世界をとらえる映写機モデルから脱却しての展開です。
空間に対する自己一致を感じられる度合いがあがりました。
自宅が自分の領域の延長線上にあるかのような体感です。
反対からみれば自分が自宅の一部という解釈もできます。
そこから都会に移動して不一致を強く感じました。
ここまでの話題は概ね先週に触れた内容です。
当然ながらその不一致感は今まで体感したことのないものでした。
嫌だというわけでもありません。
居心地の悪さがあるわけでもありません。
それはそれとして受け入れているのに同化しない雰囲気です。
単純に合わないという知覚があるだけでした。
少し不思議な感覚です。
例えるなら少しサイズの合わない服を着ているようなものです。
ブカブカとか窮屈というほどでもありません。
なので今までは気にならない程度の合わなさだったとも言えます。
少なくとも一時的に滞在する範囲において特に何も気にもなりませ
むしろ普段との違いの中にあるメリットに意識が向いていたわけで
ともかく自己一致度の高い空間に日常があるからこそ認識できるよ
つまり厳密にちょうど良いサイズの服を普段使いできるようになっ
とはいえこれは様々なベクトルに影響を与えていきそうです。
対象が何であれ合うか合わないかの感覚が鮮明になっているのです
しっくりくるかどうかというレベルのものではありません。
今になってみるとそれもぼんやりした感覚だったと思ってしまいま
どちらかというとパズルのピースがはまるかどうかというイメージ
なのでなかなかシビアなものです。
結果的に不一致なものが炙り出されてきます。
おそらくそこに観念的解釈や合理的判断が入り込む余地はなさそう
合うかどうかという事実があるだけのような印象です。
いうならば答えが決まっているとも解釈できます。
だから自由選択の余地がなくなったと理解することもできそうです
逆にみるなら自分がはまる位置が決まってしまっているという視点
まさに自分の居場所はここにしかないというわけです。
もちろんこれは心理的な意味合いではありません。
ということで一般的なその言葉の表すものとは異なりそうです。
体感的事実なのです。
論理的に疑うことは可能ですがその気すら起きないくらいのリアリ
こんな性質の自己一致感があるとは思ってもみませんでした。
おそらくこれは新たな領域でのスタートの感覚なのでしょう。
ひとまず調整が必要なものを動かしていくことにします。
谷 孝祐
2023.2.7