匠オフィシャルブログ「Takumi's blog」by Ameba
【主なステージ業務】-2019-

■メンバー(Gt&Pf)として参加/On Stage
sukekiyo
-TOUR2019「FORTY」-
5月31日(金)新潟県 新潟LOTS
6月4日(火)愛知県 名古屋ReNY limited
6月5日(水)大阪府 UMEDA TRAD
6月7日(金)福岡県 スカラエスパシオ
6月27日(木)東京都 中野サンプラザ

-TOUR2019「FORTY」IN HONG KONG-
7月14日(日)九龍灣國際會議展覽中心MUSIC ZONE
-イベント出演-
7月7日(日)東京都 中野サンプラザ「SUGIZO聖誕半世紀祭」

sukekiyoお問合せ、各詳細は
http://sukekiyo-official.jp/

■キーボードとして参加/On Stage
キズ”平成ヒットパレード”

■マニピュレーター&キーボードとして参加/Back Stage
DIR EN GREY
"TOUR19 The Insulated World"

■マニピュレーターとして参加/Back Stage
飯田里穂 with 流田Project
"Riho Iida Tour 2019 -Special days-"


匠twitter
https://twitter.com/takumi_sukekiyo
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マニピュレーター座談会

ここは久々の更新になります。

 

2019年になってもう半分が過ぎようとしています。

年明けに何か書こうかと思っていましたが、アレコレと忙しいと思っていると、もう元号すら変わっているこの有り様です苦笑

 

そういうわけでちょっとだけ上半期の出来事の中の振り返りブログを。

sukekiyoでの活動記録はしっかりとオフィシャルサイトに残されてますのでそちらを。

 

 去る3/24(日)に、hide with Spread BeaverのINAさんが主催する電脳音楽塾で、「THE 3名様」と題してマニピュレーター座談会が催され、僕も参加しました。この話を頂いた時には、他のお二人とも僕より一回り以上も上ですし、まだまだ自分なんかが何かを語れる人間でもないと思いましたが、これまた折角のINAさんからの”白羽の矢”だと思い、臨んだ所存です。それにある意味、世代が違うからこその話を出来たらと思いましたし、よくよく考えれば僕も歳は”若者”ではないので苦笑、そういう若者に何か伝えていくような活動もやっていかなければと思いました。

 なかなか短い時間でしたし、ユーザーの皆さんにどこまでの専門用語が通じるのか手探りのところもありましたが、その点は次回に活かせればと思います。今回はちょっとくだけた面白おかしい話も出来たので、色々な人に興味を持ってもらえたらと思います。電脳音楽塾DMMオンラインサロンの方で、当日の動画がほぼノーカットで配信されています。お試し版はまだ見れるのかな?

 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=9IIXh7pPil4

 

そういうわけで、ロック界のマニピュレータとしてINAさんはX-JAPANを、JINさんはVAMPSを、僕はDIR EN GREYをサポートしているわけですが、それぞれの細かい手法、プロセス、ツールは違えど、それぞれ担当するバンドに対する深い愛情みたいなものは、皆しっかりあるのですね苦笑

 

ちなみに電脳音楽塾オンライン非会員でも有料配信しているようですので!

https://lounge.dmm.com/content/2813/

 

 

 

では、また

 

「自己回帰の旅」

 

あれから10年。

 

まるで絵空事の様に時間が過ぎた。

あの日、何を想っていたのか、

思い出せるような思い出せないような。

未だに霞んで遠くに見える。

 

1つはっきり言えるのは、俺はあれからもずっと楽曲達を聴き続けていた。

 

最初に描いたバラード「神話」

自主配布ver、オムニバスver 、アルバムピアノver、シングル聖痕ver 。

いつ聴いても痛々しく胸にささり、演ってた情景と魂が蘇る。

 

ライブの為に作った「Re-birth」

幕がおりた時の光景が、瞼の裏に焼き付いている。

 

終りをイメージして描いた「METEMPSYCHOSIS」

ずっとずっと流れている。鳴り止まない全ての旋律。

別れを告げるはずが、今となれば実は永遠の約束のような曲。

 

思えば全曲に、それぞれの命が鮮明に宿る。

 

「時の流れが全てを支配する」と、掲げていた通りに。

この10年の間に色々な事が起こった。僕たちもみんなも。

今になってようやく分かったことがいっぱいある。

今では出来ない事もいっぱいある。

そして今から出来ることがいっぱいある。

 

メンバーも皆もきっとどこかで繋がっている。

オフィシャルサイトも死なせはしない。

 

http://www.rentrer-en-soi.com/new.html

 

この流れる続ける雲の様に。

ずっと時間は止まっていない。

 

大事な過去があって大事な今がある。

大事な未来に向かって。

 

ではこれからの10年も、

自己回帰の旅へ、気をつけて!!

