不登校バンザイ系支援者は必要?!

 

 

 

 

 

 

NEW!高田ぶらりからのお知らせNEW!

 

右矢印REQUのサービス終了に伴い、新しい資料販売の提供場所をコチラに移しました。

 

これを機にご好評いただいていた「不登校の一般的な経過と家族の対応」と「不登校児の心の変化と乗り越えなければならない壁」を合体させて加筆修正したものを新たに販売しております。

 

今までのものと何が違うのかとご質問があったので簡単にご説明させていただきます。

旧版との差はまず文字数。

7000字弱→2万字に大幅加筆しています。また、旧版当時にはこれが最適と考えていた対応も、私の経験値によってより具体的な対応法に書き換えています。一番の大きな差は相談者さんたちから一番よくご相談のあった「我が子が何期なのか?」が簡易に判断できるように、↓このような簡易判断フローチャートが付録としてついています。

 

購入はこちら↓になります。

 

 

 

 

 

 

 

前々々回前々回前回の記事にはたくさんの反響をいただきました。

(君の前前前世からずっと〜、どんだけこの話題続くねん)

 

 

A子さんから

 

それから、私も例の不登校バンザイ系のお話、興味深く拝見しました。 自分で言うのもなんですが、私も真面目なほうです。 ですので、あらゆる先輩お母さん達のブログを参考にしてました。 でも、そういったブログにたどり着いたのは、不登校になって3ヶ月位してからです。 勿論それまでもネットサーフィンしてましたが、ほとんどがYouTubeや、専門家のサイトです。 内容は様々で、登校刺激をしてはいけないことだけしかわかりませんでした。 その後、他の不登校の子はどうやって回復していったのかが知りたくなって、初めてブログというツールにに辿り着いたのです。 私にはどう考えても、不登校を100%受け入れるなんて無理だったし、実は、よく言われる課題の分離も未だにしっかり理解できずにいます。 これは誰の問題? 息子の問題。 だからこそ、息子が苦しんでると身を引き裂かれる想いで苦しい。 苦しいけど、苦しいのを隠して、息子が立ち上がるのを見届ける。 課題の分離は地獄の苦しみです。 息子は今、無所属の引きこもりです。 

 

昨年ぶらりさんのブログにたどり着き、私なりに腹をくくり、今に至ります。 不登校バンザイ。確かにそっちに持っていこうとしてる支援者の方、多い気がします。 本当にバンザイと言う意味ではないのかもしれませんが、そういった心持ちでいた方が楽に見守れますよねってメッセージなのでしょう。 が、不登校のお母さんはどなたも喉から手が出る程情報が欲しいもので、回復の為なら何でもその通りにします。 私は出来なかったからしなかっただけで、そちらに無理やり気持ちを持っていこうとしていたお母さんは少なくないように感じました。

 

 

B子さんから

 

不登校の親が必ず行き当たる問題の真髄に触れるような、うーんと唸るような内容でした。 不登校バンザイと考えなければ、長い道のりで親が気持ちを保てないところもあるような気がします。 そのような考え方が溢れているネット情報の中に何らかの違和感を感じる方が、ぶらりさんのブログや相談にたどり着くのでしょうね。

 

 地域の親の会に参加しても、ポジティブ発言(親の会への参加が楽しみ、不登校になってよかった的な)に私は違和感を感じたというか、私自身、修行が足りずまだそこまでたどり着けていないんだろうかと、思ってしまいました。前回参加したときに、その場の空気とは違うと感じながらも正直な気持ちとして、学校に行ってほしいという気持ちを手放せない、学校に行っている子が羨ましいと発言したところ、「私もだ」「安心した」と言ってくれた方がいました。 手放せたら楽なんですけどね…。 手放して、親が楽な気持ちで何年も過ごせたら、子供も回復のタイミングがやってきて、手放したら結果として良い方向に向かった、という実体験になっているんでしょうか。ネットに溢れていますね。 これから何年も不登校が続く場合、私もどんな気持ちで息子を見守っていけばいいのか。不登校バンザイにならざるを得ない時がくるのかもしれないんでしょうか。

なるほどなあ・・・と、頷きながら、どのご意見も拝読しました。

 

気になったのはB子さんの地域の親の会で

 

「地域の親の会に参加しても、ポジティブ発言(親の会への参加が楽しみ、不登校になってよかった的な)に私は違和感を感じたというか、私自身、修行が足りずまだそこまでたどり着けていないんだろうかと、思ってしまいました。」

 

自由な発言は保障されているんでしょうが、その場の雰囲気が不登校バンザイだと不登校バンザイと思えない自分に落ち度があるのかと感じてしまいますよね。これって、何か宗教?マインドコントロールのような危うさを感じてしまいますよね。

 

そして一番大きな違和感は、不登校・ひきこもりを8年もやったけれど今は幸せに暮らしている私(夜間大学を卒業後正社員の職、優しい夫、かわいい子どもたち)でも、私に対して「バンザイ」とは言えないです。不登校になんてなりたくなかった。不登校になった過去でしか夫にも子どもたちにも会えなかったけれど、それでも常に付きまとう不登校だった暗い過去。お笑い芸人の山田ルイ53世さんも8年のひきこもりの過去を美談にしたくないとおっしゃられていますが、同感です。

 

 

ただ、こんな考え方もありますよね。A子さんB子さんの言われる、

本当にバンザイと言う意味ではないのかもしれませんが、そういった心持ちでいた方が楽に見守れますよねってメッセージなのでしょう」

不登校バンザイと考えなければ、長い道のりで親が気持ちを保てないところもあるような気がします」

 

「不登校バンザイ」がこんなに流行るのは、親が考えること悩むことを放棄したから?そっちの方が正直楽だと思うんですよね。

「これで良かったんだ。不登校で良かったんだ」

それは悩むことを放棄した一つの形ではないでしょうか?

