母親の悲痛な叫びが記録されている。「人を死に追い詰めた人をどうして推薦するの?」「どこまで私たちを苦しめたら気が済むの?」。父親も「(加害者)本人のためにもよくないでしょう?」とたまらず諭している。当時の校長は「中学を卒業したら終わりとは思っていない」と、この先も加害者への指導を続けるかのような発言をしているが、その後、学校側からさらなる指導について何も報告はない。

 あらためて今年6月、市教委の担当者にどう指導してきたのか取材したが、裁判で係争中であることを理由に「答えられない」とし、推薦については「具体的に誰とは答えられないが、総合的に判断して出す人には出したということです」と答えた。

 ▽優しい娘、絶たれてしまった夢

 娘は末っ子で、9歳以上離れた姉と兄がいる。動物好きで、こんなエピソードがある。小3の6月、早朝に灰色のメス猫を抱えて父親の枕元に立っていた。「飼ってもいい?」。前日、勝手口の近くで雨宿りしていた野良猫だという。その時は近寄ろうとしたら逃げてしまったが、安否が気になって朝早くに起き出して探し出したようだ。父親は「ダメとは言えなかった」と顔をほころばせて振り返る。

娘の死後も、下校時間になると猫は窓際から外を見つめ、帰りを待ち続けていた。もう会えないことを悟ったのか、その後は遺品に顔をすり寄せ、匂いをかぐようになった。その姿に今も母親は胸が締め付けられる。

 亡くなる直前の夏休みはいつになく行動的だった。花火大会に行ったり浴衣で夏祭りに出かけたり。父親はこう思っている。「今振り返れば思い出作りだったのかな」。母親は一緒に加古川駅近くを歩いていた時のことをよく覚えている。道ばたで困った様子の人を見つけると、駆け寄って声をかけていた。

 「亡くなる直前まで人に優しかった」。普段と同じように振る舞い、家族には弱音を吐かなかった。2016年9月12日の朝。「お弁当に梨入っている?」「梨はみんな好きだから。帰ってからみんなで食べようね」。これが最後の会話になった。

 それ以来、食卓に梨が出ることはなくなった。母親は娘と何度も一緒に買い物した近くのスーパーには今も行くことができず、少し遠くの店舗を利用している。

小さい頃は、将来の夢はケーキ屋さんやトリマーと言っていた。ただ、友達には別の夢を語っていたようだ。それは「お嫁さん」。恥ずかしかったのか、両親には言わず、亡くなった後に弔問に訪れた幼なじみから聞いた。大人になった娘の「お嫁さん姿」はどんなだったろうか。思いをはせることしかできない。

 冷たくなった娘の髪の毛を洗っていた時、母親は出産直後の病院で娘を沐浴させた時のことを思い出したという。姉や兄の時と違い、入院中に母子同室で過ごすことができた。傍らで眠る娘。「この子を絶対に手放さない」と誓った。こんな終わりが来るとは思いもしなかった。「どうして?」。今も同じ問いに苦しめられている。父親は言う。「ずっと同じ場所にとどまっている」

 ▽断ち切れない思い

娘の死後、「いじめた側」に認定された12人のうち、弔問に訪れたのは2人だけだ。両親によるとその2人も自身の行為について謝罪の言葉はなかった。その他の生徒とは直接面会していない。

 両親の心理的負担を考慮して、代わりに担当弁護士が加害生徒に対し個別に面談を実施している。聞き取りできたのは6人で、記録には「自分だけが悪いわけではない」と責任転嫁するような姿勢も垣間見られた。

 両親は、適切な指導をしないまま加害生徒を高校に推薦した学校や市教育委員会の対応に深い不信感を抱いていた。いじめの存在をうかがわせる生前の娘が書いたアンケートの存在を学校側が当初、両親に示さなかったという問題もある。

 両親が提示した和解案は市側に拒否され、「ずさんな教育現場を糾弾したい」と2020年9月に市を相手に訴訟に踏み切った。いじめ事案に通じた弁護士の意向もあり、未成年だった加害生徒は被告に含まなかった。

 数カ月に1度やってくる裁判の期日が近づく度に精神的に追い詰められる。父親は「裁判に集中する」と自分に言い聞かせ、少しでも事態を前に進めるために加害生徒のことはなるべく考えないようにしてきた。

 しかし、スポーツ選手として活躍していた生徒がいたと知り、怒りに震えた。加害生徒への思いは断ち切れるものではないのだと悟った。

 父親は言う。「謝罪してほしいとは思わない。謝罪は生きている者にするのであって娘には謝罪できない。せめて娘が抱えた当時の苦しみ、そして遺族が今も苦しんでいること、つまり自分たちがしたことの重大さを知らしめたい」

 ▽いびつな「成功体験」にならないか

教育評論家の武田さち子さんによると、いじめ自死遺族の多くは加害側の言動に長く苦しめられる。一度、謝罪を受け入れても、その後、反省の色が見えなければ「穏やかになりかけた気持ちが後戻りしてしまう」ことがあるからだ。

 加害生徒が推薦で進学するケースは多いのか。武田さんは「万引などの犯罪や有形の暴力の場合は推薦が取り消される可能性が高い。でも、言葉や態度による暴力は相当悪質でも許されてしまう現状がある」と指摘する。

 進学先にいじめの情報が伝わらなければ、加害生徒を注意する人がいなくなる。何のペナルティーも受けぬまま、自身の行為を反省する機会が失われてしまうと、同じことが繰り返されることにもなりかねない。「相手が死んでさえ、大したことはないという、いびつな成功体験になってしまう」。

 加害生徒に当事者としての自覚を促し、いじめを繰り返さないようにすることが大切であり、教育機関の責任だと考える武田さん。推薦に際して遺族側に許可を求めるなど、何らかのハードルがあってもいいのではないか、と提唱した。

 一方で、加害者もまた未成年であることは留意すべきとし、「子どもは失敗を繰り返して成長する。一度失敗したからと言って未来を閉ざし、さまざまな制度から除外するべきではない」とも指摘した。

 その上で武田さんは、加古川市の一連の対応を厳しく批判する。「学校や行政が保身に走り、再発防止の取り組みに逆行している。学校や先生が反省しないままでは、子どもを反省させることは到底できない」

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此れでは「昭和戦前時代の指導」ではないか?私は「少年院の存在意義」に大きな疑問を持つ。課外生徒全てを少年院送致して反省を促す事が何故出来なかったのか?学校も教育委員会も余りにも弱腰である事に激しい憤りを感じざるを得ない。