 

-追伸-

皆からバンドにもらった様々なものは

私が責任を持って今なお保存しています。

 

 

Merry Christmas!

RENTRER EN SOI

 

 

「テープレコーダーの話」

すごく久々の投稿です。

ココは閉鎖ではありません苦笑

 

久々だから長いけど、もしよかったら読んでね。

 

先月、スケキヨオンラインの連載でテープレコーダーの話が出ました。そうだ、あの高校生の時にスタジオで録音したテープの音がどっかにあったような気が。。年末のデータ整理に向けて、ついでに探してみました。ありました!何年か前にテープやらMDをやらまとめてデジタルデータ化した中に。多分一番古いやつではないかとおぼしき部類の録音が。おそらく親父が議事録用に買った、当時はスタイリッシュに感じた手のひらサイズのテープレコーダーを持ち出して録音したようです。でもちゃんと2個押すヤツだったけど笑。高校に入ってから交流の範囲もグッと広がり、いつくかバンドを掛け持ちしていました。1つは色々な縁あって知り合った年上の大学生のお兄さんお姉さん達と。山下久美子さんの「微笑みのその前で」やZIGGYの「La Vie en Rose」などを緊張しながら演奏してるテープ。みんな優しかったけど僕にとっては修行の場でした。だから僕の人生初ライブは、多分、、、女子短大の文化祭だったような苦笑。さて、それらの中でもやはり特別なのがXのコピーバンドです。御察しの通り思春期の僕と言えば1日の80%はXのことしか考えてなかったでしょう。家の部屋は天井までポスター、授業中は教科書のカバーで覆い隠したブルーブラッドの楽譜を見つめ、文房具類は地元のシーモールというショッピングモールの中にあった怪しげな店で買ったXの下敷きなど(。。今考えると完全パチモンですよね苦笑)。中学校の卒業式前には机に彫刻刀で綺麗に掘ったXのロゴとバラの絵をついに担任の先生に木工パテで修理しなさいと叱られました。これ系やってた人、全国に沢山いたと思うんだけど苦笑。さて、話を戻してこのXのコピーバンドは地元同級生を中心で(中学、高校はバラバラだったけど)組んだので、ますます青春色全快爆発でした。

 

さて、、、、再生。。。

 

いきなり笑えたのが最初の5分位はスタジオ内でのしょ〜もない雑談が録音されてることだ。

「あ、そういや○○○、またフラれたやろ!w」

「マジやろ!、アイツまた告ったん?○○○フラれすぎw」

とか、

「こないだの模試の判定がヤワやし、 A判定狙って◯◯◯大にしちょったのに。」

とか、もうこれ以上は書けない苦笑 しかしながら、このしょ〜もない会話が約四半世紀の時を経て、こんなに笑える宝物になることは。さて、そんな雑談から唐突に演奏が開始されます。曲は「DAHLIA-イントロだけ」「X」「WEEK END」「ENDLESS RAIN」「紅」でした。ああ、コレコレw この感じw

これはなんとも文章では説明し難い。テープレコーダーに残された青春の爪痕の音。

しかし、このスタジオ録音の「ENDLESS RAIN」では僕はキーボードを弾いている。??ライブではギターソロを弾いた記憶が残っているのに。。!?そうだ、シンセ本体に打ち込める機能が付いていたから、ライブではあらかじめ家で弾いたヤツをメモリーして流したんだった!

