昨日は、西澤師が宮司を務めた、平松天神社の梅花祭の日でした。

黄色い花 円泉寺便り・梅花祭

上差し 円泉寺のオフィシャルブログです。

下差し こちらは、参拝者のブログです。

私も雛祭りの日に西澤形一宮司を偲ぶに続いて、想うところを綴りたいと思います。

 

西澤宮司は、自然への感謝を折に触れて話されていました。

主宰していた滝行の会も、「滝行と自然を味わう会」という名称でした。

 

活動当初から、自然との一体感を大切にしたい、という思いがおありだったのでしょう。

 

今回も、西澤宮司のご著書から一節をご紹介したいと思います。
お諏訪さま 祭りと信仰

如是我聞~ 

お諏訪さま 祭りと信仰 より

よみがえる諏訪信仰

日本の原風景を探る

西沢形一 ●秩父今宮神社教務主事

プロローグ

・・・

「自然に優しい」「環境に優しい」という美しいけれど抽象的な言葉がよく使われますが、その曖昧さの中で、本質が幾分ずれているような気がしてなりません。

屁理屈に聞こえるかもしれませんが、「人間が自然を保護」するのではなくて、「自然によって人間が育まれている」という認識を持たなければなりません。

それは、「自然への感謝」を忘れてはならないということでしょう。

 

日本には四季があります。

季節の花や樹木の香りが味わえます。

そこから日本人は、素晴らしい感性に恵まれることになりました。

列島に住みついた人たちは古代から、季節の香りを感じながら自然への感謝とともに豊かな恵みを願い、祭りを行ってきました。

 

五節句、節分‥‥‥。時代の中で若干、形態は変わっても、今に伝えられる伝統的な風習があります。これらはすべて、豊かな自然の恵みによって成り立つものです。民族の行事は「祭り」であり「祈り」なのです。

 

最近は社寺にお願いをしても、成就したときにお礼参りに行く習慣が薄れたような気がして残念です。祈りとは「神・仏への賛美」「感謝」「願い」の要素から成り立っているのですから。

 

古代人は素朴さと謙虚さから、この哲学的な事柄を十分に理解し、気がついていたようです。

 

「お諏訪信仰」とその舞台である八ヶ岳山麓および諏訪地域は、その祈りを再発見する手掛かりを残してくれています。

 

発行所  勉誠出版株式会社

監 修  諏訪大社

編 集  鈴鹿千代乃・西沢形一

お諏訪さま―祭りと信仰 より

肩書は発行時点(平成十六年)

今想うと、西澤宮司との出会いにより、いろいろな御縁が結ばれたような氣がします。

 

前回に引き続き、西澤宮司が発行に関わっていた頃の、秩父今宮神社の会報へのリンクを貼っておきます。

 

下差し こちらは、平成二十年一月一日号です。

秩父今宮神社崇敬会(仮称)「会報」第三号

 

平成十九年九月の例大祭に、新宿花園神社の片山文彦宮司や、高麗神社の高麗文康宮司が参列された旨の記事が掲載されています。

 

片山文彦(現)名誉宮司による『自然に学ぶ』と『自然を学ぶ』の自然観の違いについての考察が、興味深いです。

 

下差し こちらは、平成二十年九月一日号です。

秩父今宮神社崇敬会(仮称)「会報」第四号

 

第四号には、平成二十年度の今宮神社・八大龍王宮「龍神祭」や役尊神祭(行者祭)の模様が載っています。

 

役尊神祭の項では、吉野山金峯山寺龍王院の五條覚雄ご住職(当時)と、覚王院與儀龍祥ご住職(当時)により、勤行が御奉納されたことが記事になっています。

 

五條覚雄先生は、快氣法と拍手の打ち方の話に登場した私の快氣法の師・河野智聖の修験道の師にあたる方です。

 

五條先生の『八正道』についてと題した講演内容が記された第四号の会報を、是非お読みになっていただけたらと思います。

 

縁というものは、いろいろなところで結ばれているのだと、あらためて感じます。

 

西澤宮司に結んでいただいた御縁を大切に、励んでいこうと思った梅花祭の日でした。