課題の分離の勘違い

 

 

 

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この時計、SEIKOのルキアなんですが、私がひきこもり中のバイトの給料で買ったものです。25年ぐらい前の年代物。当時4〜5万円ぐらいだったかな?一度オーバーホールしましたが現役で動いてくれるのはありがたいです。

 

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あの頃のものはほとんど残っていないのですが、この時計を見ると良かったことも悪かったことも思い出します。

 

 

***

 

 

ある相談者さんと話していた時にこんなことを言われました。

 

”子どもが不可解な行動をしたとき、ほとぼりが冷めるまで、放っておくことが見守ることなんだと大きな勘違いをしていました。”

 

これ、全く同じことを何回か他の相談者さんからも言われたので気になりました。どっかの支援者が言っているのか?と、もっと突っ込んで詳しく聞くと、

 

”誰かにアドバイスをされた訳ではないのですが、「見守ること」と「放置」の差が分からず、ブログを読み歩いて出した結論です。 「それは誰の問題?」と問いかけて、子どもの問題ならガミガミ言わずに放っておきましょう。というような記載を多く見かけたので。 今回は、ゲームをしてイライラするのは、子どもの問題なので、ほとぼりが冷めるまで放っておいてOKだと思ってました。”

 

なるほどなあ・・・です。

勉強熱心な方こそ、この罠に陥ってしまうのかもしれません。

 

これはアドラーの課題の分離ですね。課題の分離は私も使いやすいので時々使います。特に過干渉の親御さんには

「お子さんの受験は誰の問題ですか?あなたが悩んで解決できますか?あなたは関係ないですよね?だから放っておいてください」

 

ってな具合です。ところがこれが一人歩きするとこんなことになります。

 

親御さんがお子さんのリスカを見つけました。

「リスカは誰の問題?子どもの問題。じゃあ、見守りましょう。本気で死ぬことはないでしょう。まあ、死んだとしても本人の問題でしょう」

 

あれ?です。これはおかしいですよね?私は常日頃から、リスカを見つけたら引っ叩いて精神科に連れて行け、救急車を呼べと口を酸っぱくして言っています。これは過干渉なのでしょうか?

 

違います。我が子が自分の命を危険に晒す時、親は身を挺してそれを止めることは常識です。

 

どうも、この課題の分離が一人歩きして、親が不登校児の生活に口出しすることが絶対悪のように思われていることに驚くことがあります。そもそも、子どもが不登校になって、今までの子育てを全否定されてしまったお母様方には課題の分離は馴染みやすく、取り組みやすい。結果、何事も見守るという名の放置になっていることが多いです。

 

ちなみに放置されると、不登校児はどう思うのか?ですが

 

「見捨てられた」

 

です。例えば、あなたが職場でお客さんに理不尽なことを言われて、めちゃくちゃイライラしました。結果、誰も気がつかないふりをして目も合わせてくれません。どう思いますか?

 

でも、親しい人が後から「今日、イライラしていたみたいだけど何かあった?」と聞いてくれたらどう思いますか?

 

冷静になれます。そっかイライラしてたのバレちゃったんだ。これからは気をつけないとな、心配かけてごめんね。実はお客さんから〇〇なこと言われてね、とそこから会話が始まり親しい人とはより絆が深まるかもしれません。

 

これは親子でも一緒です。

 

確かに課題の分離はわかりやすい指標にはなりますが、前提にあるのはこれ↓

 

 

 

一方的な受容の弊害 

受容を基本姿勢にしなければ治療にならないのは当然ですが、しばしば忘れられているのは、「受容するためには枠組みが必要である」という常識です。

 

相手のすべてを受容しようとする人は、相手を所有したがっているのでなければ、みずからの万能に酔っているだけです。治療の場面でも、どのように受容の限界を設定するかは、たいへん重要なテーマです。

 

「一方的な受容」は、一方的なお説教と同じくらい、有害であると私は考えます。いずれの場合も、そこに十分なコミュニケーションが成立していないからです。相手が不可解な行動を取り、そのために周囲が困惑する。そのような状況が起こったとき、私たちはまず、その相手との対話を通じて、理解と共感を試みるでしょう。これは「治療的」というよりはむしろ「常識」です。あらゆる「ひきこもり」の事例が、最初から理解と保護の手だけを待ち望んでいるわけではないのです。親からの必死の説得によって、社会参加に向かう事例も皆無とはいえません。そのようなやり方が、つねに有害であり、信頼関係をそこなうとは限らないのです。なんといっても、一番社会復帰を切望しているのが、当の本人たちなのですから。

 

斎藤環 社会的ひきこもりより

 

 

◆◆◆

 

見守るという名の放置は、不登校児の奇行をエスカレートさせ、そして孤独にさせます。この孤独によって不登校児の回復はもっと遅れます。モンスター化まで一直線。

 

我が子が不可解な行動をしたのなら、「どうしたの?」と聞きましょう。

 

「どうしたの?」と自然に話しかけるには地ならしが必要です。何週間も我が子と喋っていないのに「どうしたの?」なんて言えません。これは初対面の異性にプロポーズをするほど馬鹿げています。

 

まずは会話ができなければ挨拶から。

とにかく雑談雑談雑談です。

 

 

 

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