大好きな新緑の5月に決まった
楽しみなライブのお知らせです。



5月19日(日)

【C→B】@カニングハム・メモリアルハウス青山

~ClassicからBrasilまで
名建築で息の合ったアンサンブル~

open15:00/ 15:30 start 

MC3500円

violin          弘田  久美子
flute      赤羽  泉美
8st-guiter    尾花  毅 

昨年末、ご好評頂いたカニングハムメモリアルハウスでのライブ。会場視察の際、一目惚れならぬ一聴惚れ?!した、こちらの包み込まれるような優しい響きは間違いなくギターにも合うはず…
と思っていたら、山奥育ち仲間のフルーティストが
信州からやって来てくれることに✨

阿吽の呼吸のバイオリン、フルート、
そして倍音豊かな8弦ギターの響きに
包まれて頂きます。

1954年にチェコの建築家、アントニン・レイモンド氏の設計により完成した青山の小さな一軒家。

 帝国ホテル等を設計したアメリカの巨匠フランク・ロイド・ライト氏に学んだ彼は帝国ホテル設計時にライト氏の助手として来日。

戦後、日本の若者達へ一流のクラシック音楽を提供し続け、彼らの心を育てることに一生を捧げたエロイーズ・
カニングハム女史の自宅を設計し、
やわらかく美しい音を作り出しました。 

お隣の根津美術館の借景を取り入れ、音響を良くして貰いたいという彼女の希望を叶えた この旧家のリビングで、ぬくもりを感じる演奏はいかがですか?




 アクセス:東京メトロ銀座線「表参道」A5出口より 
根津美術館方面

同会場でピアニストの永見行崇さんと演奏した
動画をアップしていますので置いておきますね🎵



マティスの晩年の切り絵を楽しみに
国立新美術館へ。




私のミニアルバムのジャケットに作って
頂いた作品も切り絵で出来ているものですから。


ところが切り絵に至るまでの過程が凄く興味深くて。それはまるで1つの曲を、どう仕上げていくか
試行錯誤する過程を見ているようでした。

同じ題材を絵画と彫刻、両方で作ってみたり
同じモチーフを変化させ、いく通りにもして
展開していたり。

展開を印刷物として出版されている
「デッサン テーマとバリエーション」は
表紙がまるでクラシックの楽譜で。(題名も、ね)

なんだろう。。と思い帰宅し、
調べていたらマティスの厳格な父の躾の中の
ひとつにバイオリンのお稽古があったそうで。
父が選んだ先生は弓で生徒を叩くような厳しい人で、マティスはレッスンの度に家の塀を乗り越えて逃げ出していたという記事を見つけました。

そんなマティスは父になり我が子に
厳しいバイオリンのレッスンを
強いたというのもまた興味深いお話。

家族が弾くピアノの絵に「プレイエル」と
ピアノメーカーの名前も描かれていたりして。
いつかマティスの伝記を読んでみようかなと
思っています。

リトグラフではよく見たことのある作品の、
本物の切り絵のゴツゴツした感じや
レイアウトを何度も考えたのかなと思わせる跡。








動画や録音が本物の演奏の比にならないのと
同じように。ホンモノの熱量はプリントの比になりません。どちらもツルっとした、綺麗になりすぎない肌触りというか。もっと色んな成分が含まれているのを感じられるのが醍醐味ですよね。

音楽を勉強して来たマティスの言葉に
親近感を抱いています。

私は音楽が好きだ。よくヴァイオリンを弾いたものだ。情感はたっぷりあるのだが、技法を豊かにしようと努力しすぎたせいで、情感を殺してしまった。今では人の演奏を聴く方が好きだ。

フランソワ・ジロー著 「ピカソとマティス」より
本番ラッシュがひと段落した日、
師匠のお墓参りに行きました。
窓際のトットちゃんが映画になったことで
先生を知る方が増えたのか
ここ数か月で4年も前に書いたアメブロの記事を




私も映画を観て、また出版された続編を読み、
お父さんとしての先生や時代背景を知り、
その愛情を自分のレッスンに重ねたりして。

12月に演奏会場としてお借りした
カニングハムハウスに飾ってあった
1枚のオーケストラ写真のコンサートマスターが、どうやら黒柳先生なのではないかとソワソワしていたそのタイミングで、黒柳守綱フリークの作曲家さんが偶然連絡をくれたものだから。






彼にその可能性を確認できたりして。
おまけに私がここ数年抱えていた願いを彼に繋げてもらう出来事もあって。途切れなく演奏をやらせて頂けている感謝と色々を報告しに伺って来ました。


これは先生が幼い私に作ってくださった楽譜。


実は現在私が所属する音楽教室の先代理事長が

シベリアで先生とご一緒だったことも分かり

驚きのご縁。これは現理事長にお借りした本。




敬虔なるクリスチャンな先生ですがお墓は、
とあるお寺にあります。
昭和45年に嫁いでいらいしたお寺の奥様は
当時の先生をご存じで。

先生は何となくお寺が苦手で来るのを嫌がっていたけれど、夏の暑い日に熱い昆布茶をお出ししたら

「こんなに美味しいものがあるんだね!今度来たらまた出してね」と喜ばれたことや、
昔は本当に日本一のバイオリニストと呼ばれていて、今は「徹子さんのお父さん」だけれども当時は「守綱さんの娘さん」と言われていたほど先生の存在が大きかったことや、黒柳家の懐かしい話を教えて下さいました。

私は先生が「誰も見ていなかったら
お皿ごと舐めてしまいたいんだ」と
大好物だった明治のブルガリアヨーグルトを
お供えに持参していたのだけど。

「お墓の前で開けていいわよ。
先生と一緒に食べていらっしゃい」と仰るので。
おことばに甘え、強風に煽られつつ先生とヨーグルトをお腹いっぱい食べて来ました。

浜松の楽器博物館にあったダルシマーという楽器が、徹子さんのお母さまである朝さんが
我が家にプレゼントしてくださったアンティークの宝石箱の柄の雰囲気に似ていて気になりました。
楽器は18世紀のものみたい。



同じ時代のものかなぁ。。






こちらは、父の仕事の関係でママ(朝さん)

に講演会をお願いした時のお写真。


久しぶりに行ったお寺の周りは、
10年ほど前から色々と生まれ変わり
今やすっかりお洒落な街になっていました。
焼きたてカヌレを買って
別のお寺のミモザを見て。
気になるカフェがそこ、ここに。




また行こう。ヨーグルトを持って。