難波の澪標(1) 暮らしの古典78話 | 晴耕雨読 -田野 登-

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大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の「暮らしの古典」は78話≪難波の澪標(1)≫です。

「澪標」は「みおつくし」と読み、大阪市章であります。

2016年6月18日(土)に大阪市住之江区の咲洲まで

市章「みおつくし」の立っていた場所を確かめに歩いたことがあります。

「立入禁止」の囲いの場所が市章「みおつくし」の立っていた場所のようで

すぐ丘の上に「みおつくし」の説明板が見つかりました。

写真図 市章「みおつくし」の立っていた場所

    撮影日:2016年6月18日

「みおつくし」説明板には
次のように記されていました。

以下、本ブログ*市章「みおつくし」の謎:2016-06-23 14:13:46記事

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◆みおつくし(澪標)は、古代難波津の時代から
 大阪の港に立てられていた航路標識です。
 大阪の繁栄は、昔から水運と出船入船に負うところが多く、
 人々に親しまれ、港にもゆかりの深い
「みおつくし」が、
 
明治27年(1894)4月大阪市の市章となりました。
 設置者 大阪市/大阪市市章「みおつくし」

 

この明治27年(1894)4月大阪市の市章となった「みおつくし」は、

*『万葉集』に挙げられている歌では「難波津」ではなく、

遠江国の歌でした。

 *『万葉集』:『萬葉集三』

(日本古典文学全集4、小学館、1973年 以下、『テキスト3』1973年)、

巻14-3429 

◆〽3429 遠江 引佐細江の 水脈*[原文:「水乎都久思」]

 我[ルビ:あれ]を頼めて あさましものを

 

「水乎都久思」が「みをつくし」と読まれ

「遠江国譬喩歌」として挙げられています。

『萬葉集四』(新潮日本古典集成(第55回)1982年 以下『集成4』1982年)の通釈には、

「遠江の引佐細江のみおつくしは、すっかり私を安心させておきやがって…、

いっそ干しあげてやればよかったもの」と

「みおつくし」をダシにした恨み節です。

『集成4』1982年「引佐細江」語釈には

「静岡県引佐郡細江町にある浜名湖の入江」とあります。

 

『万葉集』にはミヲツクシが、もう一首詠まれています。

『テキスト3』1973年「羇旅発レ思歌五十三首」の36首目です。

〽3162 みをつくし*[原文:「水咫衝石」]心尽くして 思へかも

 ここにももとな 夢にし見ゆる

 

「羇旅発思歌」とありまして、

この「みをつくし」も難波津とは決めかねます。

通釈は、以下のとおりです。

◆(みをつくし)心を尽くして 妻が思うせいか

 ここでもやたらに 夢に見えることだ

 

この歌のみをつくし」頭注をあえて全文を載せます。

この頭注がボクの調査研究の出発点やからです。

◆ミヲ+ツ+クシの意。

 ミヲ(2860)の所在がわかるように杭を並べ立てて、

 往来の舟の目当てとする航路標識。

 ツは、庭ツ鳥・遠ツ人などのそれで、古い連体格助詞。

 クシは、地面などに突き立ててしるしにする木や竹などの棒。

 後には「澪標」と書くこともあり、

 その形も、木を組み合わせて図のようにしたものを用いた

 (大阪市の市章もこれをデザイン化したもの)。

 しかし古くは葉のついたままの笹をそのまま水底に突き立てたという。

 これもそれであろう。

 ツクシの音を繰り返す枕詞。

 

『集成3』1980年の頭注「みをつくし」は以下のとおりです。

◆航路標識として水中に立てる串。

 「心尽くして」の枕詞。

 

『テキスト3』1973年「みをつくし」頭注にある

「ミヲの所在」に注目しました。

「ミヲ」および「ミヲを冠する複合語」は、『万葉集』に16例、見えます。

用字は「水乎」「水咫」の他、「水尾」「水緒」があり、

表音による「美乎」も4例あります。

ここで「ミヲ」の場所を特定してみましょう。

 

試みに『テキスト2』1972年から

巻7「詠レ河十六首」のうち9首目の1108歌を挙げます。

泊瀬川 流るる水脈[ルビ:みを]*[原文:「水尾」]の 

 瀬を速み ゐで越す波の 音の清けく

 

頭注「水脈」は「川や遠浅の海で、他より特に深くなっている筋」とあり、

この「ミヲ」は、「泊瀬川」であって奈良県の初瀬川と特定できます。

次に列挙する「ミヲ」を含む歌は、

いずれも難波・堀江と特定されます。

 

①  巻7-1143 摂津作歌廿一首(4首目)

〽さ夜ふけて 堀江漕ぐなる 松浦舟 梶の音高し 水脈[ルビ:みを]

 *[原文:「水尾」]速みかも

②  巻12―3173 羇旅発思歌五十三首(47首目)

〽松浦舟 騒く堀江の 水脈[ルビ:みを]*[原文:「水尾」]速み 

 梶取る間なく 思ほゆるかも 

③  巻15-3627 属物発思歌一首…

〽3627 朝されば 妹が手にまく 鏡なす 三津の浜辺に 大舟に

 ま梶しじ貫き 韓国[ルビ:からくに]に 渡り行かむと 直向かふ

 敏馬[ルビ:みぬめ]をさして 潮待ちて 水脈引き[ルビ:みをび―]

 *[原文:「美乎妣伎」]行けば 白波高み 

④巻20―4360 *同十三日、兵部少輔大伴家持陳私拙懐歌一首…

*同十三日 天平勝宝七*(755)歳乙未相替遣筑紫諸国防人等歌

〽4360 皇祖の 遠き御代にも おしてる 難波の国に 天の下

 知らしめしきと 今のをに 絶えず言ひつつ(中略)

 敷きませる 難波の宮は 聞こし食す 四方の国より 奉る

 御調[ルビ:みつき]*[原文:「美都奇」]の舟は

 *堀江より 水脈引き[ルビ:みをび―]しつつ 朝なぎに 梶引き上り

 あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて 海原見れば(中略)

 ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも

⑤巻20―4460 *二十日、大伴宿祢家持依興作歌五首(1首目)

 *二十日:4457 天平勝宝八*(756)歳丙申二月朔乙酉廿四日戊申、

 太上天皇天皇大后幸河内離宮、経信(ふたよ)以壬子幸於

 難波也。三月七日、於河内国伎人郷馬国人之家宴歌三首

〽4460 堀江漕ぐ 伊豆手の舟の *梶つくめ 音しば立ちぬ

 水脈[ルビ:みを]

*[原文:「美乎」]速みかも-

⑥巻20―4461

〽4461 堀江より 水脈[ルビ:みを]*[原文:「美乎」]泝る

 *梶の音の 間なくそ奈良は 恋しかりける

 

「ミヲ」および「ミヲを冠する複合語」は、『万葉集』に16例のうち、

6例(6首)が難波・堀江と特定されました。

難波・堀江の「川や遠浅の海で、他より特に深くなっている筋」に

「みをつくし」が立てられていなかったのでしょうか?

『テキスト3』巻12―3162頭注「みをつくし」には、

「大阪市の市章」触れられていましたが、

難波・堀江と決めかねているように受け止めました。

次回、3162歌にある「みをつくし 心尽くして」の章句を

時代を降ってみることにします。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登