春夏冬 2升5合 (漢:オトコの独りメシ 5) ※目白
このお店が登場したのは、80年代前半。ちょうどバブルが始まるころだったでしょうか。飲食業界では、Cafe Bar ブームが起こり、若者が集まる六本木や渋谷では雨後のタケノコのように、Cafe
Bar が乱立していました。Cafe Bar に通う若者を対象にサントリーが、ペンギンズバー と言う名前でビールを発売し

松田聖子ちゃんが歌う、 このCM が大ヒットして、Cafe Bar ブームに拍車をかけました。
私の現在の地元、目白にも2軒のカフェバーがオープンしまして、若い頃はよく通ったものです。
あれから30年近い月日が流れているのですが、世間の Cafe Bar は、ほとんど姿を消してしまいました。今では 絶滅危惧店 になっていrんじゃないでしょうか。
しかし、目白では長引く不況にもめげず、未だに2軒とも健在です。健在どころか、 「春夏冬 2升5合」 です。
表題にも記した 「春夏冬 2升5合」 と書いてなんと読むか。ブログの最後で種明かししますね。
レフティー
豊島区目白 3-5-8 2F
03-3950-7973
このお店のランチの看板メニューは、「オムライス」 です。東京でオムライスと言えば、「たいめいけん」 が元祖オムライスで有名ですが、レフティーのオムライスは 「たいめいけん」 よりウマイ!ヨッシー君のオムライスリストの3本指に入ります。

レフティー のオムライスのサイズは、全部で5種類。
極小 ・ 小 ・ 中 ・ 大 ・ 特大 になります。皆様はどのサイズを御所望されますでしょうか。
他にもメニュはございますが、

ここに来た9割のお客様は、揃って オムライス をオーダーされます。
よごど 大食いに自信のあるかた以外は 特大 は避けたほうが良いでしょう。夜のバータイムに、2人でシェアするんだったら アリ かもしれません。
そんな中、私のオーダーは 中 でした。中といってもかなりの量ですよ。

中 で、他のお店の 大盛 だとご理解下さい。

ここのオムライスの特徴は 2つ。
まずは、かかっている ソース が、ミートソース です。

ボリュームタップリのサラダも魅力的ですね。使ってある野菜も豊富で、ポテトサラダも入っています。
サラダの上には 砕いたポテトチップスがちらばめてあり、パリッとした食感のアクセントも楽しめます。

普通、オムライスはケチャップライスなのですが、レフティーのオムライスは デミグラスソース で炒めてあります。ここがまたミソ。
更に、たっぶりの玉子でまいてあり、この玉子にほんのり甘味が付けてあります。これが、レフティーのオムライスの美味しさの秘密です。
チキンライスの中にもゴロットした大き目の鶏肉が入っていて、食後感も最高に満足できます。

30年続く店内は、古き良きカフェバーの雰囲気がそのまま残っていて、オーナーの趣味なのでしょうか、70年代、80年代の懐かしの映画が数多くディスプレーされています。BGMも当時の物ばかりです。
目白の街外れにあるのですが、昼時は入れ替わり立ち代わり常に満席状態。
この状態を 「春夏冬 2升5合」 と言います。
春夏冬 は、秋が無いので、「あきない」 つまり 「商売」 と読みます。
2升は、マスが2つで2升になります。マスが2つで 「益々」 と読みます。
5合は1升の半分ですね。つまり、はんしょう で 「繁昌」 と読みます。
「春夏冬 2升5合」 と書いて 「商売、益々繁昌」 と読むのが正解です。
商売をやっている人なら、皆さんご存知でしたね。

松田聖子ちゃんが歌う、 このCM が大ヒットして、Cafe Bar ブームに拍車をかけました。
私の現在の地元、目白にも2軒のカフェバーがオープンしまして、若い頃はよく通ったものです。
あれから30年近い月日が流れているのですが、世間の Cafe Bar は、ほとんど姿を消してしまいました。今では 絶滅危惧店 になっていrんじゃないでしょうか。
しかし、目白では長引く不況にもめげず、未だに2軒とも健在です。健在どころか、 「春夏冬 2升5合」 です。
表題にも記した 「春夏冬 2升5合」 と書いてなんと読むか。ブログの最後で種明かししますね。
レフティー
豊島区目白 3-5-8 2F
03-3950-7973
このお店のランチの看板メニューは、「オムライス」 です。東京でオムライスと言えば、「たいめいけん」 が元祖オムライスで有名ですが、レフティーのオムライスは 「たいめいけん」 よりウマイ!ヨッシー君のオムライスリストの3本指に入ります。

