4月30日は恩師、黒柳守綱先生の命日。



 

先生はNHK交響楽団の前身である新交響楽団のコンサートマスターでした。

日本の風物詩、年末の第九演奏は新交響楽団が1940年の大晦日に演奏をしたことから始まったと聞いています。

 

長谷の大仏の少し手前を曲がった所にある、

洋館のご自宅で当時恐らく先生は70歳くらいだったかと。

ソリストになるタイプの才能ある青少年を指導されていましたが、小さな子供を教えるのは初めてだったそうで。

4歳前の私にいつも2時間ほどのレッスン!

写真のこれは誰のお家なんだろう…

 

とはいえ3歳児ですから・・

そんな集中力がある訳もなく。

 

飽きたら広いお庭に連れ出してはママ(奥様の黒柳朝さんを、いつもママと呼んでいました)

が育てたお花を、手を繋いで見せに行ってくれたものです。

当時珍しかったクリスマスローズやエンゼルトランペット、時計草やハナダイコン。

どれも未だに見かけると先生を思い出します。

 

現在色んなジャンルの演奏をする私ですが、

どれにも共通して歌や景色が見えるようにと願って演奏しているのは黒柳先生の教えが大きいのです。

 

美しいものを美しいと、寂しさを寂しいと、

感じて音に表わす事を1番に教わっていたのだと思います。


N響となるオケのコンサートマスターですから!

演奏は当然素晴らしく。

そんな素晴らしい演奏で、童謡から聞いたこともない難曲までを美しい音で常に聴かせて頂き、熱心な指導を受け、一緒に可愛い花を愛で。

 

レッスン後はママの集めたアンティークの家具に囲まれた部屋で、当時珍しかった外国のお菓子をお供にティータイム。

 

(先生のことを色々調べていたら、ママのアンティーク部屋を再現した場所が北海道にあったのだと知りました。

洋館をお引越しした後の再現らしいけど。まさにそんな家具たちに囲まれた場所でした。


これはそのコレクションの中から我が家に頂いた宝石箱)

 

 

子供の私には何も分からなかったけれど、

こんなに素晴らしい経験が音楽の入り口にあったことは私にとって音楽人生最大にラッキーだったのではと思います。

 

8歳の頃、先生が突然亡くなられたことがショックすぎて暫くバイオリンが弾けなかったのですが。大人になっても何かと先生のご縁につながる話が飛び出して来ることがあり、見守られているのを感じます。


突然亡くなられてしまうなど考えもしなかったので、先生と一緒に撮った写真すらないと思うのですが。今こうして音楽を続けていられること、音楽をやっていたからこその出会いや経験はかけがえなく。


 人見知りで男の人が苦手で。

家に男性が来ると洗濯機の後ろに隠れているような子だった私が、毎回黒柳先生に会うのをちょっと緊張しながら。

外国のような異空間で毎週過ごした時間というのか、空気感というのか。

今も肌に残されているように思います。

 

いつも傍に居てくれる先生に恥じない演奏を、

これからも目指します!

 

 

大好きな黒柳先生へ。