河口「澪標」探検記 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

先週の土曜日、2024年5月4日、晴天下、大阪湾岸河口部に

「澪標探検」に歩きました。

まず、大阪湾の天保山の観光スポット「澪標(みおつくし)」。

写真図1 天保山の観光スポットの「澪標(みおつくし)」

もちろん、ここに立っていては航路標識たりえません。

大阪港のシンボルです。

次に電車を乗り継ぎ阪神なんば線千鳥橋駅に出て、

此花区歴史研究会の梶野勝司さん、阪俗研の東野利明会友、

今村一善会友と此花区伝法の澪標住吉神社をめざしました。

この探検の目標は、大阪市市章の澪標、澪標住吉神社の澪標に纏わる伝承、

それに川筋・ミナトの景観の発見をお三方に呼び掛けて出発しました。

歩き始めて早速、大阪市市章の澪標が下水の蓋に発見されました。

地下に走る下水管は大阪市下水局の管轄です。

地下に在って身を尽くして大阪市民の暮らしの安全を守っているのです。

地上を見上げますと

照明灯の柱にも澪標が発見されました。

夜道を照らすのも大阪市の管轄なんですね。

写真図2 路上の大阪市市章の澪標

程なく澪標住吉神社に着き、

ここからは此花区歴史研究会の梶野勝司さんの案内で、たくさんの澪標を発見しました。

石柱に「澪標住吉神社」の文字が刻まれ、たしかに「澪標」の文字が見えます。

正面の拝殿の賽銭箱の紋章には澪標が背後に見えます。

写真図3 澪標住吉神社

ご霊験や如何?

写真図4 「導きの神」みおつくし住吉神社

洒落たポスターが貼られています。

此花区歴史研究会の梶野勝司さん曰く

「地元此花区の昇陽の生徒さんの作品です」と。

「導きの神」とあります。

拝殿の軒の幟にも「導きの神」とあります。

人生の岐路に立った時、

澪標は、単なる棒杭ではなく正しい航路に導く標識です。

港に行きたくなりました。

 

北伝法の寺町を西進すれば、伝法港です。

船溜まりがあって、さらに西進しますと水門「ミナト」です。

写真図5 伝法港

淀川に経木を撒く勇壮な正連寺の川施餓鬼が船出する港です。

団扇太鼓に煽られて水門を出づれば、淀川が豁然と開けたものです。

ここで小田原評定、対岸の西淀川区の港に出るのに、

阪神電車に乗るか、歩いて伝法大橋を渡るか?

自転車通行の難を避けながら橋を渡ることを決定。

此花区の梶野勝司さんと別れ、阪俗研の三人連れになりました。

 

対岸からの眺めは素晴らしかった。

堤防上に若い女性たちが対岸を眺めています。

二言三言、話しかけました。

ネパールからやってきた学生たちでした。

写真図6 淀川左岸から大阪の街を眺める

               山国ネパールからの女性たち

彼女たちは暫し眺めた後、水辺におりたちました。

彼女たちにも野遊び、水遊びといった習俗はあるのでしょうか?

一行三人は、西進し、堤防下に大野川河口の船溜まりを眺めました。

写真図7 大野川河口の船溜まり

西島水門の上を通過したあたりから、

対岸に人工島・舞洲の木立が遠く遥かに黒く見えてきました。

舞洲は埋立られた島とはいえ、今では木立が茂り

人工浜では野鳥が魚を漁る島となっています。

一行は西島水門に折り返し、西島川の緩やかな曲線に沿って

出来島方面に北進しました。

神崎川に出る所にも水門があって、其処は大野水門です。

「春宵一刻値千金」とはいえ、さすがに陽も西に傾き、

酒が恋しくなり、阪神なんば線の出来島駅に向かいました。

駅前とて人気がありません。

駅周辺をグルっと廻り、

やっと見つけたのは、何とインド・ネパール料理店でした。

よほどネパールにご縁がある一日なんでしょう。

店内に入って、見つけたのは今回の大阪市市章の澪標でした。

此処での澪標は食の安全を保障する印です。

写真図8 駅前インド・ネパール料理店の大阪市市章の澪標

今、思えば2016年頃から、出来島の対岸の中島を調べに歩いていた時にも

南アジア系の人たちに何度か出くわしたことがあります。

西大阪と南アジアとは、何処かで繋がっているのでしょう。

今回の「河口澪標探検」は

7月末に大阪市此花区で、大阪市市章の澪標について

講演するための準備作業の一環としてのものです。

いずれ、ご案内します。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登