難波の澪標(2) 暮らしの古典79話 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

今週の「暮らしの古典」は79話≪難波の澪標2≫です。

前回、難波・堀江を詠んだ歌に

「みをつくし」が詠まれていないことを踏まえて

「川や遠浅の海で、他より特に深くなっている筋」である「ミヲ」を詠む歌16首を精読し、次の難波・堀江と特定される歌6首を取り上げました。

 

①  巻7-1143 摂津作歌廿一首(4首目)

〽さ夜ふけて 堀江漕ぐなる 松浦舟 梶の音高し 水脈[ルビ:みを]

*[原文:「水尾」]速みかも

②  巻12―3173 羇旅発レ思歌五十三首(47首目)

〽松浦舟 騒く堀江の 水脈[ルビ:みを]*[原文:「水尾」]速み 

 梶取る間なく 思ほゆるかも 

③  巻15-3627 属レ物発レ思歌一首…

〽3627 朝されば 妹が手にまく 鏡なす 三津の浜辺に 大舟に

 ま梶しじ貫き

 韓国[ルビ:からくに]に 渡り行かむと 直向かふ

 敏馬[ルビ:みぬめ]をさして 潮待ちて 水脈引き[ルビ:みをび―]      *[原文:「美乎妣伎」]行けば 白波高み

④巻20―4360 *同十三日、兵部少輔大伴家持陳二私拙懐一歌一首…

*同十三日 天平勝宝七*(755)歳乙未相替遣二筑紫一諸国防人等歌

〽4360 皇祖の 遠き御代にも おしてる 難波の国に 天の下

 知らしめしきと 今のをに 絶えず言ひつつ(中略)敷きませる

 難波の宮は 聞こし食す 四方の国より 奉る 御調[ルビ:みつき]*[原文:「美都奇」]の舟は *堀江より

 水脈引き[ルビ:みをび―]しつつ 朝なぎに 梶引き上り あぢ群の

 騒き競ひて 浜に出でて 海原見れば(中略)

 ここ見れば うべし神代ゆ 始めけらしも

⑤巻20―4460 *二十日、大伴宿祢家持依レ興作歌五首(1首目)

 *二十日:4457 天平勝宝八*(756)歳丙申二月朔乙酉廿四日戊申、

 太上天皇天皇大后幸河内離宮一、経レ信(ふたよ)以壬子

 於難波宮也。三月七日、於河内国伎人郷馬国人之家宴歌三首

〽4460 堀江漕ぐ 伊豆手の舟の *梶つくめ 音しば立ちぬ

 水脈[ルビ:みを]*[原文:「美乎」]速みかも-

⑥巻20―4461

〽4461 堀江より 水脈[ルビ:みを]*[原文:「美乎」]泝る

 *梶の音の 間なくそ奈良は 恋しかりける

 

① 巻7-1143の歌には、『萬葉集二』(新潮日本古典集成(第21回)

1978年):『集成2』1978年の頭注「堀江」があり「ここは難波の堀江で、

今の天満を経て大阪湾に注ぐ大川をさす」とあります。

② 巻12―3173の歌には、頭注「騒く堀江」があり、「…この堀江は、難波堀江をいう」と。

頭注「梶取る間なく」には「…梶取ルまでが間ナシを起す序」と。

『集成2』1978年「通釈」には、

「…難波の堀江の流れが早くて…」とあります。

③巻15-3627の歌には、『テキスト4』1975年「三津の浜辺」頭注に

「この三津は、大伴の三津をさす。…」と。

*『萬葉集三』(日本古典文学全集4、小学館、1973年):『テキスト3』1973年、「地名一覧」の「大伴の三津」

:大伴は、現在の大阪市住吉区を中心とした地域をさす。

④ 巻20―4360の歌には、『テキスト4』「堀江」頭注には、「難波堀江」とあります。

⑤ 巻20―4460の歌には『集成5』1984年頭注「…以下三首、堀江をめぐる望郷歌。…」と。

同書『集成5』「梶つくめ」頭注に「櫓の穴(へそ)をかぶせる舷

[ルビ:ふなばた]の突起」と。

⑥ 巻20―4461の歌には、『テキスト4』1975年「梶の音の」語釈に

「以上三句、間ナシを起こす序。堀江をさかのぼる舟が絶え間ない意でかける」と。 

 

以上6首の歌が難波・堀江の「ミヲ」を詠んだものとする注釈を挙げました。

「ミヲ」は「澪」の漢字が宛てられ、「延喜式」に記事があります。

「延喜式」とは『広辞苑 第七版』 ©2018 株式会社岩波書店に

「弘仁式・貞観式の後をうけて編修された律令の施行細則。…

927年(延長5)撰進。967年(康保4)施行」とあります。

以下の記事は、マイブログ≪大阪市章「澪標」のメッセージ(3)

2020-10-26 20:39:44≫に基づきます。

「水脈引き」は「澪引」として、
平安時代の施行細則*「延喜式」雑式に見えます。
 *「延喜式」雑式:延喜式巻第五十 雑式、
  (『新訂増補国史大系巻26巻』黒板勝美編輯
   1937年、吉川弘文館)
◆凡太宰貢
雑官者船。到縁海国。澪引知泊処

 

「澪」には、ルビ「ミヲ」が、
「泊」にはルビ「トマリ」が振られています。
太宰府への貢ぎ物を運び込む船に、

「澪引」が停泊場所を知らせよとあります。
難波津に正しい水路に導くべく
「澪標」を立てさせていた記事は、
この「澪引」の一項目前にみえます。
◆凡
難波津頭海中立
澪標一。
 若有
旧標朽折者。捜求抜去。

「澪標」にはルビ「ミヲツクシ」が、
「標」にはルビ「シルシ」が振られています。
澪標は、難波津湾頭の海中に突き刺された木製の棒杭です。
「腐ったり朽ちたりしたのを見つけたら、抜き去れ」とあります。
航行するのに危険です。

写真図 天保山船着き場のシンボル「澪標」の金属製の模型

    撮影:2024年5月4日


「難波津頭海中立澪標」といった記事から察しますと、

難波・堀江の河川に平安時代には多数の「澪標」が突き立てられていて、

「澪引」をするする「水脈船」は、

澪標に沿って水先案内をしていた情景を想像します。

かくして航路標識「みをつくし」が

「なには」を象徴する歌語となったのです。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登