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3年前のしこうの楽しみ

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少なくとも1ヶ月の間にここまで神社を巡ったのも初めてでした。
だからこそ取り憑かれたようだったという感じもします。
もちろんそれは悪い意味合いではありません。
 

あくまでテンションの形容です。
最終的に顕在意識的にもその意義が認識できるようになりました。
だからといって思考レベルの納得感があったわけではありません。
 

観念的に疑いをかけることは簡単です。
ただそれをさせないくらいの確固たる感覚が生じてきたまでです。
一方でこれが自分にとって何かの成果をもたらしたのでしょうか。
 

当然ながらそれは目的ではありません。
突き動かされるように役割として進んだまでです。
しかしそれだけではもったいない気もします。
 

少なくともその過程において自らが受け取っているものはあるはずです。
潜在意識において確実に変化が起きていると予想されます。
ということで振り返ってみることにしました。
 

必死だったからこそそこに意識を向ける余裕もなかったわけです。
そしてすぐにとらえられたことがありました。
国土に関するフレーム感が変わっているのです。
 

車での長距離移動に対して遠いという解釈がなくなりました。
これは海外を旅している時はすでにそうでした。
500kmくらい一気に運転することは普通の範囲だったのです。
 

日本にいてもいつに間にか同様の解釈になりました。
結果的にフットワークも軽くなったことでしょう。
必要とあらば大抵のところには容易に行けるイメージになりました
 

同時にこれは約1年半前の引っ越しへの納得感を高めました。
ここまではいささか篭りがちでしたが実はかなり有益な場所に移動していたのです。
本州のへそとも言われる重心点に近いということは車であちこちに行きやすいという理解が生じました。
 

物理的には当然なことです。
しかしこの視点は持てていませんでした。
実質的に都市圏が起点の移動感覚だったところに変化が起きたのです。
 

いうならば住んでいるところが中心になったということでもあります。
おそらくこれらは自己一致感も高めていることだと思います。
それだけでなく自分に関係する集合意識も設定し直したことになるでしょう。
 

これによって潜在的な自由度が高まったと推測もされます。
ここからどうなっていくのでしょうか。
楽しみながら見守ることにします。

谷 孝祐
2021.7.3