便利になった現代社会では運動不足になりがちだと考えられます。
人類の歴史においてここまで歩いたり走ったりしなくても生活できる状態なのはむしろ異常なことなのかもしれません。
ただその中にいると当たり前になりがちです。
ということで多くの人にとってまずは運動不足に気づくことが重要になるわけです。
ちなみにそれは簡単なことでしょうか。
睡眠不足よりも自覚しにくいというのが前回の話題でした。
直接的な指標がないので案外難しいのかもしれません。
同じ時間だけ運動しても負荷のかけ具合で変わってしまうでしょう。
体格や筋力や年齢などでも必要量は変わってくると推測できます。
もしかしたらその日の精神状態の影響も受けるかもしれません。
関連要素が多いため適正を導き出すのは容易でない気もします。
なので不足していても認識しにくいと想像します。
もちろん様々なデータを分析して理想を描くことは可能だと思います。
体力測定をすれば一目瞭然のこともあるでしょう。
といってもそこに実感が伴わなければ机上の空論と変わらないでしょう。
結局のところ自覚できなければ改善には向かいにくいわけです。
主体性なく運動しても大抵は非効率です。
そんなわけで運動不足に気づくためのポイントを考察してみることにします。
とにかくその第1は自分が運動不足である可能性に心を開くことだと感じます。
少し抽象的ですがこれは最重要かもしれません。
これができていないと気づくことはほぼ不可能でしょう。
人は意識していないことには鈍感です。
周りの人が同様に運動不足であればなおさらです。
よりそれが当たり前となってしまいます。
そして実際にそのような環境にある人もたくさんいそうです。
しかし心を開くといってもやり方がわからないかもしれません。
運動について考えたことがあまりない人であればそれが普通でしょう。
そのためにどうすれば良いのでしょうか。
最もやりやすいのはチェックポイントを持ってみることかもしれません。
自分に対して運動が不足しているのではないかという視点で見つめてみるのです。
この時にそれ以上は考えないことも大切です。
だから自分はいけないんだという自己否定につながる思考は避けましょう。
向き合うどころか結局は抵抗感を強めてしまいます。
シンプルにその視点から見つめてみるだけにとどめようとするわけです。
これがうまくいけばそれだけ運動に関連する気づきが得られると推測します。
まずはそこから運動不足から脱したい気持ちを育てていくのが確実だと考えます。
谷 孝祐
2018.3.4 11:22