レフティー のオムライスのサイズは、全部で5種類。
極小 ・ 小 ・ 中 ・ 大 ・ 特大 になります。皆様はどのサイズを御所望されますでしょうか。
他にもメニュはございますが、

ここに来た9割のお客様は、揃って オムライス をオーダーされます。
よごど 大食いに自信のあるかた以外は 特大 は避けたほうが良いでしょう。夜のバータイムに、2人でシェアするんだったら アリ かもしれません。
そんな中、私のオーダーは 中 でした。中といってもかなりの量ですよ。

中 で、他のお店の 大盛 だとご理解下さい。

ここのオムライスの特徴は 2つ。
まずは、かかっている ソース が、ミートソース です。

ボリュームタップリのサラダも魅力的ですね。使ってある野菜も豊富で、ポテトサラダも入っています。
サラダの上には 砕いたポテトチップスがちらばめてあり、パリッとした食感のアクセントも楽しめます。

普通、オムライスはケチャップライスなのですが、レフティーのオムライスは デミグラスソース で炒めてあります。ここがまたミソ。
更に、たっぶりの玉子でまいてあり、この玉子にほんのり甘味が付けてあります。これが、レフティーのオムライスの美味しさの秘密です。
チキンライスの中にもゴロットした大き目の鶏肉が入っていて、食後感も最高に満足できます。

30年続く店内は、古き良きカフェバーの雰囲気がそのまま残っていて、オーナーの趣味なのでしょうか、70年代、80年代の懐かしの映画が数多くディスプレーされています。BGMも当時の物ばかりです。
目白の街外れにあるのですが、昼時は入れ替わり立ち代わり常に満席状態。
この状態を 「春夏冬 2升5合」 と言います。
春夏冬 は、秋が無いので、「あきない」 つまり 「商売」 と読みます。
2升は、マスが2つで2升になります。マスが2つで 「益々」 と読みます。
5合は1升の半分ですね。つまり、はんしょう で 「繁昌」 と読みます。
「春夏冬 2升5合」 と書いて 「商売、益々繁昌」 と読むのが正解です。
商売をやっている人なら、皆さんご存知でしたね。
カントリージェントルマンという生き方 ※町田・鶴川
戦後の混乱期に、政治家でもなく役人でもないのに、その後の日本のあり方に大きな影響を与えた独りの日本人がいました。吉田茂の懐刀として、戦後の米国との交渉にあたり、良くも悪くも現在の日本の礎となった人です。彼の名は 白州次郎。彼の生き様は プリンシブル(筋を通す・原則をつらぬく)な生き方をすること。多くの人は、彼の事を カントリージェントルマン と呼びました。
カントリージェントルマンとは、騎士道を心得たイギリスの貴族のライフスタイルです。
そもそもイギリスの貴族は地方に膨大な財産を持ち、普段は農業なんぞをやりながらのんびりと暮らしています。しかし、国家の危機においては全てをなげうち、都へ駆けつけ、お国のために尽力を尽くす人の事を言います。日本においても 「いざ、鎌倉」 と言う言葉がありますが、それに似たような生き方なんでしょう。
白州次郎は兵庫県芦屋の富豪、白州商店の御曹司として生を受けます。写真でしか見たことがありませんが、かなりの男前で、しかも大金持ちで頭脳明晰。
若い頃、イギリスのケンブリッジ大学に留学し、10年間にわたり カントリージェントルマン としての生き方を学びます。
イギリス滞在中に当時イギリス外交官であった吉田茂と知り合い、吉田と共に戦後の日本の復興に邁進します。
そんな白州次郎が カントリージェントルマン として日本で選んだ終(つい)の棲家が、町田市鶴川にあります。先日、白州次郎の生き様に触れてみようと出かけてきました。
武相荘 (buaisou)
町田市能ヶ谷 7-3-2
042ー735-7532
武蔵野国と相模の国の境目に位置する所にちなんで、白州自身が名付けた名前だそうです。無愛想 とも掛け合いになっていて、白州次郎お気に入りの名前だったようです。

そもそも白州次郎の名前をご存知無い方もいらっしゃると思います。白州次郎には様々な武勇伝やエピソードがあるのですが、一番有名な仕事は、GHQから、英語で提示された日本国憲法を日本文に翻訳した人です。

