自己理解の対象 | 3年前のしこうの楽しみ

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ブログの説明を入力します。

潜在意識に委ねる感覚がよりとらえられたからでしょう。
どこかで分かっていながらもぼんやりしていたことが明確になりました。
それは自己理解という言葉の定義です。

もしくは己を知るの己は何かという命題です。
自分のことがよく分からなないという時の自分にも該当するでしょう。
気づけば当たり前のことです。

ただそこに疑問も持たなかったし意識化しきらないままやってきたことでもあります。
なのでことさら何かが変わるわけでもありません。
これで自分自身の自己成長が加速するとも思えません。

しかし誰かに説明しやすくなる展望はあるでしょう。
当然のことでもハッキリすることで進みやすくなることはあるものです。
そう考えると自分が実践することと伝えることの間には差異があるものだとも思います。

ということで今回顕在化した内容に触れます。
それらは潜在意識のことを指しているのではないかと理解したのです。
単純すぎて有り難みもないかもしれません。

しかし顕在意識が自分の認識している自分であり通常の価値観でいう自分ならば潜在意識は他人と変わりません。
自分と思い込んでいる顕在意識に影響を与えてくる別人格なわけです。
この視点からだと自己理解と他者理解がリンクすることも納得感が強まります。

自己対話と他者とのコミュニケーションも同様です。
結局やることは変わらないわけです。
なのでどちら一方の技術を高めたとしても汎用できるでしょう。

しかも自然に意図することなくしてしまうと予想されます。
そんなわけで改めて定義してみます。
自己理解は自分の潜在意識を理解すること。

己を知るは自分の潜在意識を知ること。
自分のことがよく分からないは自分の潜在意識がよく分からないこと。
こんな感じでしょうか。

対象が明確になると扱いやすくなる気もします。
有益に感じる人には使ってもらえると幸いです。
こうやって中核にあたる言葉が整理されると説明性もあがるものです。

パズルのピースが揃ったかのようでもあります。
そんなわけで自己理解のコンテンツにもつなげられるのかもしれません。
それが誰かの役に立つのかは不明ですがやる意味はあるかもしれないと感じます。

本当に動くかどうかは未定ですが構想だけでもしてみようと思います。
どうであれ自分の中の他人である潜在意識と仲良くなることは人生を楽しむ上で重要なのかもしれません。
どことなくこの気づきで潜在意識を活用する観点から依存する立ち位置に移行した気がしたのでした。

谷 孝祐
2018.3.1 3:28