 

アルコールに酔っているようなものですよね。不登校バンザイと結論つけての現実逃避。あ、これ大学に入れさえすればオールオッケーの現実逃避の形と似ていますね。

 

 

 

こうとも言えます。

 

もし私自身が「不登校バンザイ!」の不登校児だったら?私は前進することをやめてしまったと思います。何度か過去記事で書きましたが、私の原動力はずっと不登校だった自分への徹底的な否定です。2度とひきこもりたくない!この強烈な飢餓感。

 

 

支援者も同じです。正しい支援の方法はあちこちに情報として落ちているのに学ぼうとせず、考えようとせず「不登校バンザイ」とやって煙に巻。

 

苦しいから、考えることから逃げてしまう。学ぶことから逃げてしまう。そして面倒臭いことになっている我が子から逃げてしまう。

 

そもそもですけど、不登校に限らず育児は悩むものです。生きるというのは何かを諦めたり誤魔化したり、成功したり失敗したり、一方で夢を追ってみたり、小さな喜びを感じたり。どうも最近、悩むことが「悪」のように語られるんですけど、悩むことも必要だろうし、悩みたくなければどうしたらいいのか?洞窟のような自室から這い出るしかないことは一目瞭然です。

 

ほぼ全員の精神科医が「葛藤」と言う言葉を著書の中で語っているのですが、不登校支援と葛藤はセットです。葛藤が大きければ大きいほど予後が良い。葛藤がない子は、スチューデントアパシーと呼ばれていますが回復が遅い。

 

悩んだからこそ見えることってあると思うんです。

もう不登校だったお子さんが独立された方ですけど、こんなことを言われました

「私はどうしたいんだろう?なんでこんなにザワザワするんだろう?悩んで悩んでわかったことは、私は息子が大好きだ」

 

私はこれこそが真理だと思うんです。これは子どもが不登校であってもなくても

「子どもと仲良く暮らしたい、笑った顔を見せてほしい」

余計なものを削ぎ落として、一番必要なものは家族が仲が良いことと笑顔。

 

我が子の笑った顔が見れないからつらい。

 

A子さんの

これは誰の問題? 息子の問題。 だからこそ、息子が苦しんでると身を引き裂かれる想いで苦しい。 苦しいけど、苦しいのを隠して、息子が立ち上がるのを見届ける。 課題の分離は地獄の苦しみです。

 

その通り、小手先の心理学を使って課題の分離をやってみたって苦しいもんは苦しい。どう考えたって、理解したって

 

我が子の笑った顔が見れないからつらい。

 

 

そして、子どもは子どもで、「2度とひきこもりたくない」

だから元気になりたい。こんな辛いところから脱出するには、元気になるしかない。笑顔を取り戻すしかない。

 

つまり、実は親子で利害は一致しています。

親は子の笑顔を見たい。子も笑顔になりたい。

 

それなのに、どちらか一方が「不登校バンザイ!今のままで良い」と結論を出してしまったら、そこで試合終了。こんな悲劇はありません。

 

 

じゃあ、どうしたらいいか自ずと答えは出ると思うんです。

これでよかったと結論付けずに、我が子に話しかけましょうよ。

 

会話は楽しい

お出かけは楽しい

 

その気持ちを思い出してほしい。

 

 

**

 

 

その一方でC子さんからのご意見

 

話題が変わりますが、ブログ読みました。不登校キラキラ系のブログ、情報の一つとして読んでます。全てを真に受けてはいません。が、気持ちが楽になることはあります。でも、出版した本に書かれていることをブログには載せられないからか、方策や結論がないことが多いです。なのに、大丈夫!将来は明るい!とあって、疑いの意味で本当か?と思ったり。でも、その言葉に気が楽になったりもして。 自分の気持ちが落ちている時は判断力も鈍くなります… 

 

この数日のヤフーニュースで、親が過干渉だと子どもが不登校になる、と見て。過干渉に育ててきたつもりはなかったけど、よかれと思ってやってきたあれこれが過干渉だったのかな、と思ってしまいました。 いい情報、必要のない情報、間違った情報、たくさん目に入ります。 そんな中で、いいこと、勉強になることも悪いことも(直視したくないことも)、きちんと伝えてくださったのが高田さんのブログでした。

あはは!

なるほどなああ。

 

私の支援って、お悩み相談と謳っていながら、「ウチの子が悩んでいて」と聞けば「順調」と返すような支援者なので(笑)

確かにキラキララッキーハッピーオーラのブログは読んでて気持ちが楽になるのはあるかもしれません。例えるのなら私がウルフルズの応援ソングで根拠もなく元気になるのと一緒かな。それはそれで支援ですね。

 

どこかで「本当か?」と多角的な視点で読まれているのならOKじゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

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