現在でも、憲法の日本語が問題になったりしていますが、白州本人は、イギリスでの生活が長かったせいか、日本語より英語の方が得意だったようです。酔っ払うと会話が英語になっていたようです。私自身、大いなる白州ファンなのですが、憲法問題だけは評価が低いです。
しかし、敗戦ショックの日本の中において、日本としての筋を通し、GHQに対し一歩もひかず 「従順ならざる唯一の日本人」 として本国に報告されたほどの人です。

小田急線 鶴川駅から山の方へ15分ほど登って行くと、左側に見えてきます。多少、入口がわかりにくいのですが、ユニクロの先を左に入ると、見えてきます。

かやぶきの母屋は、日本家屋としての重厚感がそのまま感じられます。

当時の姿のままに残る車庫には、白州次郎が旧制中学の時代(現在では高校生)に乗っていたのと同型の ペイジ が展示されています。
イギリス時代には ベントレー を乗り回し、帰国後はポルシェ911 を愛車として乗っていた、筋金入りの オイリーボーイ(スポーツカーマニア)だったようです。
家の中での撮影は禁止になっているので、NHKがドラマで再現した写真で内部を見てみましょう。

驚くほど、寸分たがわず制限してあります。

実際は、生前使用していた愛用品が数多く展示されています。
離れの食堂はカフェに改造してあり、食事も出来ます。メニューはチキンカレーとシーフードカレーの2品。

千切りキャベツにルーをかけて食べるのが、白州次郎風の食べ方だそうです。2000円弱とお高いカレーなのですが、食べれば納得のお値段です。
イギリス留学中に父親の会社が倒産して、窮地にたたされるのですが、自力で仕事を手がけみごとに復活します。40歳の時には仕事から引退し、カントリージェントルマンの道を歩みだすのですが、戦後の混乱期には、吉田茂の要請により日本の窮地に際し再びその辣腕をふるいます。
普段はジェームスディーンを彷彿とさせる、ジーパンにTシャツ姿で農業を営んでいますが、公式の席では英国式紳士のスタイルを貫き、誰に対しても絶対に卑屈にならなかった。これが男の かっこ良さ なのかもしれません。
同じ頭が良くて、お金を持っていても、ここいらが ホリエモン とは全く違うところですね。
もうすでに時遅しかもしれませんが、こういう かっこいい男 を目指したいですね。
カントリージェントルマンとは、騎士道を心得たイギリスの貴族のライフスタイルです。
そもそもイギリスの貴族は地方に膨大な財産を持ち、普段は農業なんぞをやりながらのんびりと暮らしています。しかし、国家の危機においては全てをなげうち、都へ駆けつけ、お国のために尽力を尽くす人の事を言います。日本においても 「いざ、鎌倉」 と言う言葉がありますが、それに似たような生き方なんでしょう。
白州次郎は兵庫県芦屋の富豪、白州商店の御曹司として生を受けます。写真でしか見たことがありませんが、かなりの男前で、しかも大金持ちで頭脳明晰。
若い頃、イギリスのケンブリッジ大学に留学し、10年間にわたり カントリージェントルマン としての生き方を学びます。
イギリス滞在中に当時イギリス外交官であった吉田茂と知り合い、吉田と共に戦後の日本の復興に邁進します。
そんな白州次郎が カントリージェントルマン として日本で選んだ終(つい)の棲家が、町田市鶴川にあります。先日、白州次郎の生き様に触れてみようと出かけてきました。
武相荘 (buaisou)
町田市能ヶ谷 7-3-2
042ー735-7532
武蔵野国と相模の国の境目に位置する所にちなんで、白州自身が名付けた名前だそうです。無愛想 とも掛け合いになっていて、白州次郎お気に入りの名前だったようです。

そもそも白州次郎の名前をご存知無い方もいらっしゃると思います。白州次郎には様々な武勇伝やエピソードがあるのですが、一番有名な仕事は、GHQから、英語で提示された日本国憲法を日本文に翻訳した人です。

現在でも、憲法の日本語が問題になったりしていますが、白州本人は、イギリスでの生活が長かったせいか、日本語より英語の方が得意だったようです。酔っ払うと会話が英語になっていたようです。私自身、大いなる白州ファンなのですが、憲法問題だけは評価が低いです。
しかし、敗戦ショックの日本の中において、日本としての筋を通し、GHQに対し一歩もひかず 「従順ならざる唯一の日本人」 として本国に報告されたほどの人です。

