【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          
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第367回【研究者冥利に尽きる一日】

本日、日本で初めて『住育の家』の提唱をされている宇津崎光代(うつざき・みつよ)さんがご来館くださいました

 

 

そして、神奈川県の二宮の松岡紀雄(としお)先生のご自宅に連れていってくださいました

 

 

松岡先生は83歳

 

 

1966年(昭和41年)にPHP研究者で働きはじめ松下幸之助さんから11年間薫陶をうけます

 

 

32歳の時に、松下さんから

 

 

国際PHP研究所の代表 兼 英文国際版「PHP」編集長をするように命じられ、日本における『海外広報』の草分け的存在となり神奈川大学経営学部の教授も務められた方です

 

 

私は松下幸之助関連の本を860冊読んでいます(ズルをせず最初から最後まで読んだ本)

 

 

しかし、松下幸之助研究においての最重要課題は松下幸之助さんを直接知っている人から話を聞くことです

 

 

今年の3月にはジャーナリストの田原総一郎(89歳)さんに会い松下さんの話を聞くことができました(田原さんは松下幸之助さんにインタビューを6回している)

 

 

そして、本日は松岡先生からお話を聞くことができました

 

 

それも本には絶対に書かれていない話しばかりです

(私が本に書かれていないことをお聞きするからですが(^^)/)

 

 

松岡先生の証言により、本では分からなかった疑問がいくつも解決しました

 

 

また松岡先生に私設で松下幸之助研究をしていることをとても喜んでくれました

 

 

まさに研究者冥利に尽きる一日でした。宇津崎さん有難うございました(^^)/

 

 

※宇津崎さんがご来館

 

※松岡先生の神奈川県の二宮の自宅で

 

※松岡先生の神奈川県の二宮の自宅で一番右が松岡先生の奥様

 

 

第366回【新たなスタート】

「私設松下幸之助資料館」ののぼりができました!

 

 

2019年6月自宅を改装し松下幸之助資料館を開設

 

 

2021年3月に松下幸之助翁の最後の伝道師、江口克彦先生に「私設松下幸之助資料館」と命名していただきました!

 

 

のぼりができたことで「新たな旗揚げ」

 

 

こんな気持ちになりました

 

 

当資料館は松下幸之助翁と出会える場である

 

 

池に石を投げればその波の輪が拡がるように

 

 

この資料館を中心に「松下幸之助翁の経営哲学、生き方、人としての在り方」

 

 

を国内だけでなく世界に広めていきたいと思います

 

 

ご来館お待ちしております!

 

 

※当資料館は神奈川県川崎市高津区にあります。最寄駅は田園都市線の二子新地駅

 

 

 

第365回【松下幸之助の運の良くなる連鎖は存在する】

【松下幸之助の運の良くなる連鎖は存在する】

 

 

ビジネス書と語学書に強い明日香出版社の創業者、石野誠一氏の著書『経営のルール』を読んだ

 

 

石野氏は子供のころに父を亡くし小学校4年から中学卒業まで新聞配達や牛乳配達をした苦労人である

 

 

そして日本実業出版社勤務を経て独立

 

 

会社経営で困りギブアップ寸前になるとふいに助け船が出てきたという

 

 

資金繰りに窮していたら、諦めていた不良債権先がお金を振り込んでくれたり、銀行が融資を持ちかけてきたりと

 

 

「運がいい」としか言いようがないことが、再三、起こったという

 

 

石野氏が経営および人生における師匠と呼んでいるのが、松下電器で工場長を務め、戦後は三洋電機の創業に参加し同社の副社長にまでなった後藤清一氏である

 

 

三洋電機は従業員2万人の大企業になった

 

 

後藤氏は「自分の運を良くしたかったら、運のよい人とつきあえ」と言う

 

 

石野氏は後藤清一先生との出会いこそが自分の運を強くしてきたように思えてならないと言います

 

 

日本実業出版社にいた時に、三洋電機の専務であった後藤清一氏を担当していた先輩記者が突然退社したため、新米であった石野氏が代わりに担当することに。このときから運が向いてきたという

 

 

石野氏が担当して生まれたのが後藤清一氏の名著『叱り叱られの記』(日本実業出版社)であり、独立し明日香出版社を立ち上げた時も後藤氏に惜しみなく支援をしてもらったという

 

 

そんな後藤氏は小学校中退。さまざまな職業を転転とし松下電器に入社

 

 

松下さんに才能を見出され20代で工場長まで任されるようになった

 

 

後藤氏にとって松下さんとの出会いが運命を好転させたといえる

 

 

松下さんに後藤氏はこのように言われたことがあります

 

 

「後藤クンなあ、人を採用するときは、学歴やら家庭の事情やらは、人事部の組織で調べさせたらええのや。工場長が面接するときは、『君は運が良かったか悪かったか』だけを聞け。運の悪い人を採用すると、会社も運が悪うなるで」

 

 

後藤氏が「運を良くしたかったら、運のよい人とつきあえ」というのは松下さんから学んだものだと思います

 

 

松下幸之助さんに出会った後藤清一氏の運命が好転し、後藤氏に出会った石野誠一氏も運命が好転した

 

 

私は運の良くなる連鎖というのはあると思います

 

 

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