2024年6月1日(土)第11回「福っくらトーク」で40分ほど
「大阪のみおつくし」の話題提供をしました。
写真図1 ポスター:玉尾照雄「福っくらトーク」代表制作
参加者の一人の高橋秀幸会友から以下のレポートをいただきました。
引用し報告の軸にします。
◆6月1日の『福っくらト~ク』では、
田野先生に大阪の「みおつくし」についてお聞かせ頂きました。
大阪市の市章である「みおつくし」は、マンホールの蓋、
道路の照明灯(電柱)、駐輪場の看板などに見る事ができます。
「みおつくし」は、澪標(れいひょう)として、
船を正しい水路に導くために木で出来た棒杭だった。
明治27年、大阪市章制定の時、商都を代表するのに、
「みおつくし」を市章とする根拠の一つに
平安時代中期(905年)の「延喜式」の記事が挙げられ、そこには
「難波津にみおつくしを立て、
腐ったり朽ちたりしたのを見つけると抜き去れ」と命じられている。
同じく平安時代の土佐日記にはみおつくしが立っている沖から入って、
難波(津)に入って川尻に入ったともある。
いっぽう万葉集はじめ歌では、みおつくしは、
「身を尽くす」「心を尽くす」と
恋歌(ラブソング)に使われていたのだった。(中略)
以下、田野による書き込み。
写真図2 コンテンツ
1 街角の「みおつくし」探検/2 「ミヲツクシ」分解
3 延喜式「難波津頭海中立澪標」/4 近世文献にみえる「みを」語彙
5 大阪市章制定の物議/6 「みおつくしの鐘」のメッセージ
写真図3 ≪1 街角の「みおつくし」探検≫
≪1 街角の「みおつくし」探検≫では、
たしかに「道路の照明灯(電柱)」などに見つかりました。
左の写真の電柱の右にLEDランプが見えます。
右の電柱の仲程の白い表示板の右上に
「みおつくし」が描かれているのが見えますか?
大阪の街を明るく、火災時の消火に、災害時の避難場所誘導などなど
大阪市章「みおつくし」の付いた施設は、
大阪市民の暮らしの安全を下支えしています。
ときおり「これ民間受託になったん?」という「発見」があったりもします。
以下、高橋レポートの≪6 「みおつくしの鐘」のメッセージ≫から
結びを引用します。
◆…明治27年、大阪市章制定の時、
近代都市「大阪市」では、恋歌をシンボルに使うには反対もあったが…、
その情意は『みおつくしの鐘』では、親から子への愛情、
母親から子供への愛に結実した。
『みおつくしの鐘』を鳴らして「家に帰れ」という意味があった。
青少年を犯罪、非行から守れと。
午後10時になってサイレンを鳴らしては、不快な空襲を連想されたが、
昭和30年に美しい平和の鐘の音に決まった。
その鐘の名前に「みおつくしの鐘」があてられた。
普段の生活の中で、
みおつくしを意識して考える事はありませんでしたので、
本当に凄く勉強になりました。
高橋レポートでは、
「福っくらトーク」での話題提供のツボを抑えていただきました。
市章制定の時、揶揄された「身を尽くし」の
「情意」を「母親から子供への愛」に
置き換えたのが「みおつくしの鐘」でした。
写真図4 ≪6 「みおつくしの鐘」のメッセージ≫の冒頭
≪「みおつくしの鐘」のメッセージ≫では、
「みをつくし」という言葉のもつ
情意からの
大阪の「みおつくし」に気づかされます」と書きました。
キーワードの「情意」が高橋レポートには反映されております。
近代日本社会にあって「理知」「知性」「理性」といった、
時に賢しらぶって聞こえる言葉で済ませることなく、
率直に「愛」を表現し得たのが「
みおつくしの鐘」という名称だったのでしょう。
今では、知る人ぞ知る、大阪の街に夜な夜な鳴らされ続ける鐘の音を、
玉尾代表が中之島で録音した音色に傾聴しました。
7月28日は「なにわの日」です。
此花区の区民ホールにて、
≪大阪市章「みおつくし」今昔-浪花の澪標≫の講演では、
これに≪校歌に謳われた示教≫を絡めてお話しする準備を進めています。
大阪民俗学研究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登