3年前のしこうの楽しみ

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能力を発揮しやすい状態のイメージは掴めたでしょうか。
要するにリラックスしたまま集中する感覚です。
言い換えると周辺視野を使えるまま目の前のことに没頭するバランスかもしれません。
 

逆に表現するなら中心視野に縛られすぎないとも解釈できます。
もちろんこれは実際の視野に限りません。
心理的な視野も同様です。
 

つまり周りがよく見えている状態とも言えます。
これを維持するのは一般的には容易ではありません。
しかし的確に掴めれば難易度の高いものでもありません。
 

実際は生体にとってその方が楽なはずです。
健全かつ健康なわけです。
だから身についてしまえばむしろそこからズレることの方が難しいと推測します。
 

結局はトレーニングされているかどうかだけの問題です。
要するに環境的にそれを要求されたかどうかという程度の違いとも考えられます。
大抵はとかく一点に集中するように求められがちです。
 

現代ではそうでない部分もあるかもしれませんが多くの大人は成長過程でそのような教育を受けていることでしょう。
関係ないことをシャットアウトすることが善とされやすいわけです
脇目も振らずに邁進することが美徳だったりもします。
 

もうそれも過去のことかもしれませんが取って代わる価値観が明確に社会に浸透しているわけでもありません。
ともかく結果的にそれをトレーニングしてきているはずです。
うまくいくかどうかは別にして周辺領域はむしろ気にしないのが得策という感じです。
 

あえて領域を狭めることで深掘りができるわけです。
当然ながらこれには大きなメリットがあります。
科学はそうやって進歩してきた傾向が強い印象です。
 

要するに時代がそれを求めてきたとも理解できそうです。
しかしそれは近視眼的になったり単眼的になったりしやすいものです。
俯瞰力や広く物事の関係性を見出す力も削がれていきます。
 

でも社会全体の傾向であればそうならないと評価されにくい性質も含まれます。
だから本質的に能力発揮することが承認されることにつながるとも限りません。
むしろその方が評価者から煙たがられたりもします。
 

分野の枠内に収まらない存在になってしまうわけです。
もしかしたらこの無意識的な圧力は意外に無視できないものかもしれません。
確かにどの分野の人間であるかというのは肩書として表れやすいものです。
 

それが他者に対する安心感にもつながります。
説明のつかない優秀な人よりも楽に理解できる気になります。
なので枠内に収まっている方が潜在的には攻撃されないで済むと感じているかもしれません。
 

枠を壊して変化していくことが表面上は善とされていても実態はそれを進めると批判されることがあるくらいです。
ということでそこから出てまでも生まれてきた価値として能力発揮をしたいかどうかという問題はあります。
周り回ってこれはエゴを乗り越えてさらなる目的に向かうのかという課題に帰結してきます。
 

とはいえ科学に縛られたユートピアを脱して人類が進化するとしたらここを打破していくしかないのかもしれません。
個人が能力発揮して自由になっていく割合が増えればそれだけ人類の発展にも寄与するわけです。
そんな一助になれる人として能力発揮に進んでいきたいものです。

谷 孝祐
2023.5.21