!?と、いうことは、俺はギターを構えたままシンセサイザーのスタートボタンを指で押して曲を始めていたのか!。。。今とやってること何も変わってない。。。まぁそういう宿命だったってことだね苦笑

 

そして、またそれ以上に笑えたのがギターの基本的な音造りの方向性が今とたいして変わっっとらんトコだった苦爆笑 まぁ一周回ってライブではギターのピックアップがEMG-81という、その時使ってたヤツと同じだしね。ホント、コレには参った笑。

あれから時間が経って色々な経験がありましたが、俺はたいして成長してないんじゃないかとも思いましたが、どうやら「初心忘れるべからず」という点においては、今のところ大丈夫そうです、hideさん。

 

これからも初心は忘れずに、人として色々な面で成長出来るよう精進しなければと思いました。

 

テープレコーダーには、思いの他、色んなモノが残されていたのでした。

 

 

2018年のEYES LOVE YOU

20年前の隅田川沿いの列は長く険しく、日差しがジリジリと照りつけました。物心ついてからは自分の家族も含めて、大好きな人がいなくなる経験のなかった自分には受け止めきれない、よくわからない感情が長い列にならぶ時間の中でぐるぐる周っていました。生前のステージを見たことがなかった僕には全く実感がわかず、涙は出ませんでした。

大学進学で上京してすぐの5月のことでした。

 

Xも解散し、これでもう自分が強烈に好きなのものは完全になくなった感じでした。進学で上京し、環境も変わって、「ああ多分ここまでが青春で、ここからはきっと大人の社会への入り口に入って行くのだろう」と思いました。

普通の?穏やかな?一般的な?親が望む?人生の道を進むのだと思いました。

 

東京での大学生活3年目を迎えるにあたり、後悔だけはしたくないから一度だけ本気でバンドをやらせてくれと親に許しをもらいました。なんとか約束の卒業後1年以内リミットに、今もお付き合いしている事務所に入ることになり、バンド継続の許可を得ました。理想に向かうべく不器用に、悪戦苦闘する、楽しいこともありましたが、概ねは苦悩の日々が続きました。音源作品は最終的には納得出来るものが作れました。

しかしながら気がつけばメンバーは20代後半に差し掛かり、このままで自分の思い描いた理想に本当になるのか問うた時に、何か迷いがあったこと、また他メンバーも似たような思いがよぎり始めていたこと、その他色々と重なり2008年の2月の広島のホテルでのミーティングにて内々に解散が決まりました。

 

2008年の3月にXの再結成ライブを東京ドームに三日間見に行きました。初めてXのコンサートを生で観ました。もう見れないと思っていたものが見れた感激は凄まじいものでした。

同時にこんな思いも分かりました。

「ああ、思い起こせば僕が元来なりたかったのは、やっぱりコレだ。こういうスケール感だった。もう今、到底たどり着いてないんだったらやる意味ないか。だから自分のバンドは解散だ。今はっきり分かった。

ステージ上に、hideさんは、そこにいないのに、光り輝くオーラを放っている!!

凄い!!

自分にはそんな星はなかった苦笑

気付いてよかった。でも音楽は納得行くもの作れたから後悔はない。

だからそれでいいさ。」

 

その後、僕はDIR EN GREYのマニピュレーターの任を与えられることになりました。勉強をしました。今でもしています。そのうちに京さんのソロプロジェクトsukekiyoのバンドメンバーとして再びステージに立たせてもらえることにもなりました。

思ってもいなかったことが、ゆっくりと、そして次々と起こっていきました。

 

2015年のルナフェスでINAさんに挨拶をすることが出来ました。翌2016年に思わぬ白羽の矢でhide with SpreadBeaver のマニピュレーターを務めることになりました。無事に終わり、沢山のエネルギーをもらってまた通常の職務に戻り2017年も頑張れました。

 

2018年、先日20thメモリアルのスーパーライブ SPIRITS でのhide with SpreadBeaver のマニピュレートが無事終わりました。

 

仕事には、常にいい意味で自分にプレッシャーをかけます。プレッシャーがあればあるほどに自分も成長するはずだからです。

 

仕事中は当然冷静でいなければいけません。

でも大切なところはなんでしょう。そうタイトルそのものです。SPIRITS 。hideさんは生前沢山の言葉を残されました。

"どんな状況でも楽しんでやらなければ、ロック、エンターテイメントじゃない"

それが自分なりに咀嚼し解釈したSPIRITSでした。

 

だから”冷静に情熱を持って”楽しみました!