小田急線 鶴川駅から山の方へ15分ほど登って行くと、左側に見えてきます。多少、入口がわかりにくいのですが、ユニクロの先を左に入ると、見えてきます。

かやぶきの母屋は、日本家屋としての重厚感がそのまま感じられます。

当時の姿のままに残る車庫には、白州次郎が旧制中学の時代(現在では高校生)に乗っていたのと同型の ペイジ が展示されています。
イギリス時代には ベントレー を乗り回し、帰国後はポルシェ911 を愛車として乗っていた、筋金入りの オイリーボーイ(スポーツカーマニア)だったようです。
家の中での撮影は禁止になっているので、NHKがドラマで再現した写真で内部を見てみましょう。

驚くほど、寸分たがわず制限してあります。

実際は、生前使用していた愛用品が数多く展示されています。
離れの食堂はカフェに改造してあり、食事も出来ます。メニューはチキンカレーとシーフードカレーの2品。

千切りキャベツにルーをかけて食べるのが、白州次郎風の食べ方だそうです。2000円弱とお高いカレーなのですが、食べれば納得のお値段です。
イギリス留学中に父親の会社が倒産して、窮地にたたされるのですが、自力で仕事を手がけみごとに復活します。40歳の時には仕事から引退し、カントリージェントルマンの道を歩みだすのですが、戦後の混乱期には、吉田茂の要請により日本の窮地に際し再びその辣腕をふるいます。
普段はジェームスディーンを彷彿とさせる、ジーパンにTシャツ姿で農業を営んでいますが、公式の席では英国式紳士のスタイルを貫き、誰に対しても絶対に卑屈にならなかった。これが男の かっこ良さ なのかもしれません。
同じ頭が良くて、お金を持っていても、ここいらが ホリエモン とは全く違うところですね。
もうすでに時遅しかもしれませんが、こういう かっこいい男 を目指したいですね。
板チョコの溝と男女の溝
今日は、女性がいらん出費をしいられる日 バレンタインデー ですね。少しでも女性の負担を軽くするために、私はバレンタインデーの義理チョコを受け取りません。と、言うより生活環境の中に女性がいないので、受け取るチャンスがありません。

今時、義理チョコにも使わないだろうという、板チョコ。バレンタインデー当日に68円で特売をしていたので、ありがたく買ってまいりました。
バレンタインデーが終ると、売れ残ったチョコレートのディスカウントが始まるので、そっちのほうが嬉しかったりします。
ところで、板チョコには割りやすくするために 溝 がついています。ところが、溝に沿ってチョコレートを割るのは 至難の技です。

注意してチョコレートを割っても

こんな割れ方をしたり、

こんな割れ方をしてしまいます。
板チョコの割れ方を見ていると、男女の関係に似ているように思えます。
色々頑張ってバレンタインだと心の準備を整えても、いざとなったら全く予想だにしない人から本命チョコレートをもらったり、期待していた人からもらえなかったりとか…
板チョコが変な形で割れてしまうように、男女の仲は思うようには割り切れません。
今年、アテがはずれてしまった男の子と女の子は、板チョコを買ってきて、思うように割れない不合理さを感じてみてください。男女の仲なんてそんなものです。
買うなら、カカオ含有量が多いチョコレートが良いかも。口に入れた時のほろ苦さもまたおいし。最後に口の中に残った後味が美味しければ、どんな割れ方をしても結果はOKです。とどのつまり、中身で勝負と言う事でしょう。
ちなみに、板チョコについている溝は、割りやすくするためにつけられているのではありません。溝をきることで、チョコレートの表面積が大きくなるので、早くチョコレートを固めるための工夫だそうです。上手に割れなかったことで落ち込まないように。
バレンタインデーの起源がどのような話しから始まったか、興味のある人はほとんどいないでしょう。完全にイベント化して、本来の意味なんぞどうでも良い感じ。
どんな起源だったか、ここでは書きませんが知りたい人は ウキ でご覧下さい。
日本とバレンタインのつながりは、昭和33年に新宿伊勢丹でメリーチョコレート と モリナガ が、バレンタインを題材にチョコレートの販促活動をスタートさせたことに始まり、これが定説のように語られています。昭和50年ごろに定着するまで、かなり苦労したようですが、もっと昔から日本にはバレンタインデーでチョコレートを売ろうと苦労していた会社があります。
昭和11年には、モロゾフ がしっかりとバレンタインキャンペーンをスタートさせているんです。更に、日本チョコレート・ココア協会に2月14日をチョコレートの日として制定させています。
しかし、バレンタインデーには、なんで、なんで、なんでがいっぱい付きまといます。
どこぞのタレントがトラック何台分のチョコレートが送られた、なんて話題、男が聞いても面白くもなんともない。
そもそも、なんでチョコレートなの?
なんで、女性から愛を告白できる日なの?
チョコレートはお菓子屋さんの発想力の豊かさとして百歩譲ったとしても、普通に男性から女性にチョコレートをプレゼントして 「愛を告白」 する日にしておけば、草食男子の解消法にもつながっていたかもしれないのに。
決して、チョコレートを貰えなかった男の僻みではありませんよ。
近所のバーでは、バレンタインでチョコレートがもらえなかった男の子の会が毎年行われています。かわいそうな男の子には、マスターから チョコレートスタウト のプレゼントがあるそうですよ。
私は見栄をはって絶対に行きません。
それでも、チョコレートをもらえるとやっぱり嬉しいですね。
ちゃんとお礼もしてますよ。

