前回の投稿から、2か月余りが経ってしまいました。
放置状態になっていたにも関わらず、訪れてくださった方々、ありがとうございます。
書きかけの記事は幾つもあるのですが、今回は先日の大峯修行の時のことを綴ってみたいと思います。
尚、今回の大峯修行に当たり、道中も現地での修行中も、個々の体調や周囲への配慮に氣を配っていたことは言うまでもありません。
修行2日目、観音峯の山中、先達の声が響きました。
「耳を澄ませてください。
聴こうとしないと聞えてこない音があります」
はっと吾にかえって、、
山中の自然に意識を向けると、、
水の音
風に木の葉が揺れる音
鳥の声
大自然の声や香りが、意識に上ってくるのを観じます。
大峯龍王講社 秩父曼荼羅小屋 のホームページから修験の心得をご紹介致します。
~如是我聞~
「古の智慧を学ぶ」秩父曼荼羅小屋
修験道Q&A より
Q.
厳しい修行のイメージがありますが、体力のない人は修行できないのですか?
A.
確かに山岳信仰であることから山々を駆け登り、瀧に打たれ、など厳しい修行の一面もありますが、本来の目的は山や森に入り、人間の持つ六根を研ぎ澄ませ森羅万象(大自然・神仏)と感応することから生じる力で庶民救済のために祈り役立てるための修行です。※六根:目、耳、鼻、舌、身、意
体力がない方や初心者の方は、男女の別なくご自身に可能な範囲から大自然の中に入ってみましょう。
地 水 火 風 空 識
意識を変えるだけで普段とは違った感覚に気づくことができます。
このことが修験道修行の第一歩です。峰々を見つめ、風の音を聞き、花々の匂いをかぎ、水を味わい、神聖な気に触れ、命の恵みに感謝し、大自然の息吹を感じることが修験の道に繋がります。
そして、己の身體もまた、一番身近な大自然のひとつの顕れです。
体力まかせに、筋力を頼って頑張って歩くのではなく、大いなるいのちと共にある身體と対話しながら、丁寧に身體を用いて、山中を歩みます。
これが正解の歩き方と云う訳ではありませんが、私なりの感覚を綴ることに致します。
登りでは、、
踏み出された前足の脛骨のラインを通して、大地に自分の重みを注ぐ感覚で歩きます。
こうすると、身體を持ち上げようとする感じが消えて、樂に歩を進めることができます。
大きな段差を登るときは、、
腰を捻って足を出すのではなく、ぬかるみから脛を引き抜くような感覚で足を上げます。
こうすると、身體を縦に割って使いやすくなり、樂に上の段に足を置くことができます。
逆に、大きな段差を降りるときは、、
(衝撃を緩和する為、誰しもがゆっくりと降りるようにすると思いますが)落下速度の調節は、軸足太腿の筋肉で行うのではなく、体幹を用いて軸足側の股関節のたたみ具合を加減する方が、滑らかに細やかに調節することができ、樂に降りることができます。
そして、降ろす足側の半身が、軸足側の半身から分離してずり落ちるような感覚で、身體を縦に割って用いると、段差の大きさを感じなくて済みます。
こうすると、踏み下ろす側/支える側、どちらの膝への負担も軽くできます。
降ろした足に体重を移していくときも、登りのところで述べたのと同様、脛骨のラインの延長線上の足裏の一点を通って、大地に自分の重みが注がれてゆく感覚を大切にします。
足首や趾などに力を入れてしまうと、足裏のセンサーが働きにくくなりがちです。
足裏を通して、地面の状態やGの方向を繊細に感じられるようにしておきます。
すると、足を滑らせるリスクが減りますし、たとえ滑ってしまったとしても、前のめりになったり、のけぞったりすることなく、身體が平行移動するだけで、転ばずに済みます。
緩やかな下り坂は、自動歩行の感覚を愉しみながら、樂に歩を進める感じです。
重力を上手く使えるように骨のアライメントを整えると、筋力に頼らず歩けるようになります。
そのことが理解できる、良い参考動画です。
これらの動画は、位置エネルギーだけで歩行するロボット模型なのですが、もちろん、傾斜が無い道での歩き方の参考にもなります。
「骨格のアライメントを整え、重力を味方にすれば、筋力に頼らずに樂に歩ける」と云うことが、この動画を見ると納得できます。
但し、この動画の歩行を理想の歩き方としてイメージするのは、早計です。
詳細な理由は、次の記事で述べる予定です。
普段の散歩のときなどの傾斜の無い道でも、後ろ足で地面を蹴って歩くのではなく、身體を貫く垂直の軸を感じながら、重力に導かれるように歩を進めると、樂に歩けます。
(筋トレ志向の方の目指す歩き方とは、その方向性が異なるとは思いますが。。)
金剛杖については触れませんでしたが、金剛杖の力を借りると、更に樂に山内を進むことができます。
まさに、同行二人です。
金剛杖のことは、機会を見て詳しく書きたいと思います。
総てを通して言えるコツは、
筋肉を運動器官として用いるのではなく、
筋肉を感覚器官として使う感じと云えば、
言いたいことが伝わるでしょうか。
歩き始めは、自粛でなまったのか、ちょっと身體もしんどかったのですが、意識の焦点を変えると、身體との対話を愉しみながら歩く感覚が甦ってきました。
聴こうとしないと聞こえてこない音がある
観ようとしないと見えてこないものがある
これは、あらゆることに当てはまるのではないでしょうか。
前回の記事にも書いたように、世の中に溢れている情報は、確かに玉石混淆です。
「みんなが、そう言っているから」
「テレビで、そう言っていたから」
というだけで、無批判に受け入れてしまっていると、見えてこないものがあります。
自分の判断根拠は何なのか?
ということを問い直してみると、観えてくるものがあります。
虚と実の別を見極め、自律の意志を放棄することなく、恐れず、付和雷同せず、自ら粛然と生きる道を歩んで行こうと切に思います。
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一見、今回の記事の内容と関係ないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、、
COVID-19では、無症状者も感染を拡大させるリスクがあると言われます。
そう言われるようになった大元のエビデンスを確認したいと思っていたところ、参考になる動画がありました。
約1時間程と少々長い動画ですが、実験内容を検証する観点を学ぶことができます。
一見の価値があると思います。
お読みいただき、ありがとうございました。