三月三日は、桃の節句です。
雛祭りにあやかり、笛畝人形記念美術館の元館長であり、飯能市平松天神社の、西澤形一宮司との思い出を、個人的に語れる範囲で、綴ってみたいと思います。
折りしも、先日の弥生朔日(新暦 3/1)は、帰幽された西澤宮司の忌明けの日でもありました。
西澤宮司に最初にお目にかかったのは、当時購入したばかりの Kawasaki の 650ccバイクに乗り、秩父の神社佛閣巡りを楽しんでいた頃でした。
当時、西澤宮司は秩父今宮神社の事務局担当として、奉職されていました。
その頃の参拝記をブログに書いている方がいらっしゃるので、リンクを貼っておきます。
既に数冊のご著書があった西澤宮司は、会報の発行にも携わっていらしたようです。
以下は、当時の会報へのリンクです。
こちらは、平成十九年三月三日号です。
ちょうど桃の節句の日ですね。
平成十九年九月一日号です。
六月の役尊神祭(行者祭)に参列した、比叡山延暦寺長臈小林隆彰師による『神仏同座』の講演内容が載っています。
奥付に「事務局担当 西沢」の名が記されています。
それから、数年が経ち‥‥
あることが切っ掛けで、妙見信仰が重要なテーマとなっていた時期があり、色々と調べる内に埼玉県飯能市平松の梅松山円泉寺のWebサイトを知りました。
これ程の資料を纏めるのには、相当のお時間が掛かったことと思います。。
ご住職さま、ありがとうございます。
サイトの資料集を閲覧し、円泉寺の境内にも妙見さまをお祀りしているお堂があると知って、次の休日に参拝へと赴きました。
そして円泉寺への初参拝の折、妙見堂へ続く石段を登ろうとしたその時に、お声を掛けてくださったのが西澤宮司でした。
氣さくなお人柄でつい話し込み、その立ち話の中で、既に秩父今宮神社で御縁をいただいていたのだと知りました。
更に、妙見堂や境内の天神社の御祭神のことなど笑顔でご案内くださり、楽しいひと時となりました。
円泉寺Webサイト内へのリンクです。
どうぞご覧ください。
それから程なくして、浅草の待乳山聖天さまにお参りしていた時のことです。
十一面観音さま、毘沙門天さま、聖天さまへのご挨拶の後、本堂前の階段を降りている時に、参道を歩いて来る西澤宮司と、ばったりお会いしたのです。
せっかくだからと、近くの茶屋で食事を共にし、いろいろとお話しいただきました。
冗談を交えて、楽しそうにお話しされるお姿が、懐かしく思い出されます。
西澤宮司と円泉寺のご住職にご縁をいただいた後は、機会が合う毎に天神社の例祭に参加するようになりました。
他の崇敬者の方々には、神靈的なお導きなどもされていらしたようで、多くの方々からの感謝の声を聞きました。
私には、出会った頃、背後で守護している神佛についてのヒントを提示され、それは自覚している旨を伝えた時が、唯一と言っていい神靈的なお話でした。
それ以降は、自由に動く私を温かく見守っていただきました。
妻に訊くと、西澤宮司からは、
「神社佛閣は、どこでもが聖地というわけではないので注意してください。」
「但し、旦那さんがいいと言ったところは、心配いりません。安心してお参りなさい。」
といったお言葉があったそうです。
妻の中での、私の信頼度を上げていただき、ありがとうございました。
(笑)
それでは、西澤宮司のご著書から一節をご紹介したいと思います。
桃の節句前に、記事にできれば良かったのですが‥‥
~如是我聞~
日本人形のあゆみ
Ⅰ章 雛のあゆみ より
ここで、雛祭りにまつわる美しい親子のエピソードを紹介しておこう。
それは菜の花雛の話である。
昔、とある田舎に、貧しい百姓の親子がすんでいた。
雛祭りも近くなったある日、子供は雛人形をねだった。
もちろん買うお金なぞあるわけがない。
思案に暮れて、あてもなく歩いていると、一面黄色の菜の花畑が目にはいった。
そのとき、母親に名案が浮かんだ。
「菜の花で雛を作ろう」と。
頭の部分は、黄色の花、きものは葉の部分を広げて蒔き直し膨らみをつけた。
細紐を帯に見たてて結び、松葉を刀の代りに腰に差した。
子供は、大満足したそうだ。
筆者もこれに倣って作ったことがある。
不器用なため、決して賞めた出来ばえではなかったが自分で雛人形を作れた嬉しさに大変満足できた。
この子供を想う母親の心にこそ雛の原点を見いだせないだろうか。
㍿ 芸艸堂 発行
西澤 形一 著(Ⅰ章)
藤間 寛 著 (Ⅱ章)
日本人形のあゆみ より
このエピソードに、豊かさの種 が内包されていると感じるのは私だけではないでしょう。
今回も、お読みいただきまして、ありがとうございました。
御柱祭が斎行された平成16年刊行の諏訪大社監修「お諏訪さま 祭りと信仰」の中で、西澤宮司は、秩父今宮神社教務主事として紹介され、編者として諏訪信仰について語られています。
元カトリック修道士であった西澤宮司の、独自の切り口での諏訪信仰のお話については、あらためて綴りたいと思います。
ひと頃、別人との混同による誤解に基づいた無責任な批判が、一部ネットに載ったことがありました。
もうひと手間、確認に時間を取っていただけたら、事実誤認と判ったと思うのですが‥‥
常世に遷られた西澤宮司は、現世のしがらみから解き放たれ、神佛と共に光となって働いてゆかれることでしょう。
しみじみと西澤宮司を偲ぶ、桃の節句となりました。