前回、万葉語ミナト「水門」の地形を探りました。
今回はミナト「水門」を取り巻く環境を情景として
取り上げることにします。
水門は水辺なるゆえ、波の音が聞こえてきます。
「詠二勝鹿真間娘子一並短歌」巻9-1807の「真間娘子」は、
『集成2』1978年の頭注に
「千葉県市川市真間あたりにいた伝説上の娘子[ルビ:おとめ]、手児名。
妻争いの渦中に置かれて自殺したという悲話の主人公…」とあります。
〽鶏が鳴く 東の国に(中略)…波の音の さわく湊*[原文:「湊」]の
奥つ城[ルビ:おく―き]に 妹[ルビ:いも]が臥やせる
[ルビ:こ(やせる)]…
「奥つ城」とはお墓で、その裏から波の音が聞こえてくるのです。
『集成2』「波の音の…」の頭注に
「以下四句、墓を見ながら、
入水自殺した娘子の姿を幻視した表現」とあります。
墓の裏の水辺に漣が聞こえてくることから、
入水した娘子を幻視したのです。
万葉語「ミナト」は水辺です。
「羇旅発レ思歌五十三首」中に巻12-3159に
「ミナトミ」なる語があります。
旅にしての思いや如何?
山国ネパールからやってきたという女子学生たち
撮影日:2024年5月4日
『集成3』1980年の一首前の3158の頭注に次の記述があります。
◇以下四首は、旅先で逢った女にかかわる歌で、一組をなすか。
〽湊廻*[ルビ:みなとみ][原文:「湖転」]に 満ち来る潮の
いやましに 恋は余れど 忘らえぬかも
『テキスト3』1973年の「湊廻」頭注に
「ミは、そのまわりを表わす接尾語」と。
また『集成3』の頭注には次の記述があります。
◇港みに 「港み」は舟の泊る川口のあたり。上二句は序。
「いや増し」を起す。
◇恋はあまれど 恋心が表情に出たり、溜息となって洩れたりする意。
「ミナトミ」の場所を「舟の泊る川口のあたり」と絞りこみますと、
「旅先で逢った女」とは、
港町での一夜妻への浅はかな恋心とも解釈されます。
これは、あまりにも情話に引き寄せての解釈でしょうか?
水門の植生に目をやります。
『テキスト2』1972年、巻7-1169
「雑歌/就レ所発レ思三首」に「草」が見えます。
〽近江の海 湊*[原文:「湖」]は八十ち いづくにか
君が舟泊て 草結びけむ
「湊は八十ち」頭注に「ミナトは本来河口をいう」とあります。
また『集成2』1978年は「港」の頭注に
「河口。舟のたまり場となることが多い」と記しています。
また『テキスト2』の「草結びけむ」の頭注に
「草や木の枝を結ぶのは、旅の無事を祈るまじない。
旅に出た夫を思う歌であろう」とあります。
数ある舟溜まりの何処で夫は草を結んでいるのであろうか?
遠く離れて魂結びの呪いをしている夫を妻が想像しているのです。
「寄レ物陳レ思歌三百二首」中の「しり草」や如何?
『テキスト3』1973年、巻11-2468
〽湊葦[ルビ:みなとあし]*[原文:「湖葦」]に 交じれる草の
しり草の 人皆知りぬ 我が下思ひは
『集成3』1980年、頭注に次の記述があります。
◇港葦に 上三句は序。同音で「知りぬ」を起す。
◇しり草 未詳。
要は「私の秘かな思いは、みんな知ってますよ」というメッセージに
「湊葦に 交じれる草の しり草の」が駆り出されたまでのことで、
「しり草」の正体追究は詮無きことです。
むしろ「湊葦」、河口に生える葦に注目します。
『テキスト2』1972年、「雑歌/旋頭歌廿四首」中の巻7-1288に
「葦」が詠みこまれています。
〽水門*[原文:「水門」]の 葦の末葉[ルビ:うらば]を
誰か手折りし 我が背子が 振る手を見むと 我そ手折りし
『テキスト2』頭注「振る手を見むと」は以下のとおりです。
◆作者に対して男が別れを惜しんで振る手。*唱和の形をとる例の一つ。
旅に出る男を見送る女の作とも、港町の遊行女婦の吟ともみられる。
また『集成2』1978年は、この歌を評して
「港の宿場で歌われた謡い物であろう」とも。
「振る手」のパフォーマンスは、遊行女婦「うかれめ」にも見えるのです。
港町で謡われたとされるのは、『テキスト3』1973年、
「未レ勘レ国雑歌十七首」の中の巻14-3445です。
この歌にも「小菅」とともに「葦」が歌いこまれています。
〽水門*[原文:「美奈刀」][ルビ:みなと]の 葦が中なる 玉小菅
『テキスト3』「床の隔しに」の頭注に次の記述があります。
◆隔シは、四段活用隔ツの名詞形隔チの転。
寝床の周囲をめぐらす衝立のようなものをいうか。…
水門の葦原に生える小菅を男女の共寝の床の隔てに
刈って来てくださいなとは、
つい勘ぐってしまいますが,
折口信夫は1936年7月「東歌疏」『万葉集総釈』第7に
「床の隔しに」の語釈に次のとおり記述しています。
◆床の隔しに とこは寝所。寝る座席は床で、厳密にはとこと区別がある。
へだしはへだてと同語で、帷[ルビ:トバリ]・帳・壁代・堅菰の類。
納戸の目かくしに当る。
これ以上の詮索は止します。
『集成4』1982年に次の記述があります。
◆前歌の草摘みを承ける。次歌とともに水辺の宿場の歌。
「次歌」巻-3446を掲げます。
〽妹なろが 付かふ川津の ささら荻 葦と人言 語りよらしも
頭注に「宿場近くの荻をもちあげた歌。宴席歌であろう」とあり、
続いて「妹なろ」の語釈に
「遊行女婦[ルビ:うかれめ]をさす」とあります。
授業の「古典」では踏み込めなかった領域にまで達しました。
次回は、ミナトの音の世界を探究します。
大阪民俗学研究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登