今時、義理チョコにも使わないだろうという、板チョコ。バレンタインデー当日に68円で特売をしていたので、ありがたく買ってまいりました。
バレンタインデーが終ると、売れ残ったチョコレートのディスカウントが始まるので、そっちのほうが嬉しかったりします。
ところで、板チョコには割りやすくするために 溝 がついています。ところが、溝に沿ってチョコレートを割るのは 至難の技です。

注意してチョコレートを割っても

こんな割れ方をしたり、

こんな割れ方をしてしまいます。
板チョコの割れ方を見ていると、男女の関係に似ているように思えます。
色々頑張ってバレンタインだと心の準備を整えても、いざとなったら全く予想だにしない人から本命チョコレートをもらったり、期待していた人からもらえなかったりとか…
板チョコが変な形で割れてしまうように、男女の仲は思うようには割り切れません。
今年、アテがはずれてしまった男の子と女の子は、板チョコを買ってきて、思うように割れない不合理さを感じてみてください。男女の仲なんてそんなものです。
買うなら、カカオ含有量が多いチョコレートが良いかも。口に入れた時のほろ苦さもまたおいし。最後に口の中に残った後味が美味しければ、どんな割れ方をしても結果はOKです。とどのつまり、中身で勝負と言う事でしょう。
ちなみに、板チョコについている溝は、割りやすくするためにつけられているのではありません。溝をきることで、チョコレートの表面積が大きくなるので、早くチョコレートを固めるための工夫だそうです。上手に割れなかったことで落ち込まないように。
バレンタインデーの起源がどのような話しから始まったか、興味のある人はほとんどいないでしょう。完全にイベント化して、本来の意味なんぞどうでも良い感じ。
どんな起源だったか、ここでは書きませんが知りたい人は ウキ でご覧下さい。
日本とバレンタインのつながりは、昭和33年に新宿伊勢丹でメリーチョコレート と モリナガ が、バレンタインを題材にチョコレートの販促活動をスタートさせたことに始まり、これが定説のように語られています。昭和50年ごろに定着するまで、かなり苦労したようですが、もっと昔から日本にはバレンタインデーでチョコレートを売ろうと苦労していた会社があります。
昭和11年には、モロゾフ がしっかりとバレンタインキャンペーンをスタートさせているんです。更に、日本チョコレート・ココア協会に2月14日をチョコレートの日として制定させています。
しかし、バレンタインデーには、なんで、なんで、なんでがいっぱい付きまといます。
どこぞのタレントがトラック何台分のチョコレートが送られた、なんて話題、男が聞いても面白くもなんともない。
そもそも、なんでチョコレートなの?
なんで、女性から愛を告白できる日なの?
チョコレートはお菓子屋さんの発想力の豊かさとして百歩譲ったとしても、普通に男性から女性にチョコレートをプレゼントして 「愛を告白」 する日にしておけば、草食男子の解消法にもつながっていたかもしれないのに。
決して、チョコレートを貰えなかった男の僻みではありませんよ。
近所のバーでは、バレンタインでチョコレートがもらえなかった男の子の会が毎年行われています。かわいそうな男の子には、マスターから チョコレートスタウト のプレゼントがあるそうですよ。
私は見栄をはって絶対に行きません。
それでも、チョコレートをもらえるとやっぱり嬉しいですね。
ちゃんとお礼もしてますよ。