ミナト「水門」の情景 暮らしの古典76話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

前回、万葉語ミナト「水門」の地形を探りました。

今回はミナト「水門」を取り巻く環境を情景として

取り上げることにします。

水門は水辺なるゆえ、波の音が聞こえてきます。

 

「詠二勝鹿真間娘子一並短歌」巻9-1807の「真間娘子」は、

『集成2』1978年の頭注に

「千葉県市川市真間あたりにいた伝説上の娘子[ルビ:おとめ]、手児名。

妻争いの渦中に置かれて自殺したという悲話の主人公…」とあります。

〽鶏が鳴く 東の国に(中略)…波の音の さわく湊*[原文:「湊」]の 

  奥つ城[ルビ:おく―き]に 妹[ルビ:いも]が臥やせる

[ルビ:こ(やせる)]…

「奥つ城」とはお墓で、その裏から波の音が聞こえてくるのです。

 

『集成2』「波の音の…」の頭注に

「以下四句、墓を見ながら、

  入水自殺した娘子の姿を幻視した表現」とあります。

墓の裏の水辺に漣が聞こえてくることから、

入水した娘子を幻視したのです。

 

万葉語「ミナト」は水辺です。

「羇旅発レ思歌五十三首」中に巻12-3159に

「ミナトミ」なる語があります。

旅にしての思いや如何?

写真図 淀川右岸(西淀川区福町地先)での情景

    山国ネパールからやってきたという女子学生たち

    撮影日:2024年5月4日

『集成3』1980年の一首前の3158の頭注に次の記述があります。

◇以下四首は、旅先で逢った女にかかわる歌で、一組をなすか。

〽湊廻*[ルビ:みなとみ][原文:「湖転」]に 満ち来る潮の

 いやましに  恋は余れど 忘らえぬかも

 

『テキスト3』1973年の「湊廻」頭注に

「ミは、そのまわりを表わす接尾語」と。

また『集成3』の頭注には次の記述があります。

港みに 「港み」は舟の泊る川口のあたり。上二句は序。

  「いや増し」を起す。

◇恋はあまれど 恋心が表情に出たり、溜息となって洩れたりする意。

 

「ミナトミ」の場所を「舟の泊る川口のあたり」と絞りこみますと、

「旅先で逢った女」とは、

 港町での一夜妻への浅はかな恋心とも解釈されます。

これは、あまりにも情話に引き寄せての解釈でしょうか?

水門の植生に目をやります。

 

『テキスト2』1972年、巻7-1169

「雑歌/就所発思三首」に「草」が見えます。

〽近江の海 湊*[原文:「湖」]は八十ち いづくにか

 君が舟泊て 草結びけむ

 

「湊は八十ち」頭注に「ミナトは本来河口をいう」とあります。

また『集成2』1978年は「港」の頭注に

「河口。舟のたまり場となることが多い」と記しています。

また『テキスト2』の「草結びけむ」の頭注に

「草や木の枝を結ぶのは、旅の無事を祈るまじない。

旅に出た夫を思う歌であろう」とあります。

数ある舟溜まりの何処で夫は草を結んでいるのであろうか?

遠く離れて魂結びの呪いをしている夫を妻が想像しているのです。

 

「寄物陳思歌三百二首」中の「しり草」や如何?

『テキスト3』1973年、巻11-2468

湊葦[ルビ:みなとあし]*[原文:「湖葦」]に 交じれる草の

 しり草の 人皆知りぬ 我が下思ひは

 

『集成3』1980年、頭注に次の記述があります。

◇港葦に 上三句は序。同音で「知りぬ」を起す。

◇しり草 未詳。

 

要は「私の秘かな思いは、みんな知ってますよ」というメッセージに

湊葦に 交じれる草の しり草の」が駆り出されたまでのことで、

「しり草」の正体追究は詮無きことです。

むしろ「湊葦」、河口に生える葦に注目します。

『テキスト2』1972年、「雑歌/旋頭歌廿四首」中の巻7-1288に

「葦」が詠みこまれています。

〽水門*[原文:「水門」]の 葦の末葉[ルビ:うらば]を

 誰か手折りし 我が背子が 振る手を見むと 我そ手折りし

 

『テキスト2』頭注「振る手を見むと」は以下のとおりです。

◆作者に対して男が別れを惜しんで振る手。*唱和の形をとる例の一つ。

   旅に出る男を見送る女の作とも、港町の遊行女婦の吟ともみられる。

 

また『集成2』1978年は、この歌を評して

「港の宿場で歌われた謡い物であろう」とも。

「振る手」のパフォーマンスは、遊行女婦「うかれめ」にも見えるのです。

港町で謡われたとされるのは、『テキスト3』1973年、

「未国雑歌十七首」の中の巻14-3445です。

この歌にも「小菅」とともに「葦」が歌いこまれています。

〽水門*[原文:「美奈刀」][ルビ:みなと]の 葦が中なる 玉小菅

 刈り来我が背子 床の隔しに

 

『テキスト3』「床の隔しに」の頭注に次の記述があります。

◆隔シは、四段活用隔ツの名詞形隔チの転。

   寝床の周囲をめぐらす衝立のようなものをいうか。…

 

水門の葦原に生える小菅を男女の共寝の床の隔てに

刈って来てくださいなとは、

つい勘ぐってしまいますが,

折口信夫は1936年7月「東歌疏」『万葉集総釈』第7に

「床の隔しに」の語釈に次のとおり記述しています。

◆床の隔しに とこは寝所。寝る座席は床で、厳密にはとこと区別がある。

   へだしはへだてと同語で、帷[ルビ:トバリ]・帳・壁代・堅菰の類。

   納戸の目かくしに当る。

 

これ以上の詮索は止します。

『集成4』1982年に次の記述があります。

◆前歌の草摘みを承ける。次歌とともに水辺の宿場の歌

「次歌」巻-3446を掲げます。

〽妹なろが 付かふ川津の ささら荻 葦と人言 語りよらしも

 

頭注に「宿場近くの荻をもちあげた歌。宴席歌であろう」とあり、

続いて「妹なろ」の語釈に

「遊行女婦[ルビ:うかれめ]をさす」とあります。

授業の「古典」では踏み込めなかった領域にまで達しました。

次回は、ミナトの音の世界を探究します。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登