3月15日の出来事を綴る・・・その五です。
また、西澤形一宮司について綴る記事の続編でもあります。
🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚
月例祭斎行の後、ご神職と参拝者とで、昼食を一緒に取ろうかという話になりました。
時節柄、近隣の中華レストランで、吾々だけで一部屋をゆったりと利用できる状況だったことは幸いでした。
各々、好みのランチメニューを注文し、届くのを待っていると、、
ある一人が注文した中華焼きそばが届いた時だけ、何故か頼んでもいないのに、箸が二膳とレンゲが二本、添えられていたのです。。
・・・
何故、2セット添えられていたのか、食卓を囲む皆が不思議がり、店員さんに尋ねてみようかという声も上がりましたが、、
お忙しそうでしたし、不要不急のコンタクトは避けることにして、食事は進んでいきました。。
ふと、思い出したように、西澤宮司の奥様が呟きました。
「中華焼きそばは、主人が大好きなメニューだった。。」
この呟きを聞いて、それまで不思議に思っている風だった同席者の皆が、腑に落ちた顔となりました。
誰言うとなく、
「もっと早く、箸を付ける前に、メッセージに氣付いていれば良かったぁ~」
という声が上がり、話題の中心が、一氣に西澤宮司へと移りました。
、、程なく、、
西澤宮司が好んだソフトドリンクを注文していた同席者の一人に入電があり、急な所用で退席することになりました。
再送信されたメッセージは、流石に氣が付きます。
🥂 ソフトドリンクをテーブル中央に置き、、
西澤宮司の思い出話に花を咲かせ、無事に、一緒に食卓を囲むことが出来ました。。
・・・という fantastic なお話でした。
☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯
~如是我聞~
老子道徳経
第十四章 より
視之而不見、名曰夷。
聽之而不聞、名曰希。
搏之而不得、名曰微。
此三者、不可致詰。
故混而爲一。
其上不皦、其下不昧。
繩繩不可名、復歸於無物。
是謂無状之状、無物之象。
是謂惚恍。
迎之不見其首、隨之不見其後。
執古之道、以御今之有、能知古始。
是謂道紀。
これを視れども見えず、
名づけて夷という。
これを聴けども聞こえず、
名づけて希という。
これを搏えども得ず、
名づけて微という。
この三つの者は、詰を致すべからず。
故より混じて一を為す。
その上は皦(アキラ)かならず、その下は昧(クラ)からず。
縄縄として名づくべからずして、無物に復帰す。
これを無状の状、無物の象という。
これを惚恍という。
これを迎うれどもその首を見ず、
これに随えどもその後を見ず。
古の道を執りて、以て今の有を御し、能く古始を知る。
これを道紀という。
☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯ ☯
よく視ようとしても見えないものを、
「夷」という。
よく聴こうとしても聞こえないものを、
「希」という。
とらえようとしても得られないものを、
「微」という。
この三つは、突き詰めようとして
致ることなし。
故(モト)より、混ざ合い、一を為す。
その上は、あかるいにとどまらず、
その下は、くらいにとどまらない。
縄の如く長く続き、名づけることはできず、
物の無いところへ復び帰りゆく。
これが、かたち無きかたち、
物で無いものの在りようだ。
是を惚恍と謂う。
これを迎えても頭も見えず、
これに従えども後(姿)も見えぬ。
されど・・・
古えの「道」を執るならば、以て、
今有るものを御し、古えの始まりをよく知るだろう。
これを、道の紀と謂う。
🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚 🍚
西澤宮司と食卓を囲み、
「無状之状、無物之象」を大切にしようと、あらためて思った月次祭の日となりました。
今回も、お読みいただき、ありがとうございました。