先日のブログでわかりやすい言葉を、と書いた舌の根も乾かないうちにこういうことを言うのはなんですが。

何度も書いてきたことだけれど、自分は音楽を聴くときに歌詞を重視していません。

音とサウンドスケープに興味の大半があるということが最大の理由。
洋楽が中心にも拘わらず自分は英語力に乏しいのも、理由。
だけれど、もうひとつ、ピンとくる歌詞が少ないということも理由です。

歌詞を聴くつもりがなくても自然と入り込んできて、自分に突き刺さってくるような、強さとわかりやすさを持つ歌詞にはなかなか出会えません。

いろんなブロガーさんがこの曲いいでしょと、歌詞を載せているのだけれど、音楽抜きでそれだけ読むことに集中しても、ふーん、ということがほとんどです。

自分の言葉への感受性の問題があるのは確か。
あんまりじっくりと、意味合いを考えたりしないからな。

でも、送り手側の問題もあるような気もします。
言葉としてのわかりやすさを兼ね備えた、魅力的な言葉の流れにはなかなか出会えません。

この人の歌は、言葉が強く心に残ります。

中島みゆき。

あえて説明する必要はないくらい。

明確なテーマ性。
言葉と言葉の新鮮な結びつき。

当たり前のこの言葉と、よく使うこの言葉が結びつくだけで、まったく新たな命をもった言葉になったような気がする。
自然とイメージが飛び込んでくる。
難しい言葉や無理な言葉遊び、ギミックに頼った言い回しも皆無。

リアルで、生々しい言葉の群れ。

とにかく、積極的に歌詞を聴こうと思える、しかし集中しなくても言葉が飛び込んでくる、自分にとって唯一無二の存在が中島みゆきと言っても過言ではありません。

失恋の歌が多いとか、暗いとか、重いとか、ネガティブなイメージを持つ人がいると思うけれど、彼女の歌のテーマは、あえて言えば「普遍性」だと思っています。
愛や希望や関係を歌うことによって、時間を超えた普遍性を獲得しようとしているかのような。

これだけ魅力的な歌を、これだけ多作に、レベルを下げずに何十年も創り続けられていること。
賞賛を通り越して、呆れるばかりです。
そのことも、普遍的。

まさしく、天才。
天賦の才。

彼女の代表作は数多くあって、人によって好きな曲はさまざまだろうし、語り始めると深いところまで行ってしまいそうなので、1曲だけ載せます。
恋愛系ではない歌の代表作のひとつだと思っています。

著作権管理がしっかりしているので、YouTubeから貼れるオリジナルはひとつもありませんでした。
これが見れなかったらごめんなさい。

「友情」

以下、「友情」(アルバムは「臨月」)の歌詞です。

歌詞だけ読んでも、彼女の歌が無ければその凄さは半分も伝わらないのだけれど。
こういう歌の世界も、彼女は持っているのだと、感触だけでも持っていただければ。

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悲しみばかり見えるから
この目をつぶすナイフがほしい
そしたら闇の中から
明日が見えるだろうか
限り知れない痛みの中で
友情だけが 見えるだろうか

企みばかり 響くから
この耳ふさぐ海へ帰るよ
言葉を忘れた魚たち
笑えよ 私の言葉を
終わり知れない寒さの中で
友情さえも 失っている

この世見据えて笑うほど
冷たい悟りもまだ持てず
この世望んで 走るほど
心の荷物は軽くない

救われない魂は
傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は
傷つけ返そうとしている自分だ

一番欲しいものは何ンですか
命賭けても守るものは何ンですか
時代という名の諦めが
心という名の橋を呑み込んでゆくよ
道の彼方にみかけるものは
すべて獲物か 泥棒ですか

この世見据えて笑うほど
冷たい悟りもまだ持てず
この世望んで 走るほど
心の荷物は軽くない

救われない魂は
傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は
傷つけ返そうとしている自分だ

自由に歩いてゆくのなら ひとりがいい
そのくせ今夜も ひとの戸口で眠る
頼れるものは どこにある
頼られるのが嫌いな 獣たち
背中にかくした ナイフの意味を
問わないことが友情だろうか

フィギュアスケートの羽生結弦が使った曲はゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」です。

CDショップに問い合わせが殺到、売り切れ増産待ちだそうです。


まあ気に入った曲をもう一度聴きたくてCDを買い求めるのはいいけれど、ゲイリー・ムーアですぜ。

スケート好きのおばちゃんや、羽生ファンの萌え女たちが、ゲイリー・ムーアのCD買ってどうするのかね。


こんなはずじゃあなかった、この音楽はなんなんだ、と思うんでしょう、きっと。


曲名がおしゃれなあのような曲がたくさん収録されてるアルバムだと自分たちが勝手に思い込んで、ギターがギャンギャンうるさく鳴ってるメタル聴かされて、怒ってる姿が目に浮かびます。

亡くなったゲイリー・ムーアが可哀想だ。


あの、佐村河内守のインチキ事件と似てる気がしますね。


普段は音楽になんてそれほど興味もない人たちが、曲の良さとわかりやすい記号に騙されてファンになってCD買って、そこに付随してた記号が自分の思った通りじゃなかったって、怒ってる。