 

前回の幕張では「TELL ME」で涙が溢れてきました。

今回は、24年ぶり(ダリアツアーのソロコーナーの一節はノーカウント)で、1stシングル(50%&50%も同時だけど品番的には1st)だったこともあり「EYES LOVE YOU」が演奏されている時に、涙が溢れ出てきました。皆さんそれぞれに色々な思いがあるでしょう。僕はシングルのバンドスコアも買って必死に練習した曲でした。

 

27日の会場ゲネプロでは我慢しましたが

4/29の演奏中に涙と共に溢れ出ました。

 

 

「ああ、hideさんがいる!いるよ!

そして、、14歳の俺もいる。14歳の俺が見てる!ギターソロを練習していた、PVを見ていた匠少年が。ああ、今、僕は、、!」

 

 

人生、なんとか気長に頑張っていれば、ホントいいこともあるもんです。

だからこれからも自分なりに、形にとらわれず、楽しみながら苦労もして、

そのSPIRITSを忘れずに、生きて行きたいと思います。

 

 

hide さん、ありがとうございます。

 

これからもずっと。

 

 

福岡の桜〜四半世紀の絲〜

もう約25年も前のことである。

僕はある男に誘われて初めて”コンサート”といふものに行った。

小学校からの親友で同じ剣道部でもあったM氏。

 

M「今度LINDBERGが福岡にコンサートに来るけ一緒に行こうや!」

Tkm「ヘぇ、コンサート?。。。って、どうやって行くん!?」

M「去年も行ったけん、俺がチケットとっちょくけ!」

Tkm「チケット?入る時に入場料を払うんやないん?」

M「とりあえず俺に任しちょって!」

 

何も知らない僕にはそもそもライブに行くという発想すらない???の世界であった。

 

迎えた初めてのコンサート鑑賞。

みんな立つの?

ベースってこんなに響く楽器なんか!

照明すごいけどたまに眩しい!

CDと曲の長さもアレンジも違うゾ!

 

そもそも大音量で音楽を聞いたこともなかった少年には刺激だらけの1日であった。

翌日から通学路添いにあった実家の僕の部屋からは、そこを通るクラスメイトには強制的に僕の好む音楽が漏れ響き、知って頂く日が卒業まで続いたのであった。。

苦情は、、家族からしかこなかったはずだが。。

 

 

あれから約25年。

いつだかのsukekiyo移動中の新幹線の中、隣の未架氏と一緒にLUNA SEAの新作アルバムを聞いているとホールツアーの開催も知り、久しぶりにライブを見てみたくなった。仕事の合間をぬってどうにか行けないものかとツアー日程を調べていると、ふと”福岡サンパレス”の文字が目に飛び込んで来た。僕の地元は下関だが博多にはよく遊びに行っていたので、地元感はある。これは絶対に行きたい。もうその日だけは仕事のNG日と決め込んだ。思えばエクスタシーサミットのビデオで知ったLUNA SEAは中学よりどっぷり心酔して色々コピーもした。ライブを初めて見たのはFINAL ACTで地元では見る事が出来なかった。

 

去年の暮れ、仕事の相談事もあって僕が最初にマニピのいろはを教わった師匠d-kikuさん(詳しくはsukekiyoオンラインをどうぞ)と定例会も兼ねて食事に行った際に、そんな旨を伝え、僕の福岡行きが決定した。その夜、ふと25年前のサンパレスを思い出した。僕はM氏にSNSで連絡した。

Tkm「そういえば今度のLUNA SEAツアーの福岡公演に帰省も兼ねて見に行くんやけど、サンパレス、昔一緒に行ったよね!」

M「マジ?俺チケット取ったんよ!」

Tkm「マジ?じゃ当日ちょっと合流しようや!」

M「了解!」

 

3/31 、なんと満月ではないか!

この頃には桜も花開いていることだろう。

 

 

ついに迎えた当日。

そこには25年前と何ら変わらない、

これから始まるコンサートにワクワク感がはじけそうになる二人の男がいたのでした。

 

 

 

えっと、今日はもう眠たいので今度また続きを書けたら書きますね苦笑

 

ここも、づづく!?

 

では!

 

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