樽廻船の町・伝法 暮らしの古典83話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

2024年6月22日(土)、梅雨の晴れ間を縫って

澪標住吉神社(此花区伝法3)に参り常夜燈の刻字を確かめに歩きました。

前回の訪問は5月4日(土)でした。

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 https://ameblo.jp/tanonoboru/entry-12851563625.html

河口「澪標」探検記:2024-05-09 19:45:43≫ 

今回は一人歩きゆえ、普段にもまして勝手気ままに行きつ戻りつ、

阪神なんば線西九条駅から伝法方面に向かう道すがら

大阪市章「みおつくし」探索しながら歩きました。

大阪市章「みおつくし」ならぬ

大阪府章「千成びょうたん」を発見したりもしました。

場所は伝法川跡を下りた所の鴉宮(此花区伝法2)です。

「みおつくし」と「ひょうたん」とは、

住民の愛着度に違いはありそうです。

 

北に行けば程なく旧鴻池本店・本宅。

道路を隔てて澪標住吉神社の正面です。

写真図1 澪標住吉神社の正面

左手に金属製の真新しい「みおつくし」が目に付きます。

拝殿には菰樽が奉納されています。

「松竹梅」とあります。

そうそう、伝法は造り酒屋の町でした。

写真図2 拝殿に奉納されている菰樽

懸案の樽屋が献納した常夜燈は参道にあります。

写真図3 樽屋が献納した常夜燈

写真図4 「澪標住吉社」の「標」が「漂」になっている常夜燈

 

伝法は江戸時代、菱垣廻船に向こうを張って

江戸積の樽廻船出航で栄えた町だったかな?

 

常夜燈裏側には「樽工」「樽屋」など読み取られます。

この日は、その歴史を知りたくなって

文献調査に図書館をハシゴすることにしました。

まず此花図書館に立ち寄り郷土史コーナーで文献をあさりました。

写真図4 此花図書館玄関そこでは『伝法のかたりべ』に目を通し、数ページ複写しました。

次に正蓮寺川公園を東向し北港通に抜けてお隣の福島図書館へ。

最寄りの野田阪神駅からは大阪市立中央図書館に出かけました。

以下、澪標住吉社で目にしたモノを

梯子して寄せ集めてきた記事で以て読み解こうと思います。

 

まず紋章にあしらわれている「澪標みおつくし」を『大阪府全志』から。

*『大阪府全志』:井上正雄『大阪府全志 巻2』1922年初版、

        1975年復刻版、清文堂、「第三篇 国郡市町村志」

低部の地にありし津頭は復た地形の推移と共に

 其の位置に変動ありしなるべきも、

 水辺に蘆葦叢生しければ澪標を設けて入津船舶に航路を示せしが為め、

 蘆と澪標とは難波津の名物となりて、

 澪標は現に大阪市の徽章に採用せらる、

 

澪標住吉社(以下「神社」)周辺の立地は

「低部の地にありし津頭」といえます。

淀川の土砂堆積によって出来た蘆葦の繫茂する多数の洲々の一つであり

往時、歌枕「八十島」で緩く括られる洲・島でありました。

当地に航路標識である澪標が打ち込まれたか否かは

「社伝」の他に確かめる術もありませんが、

*『地名大辞典』には、開発の時代を次のように記述されています。

 *『地名大辞典』:『角川日本地名大辞典』27大阪府、1983年,

         「大阪市 此花区」沿革[原始~中世]

◆…原始から中世にかけては詳らかでなく

伝法が石山本願寺への補給路の一つであったことが知られるが、

近世に入って開発が進められたところである。

 

たしか大坂冬の陣の時、

東軍方が「伝法口」から野田新家(福島区)に攻め入り、

「五分一(ごぶいち)」(北区中之島)から城下に攻め挙げる際、

この地が瀬戸内海からの入口であったことは間違いありません。

伝法が脚光を浴びるのは樽廻船問屋の台頭からです。

 

常夜燈の刻字に「樽廻船」は未見ですが、

「樽」を含む名辞は

天保十五年…」とある常夜燈の「樽工□切講」

「嘉永五…壬子」とある常夜燈の「北樽屋中世話人」

「天保十五年」は1844年、「嘉永五…壬子」は1852年です。

「樽工□切講」の□は、サンズイ篇に「突」です。

樽を作る職人仲間による奉納物と考えます。

 

『大阪府の地名Ⅰ』1986年、平凡社「伝法村」の項に

天明年間における当地・伝法の「小都市の景観」が記述されています。

◆天明年間*(1781~1788)には

 船数200余・家数400・人数1900余に減少したといわれる(西成郡史)。

 もっともその頃当地には廻船業のほか酒株37・醤油造株3・

 樽屋26・運送屋3・寒天晒屋2・焼酎屋4・籠屋2・竹屋2・

 畳屋2・家および船大工9・紺屋4・質屋4・寺子屋4・商人73・

 医師・按摩17・社人3・僧尼道心者35などがあり、

 小都市の景観を呈していた。

 

廻船業のほか18項目の職人・渡世人を挙げられている中に、

「樽屋26」が見えます。

樽および樽廻船に関連しそうなのを抜き出しますと

酒・醤油造・運送屋・焼酎屋・竹屋・船大工といった職種が挙げられます。

今日、僅かに残された石造物からでも

往時の当地の暮らしぶりが仄かに見えてきます。

次回は、『伝法のかたりべ』記事の読み直しをします。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登