私たちは騙されたと怒ってる。


それでそこから聴こえてくる音楽が変わるわけじゃないんだし、自分たちが音楽以外の記号に勝手に思い入れただけじゃないか。

造られたストーリーに踊らされ、そこを評価した自分に酔っていただけじゃないか。


こういうことに群がる人たちも、そこに付け込んで商売しようとする音楽業界も、マスコミも、みんな自業自得だと思いますよ。


音楽は、音楽だけを見つめてほしい。


同じことを書こうと思っても、人によって使う言葉は変わる。

できるだけ詳細に書こうとする人、雰囲気が伝わればいいとアバウトに書く人、流れのリズム感を重視する人、論理性を重視する人。

伝えようとすることは同じでも、人によって伝え方が大きく変わります。
もちろん伝え方が変わると、伝わり方も変わる。

そして、受け手がどういう受け取り方をするのか、受け取り手の聞き方の指向性によっても変わりますね。

送り手の伝え方、受け手の聞き方で、すべてがそのまま伝わるところから、まったく意図が伝わらない場合まで、実に千差万別な状況が発生するということです。

音楽のレビューでもそうですね。
自分は、できるだけわかり易く、ということを大事にしているつもりだけど。
中には難しい言葉を使って、できるだけ難しい言い回しをしようとしているしか思えないような人もいます。

専門書でなければ出てこないような単語を使って、神話の世界のような比喩を用いて、なんとかイズムのようなカタカナも乱舞している。
哲学の話や形而上学がうんたらなぞ、ロックを聴いた感想書くのに必要なのかね。
この人は本当に自分の言いたいことを人に伝えようと思っているのかと、とても疑問に感じます。

○○okie ○○ene とかいうWebマガジンも、そんな記事が多い。
昔あったプログレの同人誌などもそう。
自己満足するために、知識を見せたくて文章書いてるのなら勝手にやってという感じ。

好き嫌いは別にして、昔から渋谷陽一を評価しているのは、彼は決して難しい言葉を使わなかったからです。
平易な言葉遣いで、ロックを論じてきた。
だから創刊メンバーがやってたロッキングオンも、岩谷宏という気難し屋はいたけれど、ダメだと思うものは容赦なくぶった切ったけれど、読んでいて不快な気分にはならなかった。

伝えたいことを意図通りに伝えられるわかり易い言葉遣いというものは、実はとても難しいことなんだろうと思います。

言葉を尽くせる文章ですらそうなんだから、歌詞といういろんな制約があるところで紡ぎだす言葉においては、なおさら難しいことなのだと思いますね。

歌詞も、何を言いたいのかさっぱりわからないものが多いです。
自分の読解力に問題があるのもわかってますが。

わかり易いと平板でつまらなくなったりもするし。

実に難しい。
異能と呼ばれる女性たち。

もともと女性ボーカルに目がない自分としては、そこに音楽的才能が溢れていれば、それはもうたまらん状態になるわけです。

筆頭はもちろん初期~中期の Kate Bush になるのですが、それ以外のフェイバリットはほとんどがイギリスかアメリカのミュージシャンです。

今日ご紹介するのは、その中では珍しい北欧はノルウェーのSSW、 Hanne Hukkelberg

彼女の4枚目のアルバム、 "Featherbrain" です。
Featherbrain/Propeller Recordings

¥2,601
Amazon.co.jp

ボーカル自体にも独特の透明感と存在感があるけれど、最大の魅力は彼女が創りだすサウンドスケープでしょう。
本当に自由な発想で音空間を構築してます。

使う楽器も、ピアノなどのノーマルな楽器から、スティールギターやハープシコード、どう聴いてもガラクタを叩いてるだけのようなパーカッションや安っぽいデジタルビートまで、実に様々。
アート・リンゼイのギターを思わせる音も。

曲の展開も、枠をはめられたところがなく、実に多種多様。
一種の前衛芸術を見ているかのような気にもさせてくれます。
前作からは一歩も二歩も深化した音楽観。

もともとはジャズ畑の人らしいですね。
隙間感には確かにその片鱗が垣間見えます。
そして基本は背筋がピンとして、緩んだところがありません。

この音空間がたまらずに、けっこうな長い期間緩やかなヘビロテ。
累積回数はけっこう行っているかも。

PVも一種独特の世界観。






惜しむらくは、ジャケットデザインがね。。
前作も好みでは今一歩。
まあ、世界観を表しているといえばそうなんだろうけど。

このアルバムを聴き終えたら、PCに入れてある次のアルバムが自動再生された。
ミュージシャンのアルファベット順だから出てきたのが、Henry Cow の Concerts 。

実に自然の流れで聴けてしまう。




ある日本人ミュージシャンに、はまっている。


はまっている、というか、改めて聴き直しまくっている、というのが正しいか。

もう前から聴いているのだけれど、この人の才能に改めて入れ込んでいるというか。


今はじぶんにとって、洋楽の新譜を聴くよりも、刺激的な感じ。


まあとても意外でしょうね。

超メジャーな人だし。

音楽の傾向も一見このブログで取り上げているものとは違うので。


そのうち、その人の世界観を言葉と音に分けて、分析したいと思います。