今週の暮らしの古典は、
77話≪ミナト「水門」の音の世界≫です。
前回、ミナト「水門」の植生を探りましたが、
動物も詠まれています。
動物と云っても…?
萬葉の水門からは、鳥の鳴き声が聞こえてくるのでした。
今回のミナト「水門」連載は、音響世界で結ぶことにします。
「かりがね」という言葉がありますように「たづがね」もあります。
「鶴が音」がミナトに響き渡っていたようです。
『テキスト1』1971年、巻3―352「雑歌/若湯王歌一首」を挙げます。
〽葦辺には 鶴がね*[原文:「鶴之哭」][ルビ:たづがね]鳴きて
湊風*[原文:「湖風」] 寒く吹くらむ 津乎[ルビ:つを]の崎はも
「鶴がね」の「ね」は音色の「ね」で、「鳴く」と重複しますので、
この歌では鶴そのものを意味します。
水門に吹く風に煽られて鶴が音が聞こえて来るにつけ
ひとしお寒さを感じるというのです。
『集成1』1977年、この歌の頭注に次の記述があります。
◆回想の歌。
港・葦・鶴は取り合わせとして固定していた。
これには、「風」も加えるべきです。
水門に響く鶴が音は風によって運ばれてきます。
『テキスト4』1975年、巻17-4018
大伴宿祢家持歌四首
〽湊風*[原文:「美奈刀可是」]寒く吹くらし
奈呉の江に 妻呼びかはし 鶴さはに鳴く(一に云ふ「鶴騒くなり」)
写真図 木津川の畔に群れ集うカモメ
撮影日:2022年12月30日
「妻呼びかはし」とあって、万葉歌人にはラブコールと聞こえているのです。
家持歌に同じ発想の歌があります。
『テキスト4』1975年、巻17-4006の詞書は
「入レ京漸近、非情難レ発、述レ懐一首並一絶」であります。
この歌は、帰京の日が近づいた家持が
任地である越中に残す大伴池主への述懐を詠んだ歌です。
以下「家持述懐歌」と称することにします。
この歌には「妻呼ぶと 渚鳥は騒く」が歌いこまれています。
以下、中略を挟んで歌全体を載せます。
〽かき数ふ 二上山に 神さびて 立てるつがの木(6句略)
夕されば 手携はりて 射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば
あゆの風 いたくし吹けば 湊*[原文:「美奈刀」]には 白波高み
妻呼ぶと 渚鳥*[原文:「須謄理」][ルビ:すどり]は騒く 葦刈ると 海人の小舟は 入江漕ぐ 梶の音高し(19句略)
ほととぎす 声にあへ貫く 玉にもが 手に巻き持ちて
朝夕に 見つつ行かむを 置きて行かば惜し
下線を引いた箇所は、音が聞こえてくる表現です。
「家持述懐歌」には、渚鳥の騒ぐ声,海人の小舟の梶の音とほととぎすの声が
詠まれているのです。
実に「射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば」に導かれ
「梶の音高し」まで14句が一気呵成に歌い上げられています。
[原文:「須謄理」][ルビ:すどり]につき、
『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店の「す‐どり」に当りました。
◆【渚鳥・洲鳥】
①洲(す)にいる鳥。シギ・チドリの類。
万葉集(17)「射水川湊(みなと)の―朝なぎに潟にあさりし」
②ミサゴの異称。
「① 洲(す)にいる鳥。シギ・チドリの類」であります。
舟溜まり近くの河口部の浅瀬で鳴く鳥に違いありません。
引用例「万葉集(17)」は、「射水川」と見え
「家持述懐歌」に関連する歌です。
いっぽうで「家持述懐歌」巻17-4006は、
先行する池主の歌との関連が『集成5』1984年の頭注に
以下のとおり指摘されています。
◆行を共にした遊覧の日を思い返して、名残惜しさを述懐した歌。
「射水川…楫の音高し」「ほととぎす」など、
池主の3993を踏まえた表現が随所に見られる。
「池主の3993」とは、巻17-3993であります。
詞書に「敬和下遊二覧布勢水海一賦上一首並一絶」とあります。
以下「池主の3993」を「池主敬和遊覧歌」と表記します。
『集成5』1984年は、
3993歌に先立つ大伴家持歌3991「布勢の水海に遊覧する賦一首…」の
「布勢の水海」の頭注に以下の記述があります。
◆二上山の西北麓、氷見市南部にあった湖。
今の十二町潟がその名残りであるという。
「池主敬和遊覧歌」の主題については
『集成5』3991歌の頭注に記しています。
◆二上山の賦(3985)が国府に近い山、立山の賦(4000)が遠い山を
それぞれ主題にしているのに対して、
中景に当る位置にある湖を主題にしている。
「中景に当る位置にある湖」とあります。
ようやく巻17-3993「池主敬和遊覧歌」を挙げる運びになりました。
この歌は『広辞苑 第七版』「渚鳥」の用例に挙げられた歌でした。
下線部は、家持歌と同じく耳に聞こえる聴覚的表現です。
『テキスト4』1975年、詞書は
「敬和下遊二覧布勢水海一賦上一首並一絶」です。
〽藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今そ盛りと(8句略)
思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば 射水川
湊*[原文:「美奈刀」]の渚鳥[ルビ:すどり]朝なぎに 潟にあさりし
潮満てば 妻呼びかはす(11句略)
布勢の水海に 海人舟に ま梶櫂貫き 白たへの 袖振り返し
率ひ[ルビ:あども―]て 我が漕ぎ行けば 乎布[ルビ:をふ]の崎
花散りまがひ 渚には 葦鴨騒き さざれ波 立ちて居ても 漕ぎ巡り
見れども飽かず(7句略)かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
以下、『テキスト4』1975年の頭注を掲げます。
〇湊の渚鳥-河口の舟着き場の洲に住む鳥。
〇率ひて―引き連れて。ここは、水夫が互いに励まし合い、
調子を合わせて漕ぐために、掛け声を出すことをいう。
〇さざれ波-立ツの枕詞。実景に基づく。
「池主敬和遊覧歌」が「家持述懐歌」の素材となっている指摘は
前に述べました。
この池主歌には聴覚表現が歌全体に散りばめられている感がします。
海人舟の漕ぎ手の勇ましい掛け声まで聞こえてきます。
実景を踏まえた「池主敬和遊覧歌」こそ、
ミナトの音の世界を表現していると礼讃します。
大阪民俗学研究会代表
大阪区民カレッジ講師
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登