匠オフィシャルブログ「Takumi's blog」by Ameba -3ページ目

「#匠の音楽天体図」

久々のブログになります。今日5/5でゴールデンウィークも終わってしまう方もいるかと思いますが、皆さんいかがお過ごしでしょう。

 

さて、4月から「匠の音楽天体図」と称しましてTokyo Star Radio(77.5MHz)にてラジオ番組をお届けしております。この僕がラジオパーソナリティーなんて!

しかしながら限りある人生の中で、いつかそういうこともやってみたい気持ちもあったので、絶賛挑戦中なのであります。

 

自分が出会った音楽はその1つ1つが人生の何かしらに結びついている事を、曲を紹介しながら話せればいいなと思っていますが、少し脱線した話もこの際赤裸々にしてしまおうと思ってます。

自分の大事なもの。sukekiyoの事、DIR EN GREYの事、音楽制作の事、裏方の事、マニピュレーターの事、ギターの事、ピアノの事、友人の事、家族の事etc。あれ、、話すことはまだまだいっぱいありそう苦笑  ワクワクしながら話したいと思ってます。

 

ラジオでも言いましたが、番組へのメッセージと合わせまして、ぜひ感想などTwitterで” #匠の音楽天体図”で呟いて頂けると、番組スタッフと共に僕もしっかり拝見しておりますので!

 

スマホからアプリ「リスラジ」で全国から聴取可能です。

 

さて来週は何を流そうかな~。

 

 

 

 

「匠1stピアノリサイタル2020」を終えて。

大変お久しぶりのブログです。

 

去る1/27(月)、僕の初めての個人名義のピアノコンサートをやりました。

 

まず、このような形で公演をやれたのは、協力してくれた仲間、応援してくれた方々、そして何より会場に来てくださった皆さんのお陰に他なりません。

このコンサートは、” 皆さんにやらせてもらった ”と、いう解釈で僕は受け止めています。本当にありがとうございました!

 

コンサートの写真の方は、ちょっと落ち着いたらまたウェブサイトの方にいくつかアップしますので、少々お待ち下さい。

 

 

さて、せっかくなのでMC等では、伝えきれなかったことや、後日談のようなことを、少しだけツラツラと書いてみます。

 

いつかはやってみたいという思いはありましたが、今回一緒にやってくれたバイオリンのJumpei君の後押しが僕に最初の火をつけた、このコンサートの発端であります。ピアノとバイオリンというアンサンブルならイメージも色々湧きました。

それに、僕がやりたい曲を上げた時、旋律はバイオリンに弾いてもらうのが一番自分にとってもやりやすい形であったことは

コレまた今回の重要なポイントです。

 

改めて思いました。

僕は伴奏が好きなのだと!笑

しかしながら伴奏と言っても色々あるのです。その伴奏の音1つ1つに、僕がこれまでピアノという楽器に魅力を感じた大きな点があります。

歌とピアノ、フルートとピアノ、エレキギターとピアノ、弦楽器であるバイオリンとピアノ。これらいわゆる音がレガートしてくれるものとピアノの協奏は、古来よりとても相性がいいのです。旋律に対するピアノの伴奏の和音の美しさに僕は取り憑かれることが多かったのだと認識しました。sukekiyoの「ただ、まだ、私」「anima」なども、自分はそういう感触で作っているのだと。

 

それに、僕の認識は当然ピアニストのコンサートではなく、作曲家、マニピュレーター、バンドのメンバー、クリーエーターとしての音楽家”匠”が演奏する”自分らしいピアノのコンサート”と、いうものでした。そして「自分の音楽の源流をたどる!」と、銘打ちましたが、思えばそれは自分自身を丸裸にするような照れくさい一面もありましたが、それはそれでこの際いいのではないかと思いました。この点においては来てきださった皆さんも分かって頂き、楽しんでもらえたのではないか?と、思ってます(苦笑)

 

今回終わってみて、お手紙やDM等で皆さんの感想をたくさん頂きました。ちょっとホッとしました笑 プレゼントやお花もありがとうございます! 駆けつけてくれた大学時代の友達は皆、口を揃えて「Tears」が特に胸に刺さったと言っていましたが、これはきっとそれぞれに親への思いがよぎったのでしょう。アンサンブルが変わろうとも、音楽の持つこう言うパワーを表現できたならば、本望です。まだまだ感想ある方はツイッターの方にDMして下さいね!ちゃんと目を通しております。

 

今回のコンサートは自分の大切なものをいっぱい並べて、それをピアノとバイオリンのアンサンブルで表現し、楽しんでもらう、そんなコンサートであったと思います。また、誕生日が同じである祖母の命日が奇しくも1/27であったことも今回の日取りを決める後押しでした。天国にいる皆へも届け!

 

終わって僕が会場を後にした時、渋谷の街は雪でした!びっくり!

 

 

さて、このコンサート。色々と反省点(終演時間が遅すぎetc))も多々ありますが、

それ以上にもっとこうしてみたいというビジョンもあります。

 

年に1回位、ひっそり開催できれば、みんな、また来てくれるよね?

 

 

では!

 

マニピュレーター座談会

ここは久々の更新になります。

 

2019年になってもう半分が過ぎようとしています。

年明けに何か書こうかと思っていましたが、アレコレと忙しいと思っていると、もう元号すら変わっているこの有り様です苦笑

 

そういうわけでちょっとだけ上半期の出来事の中の振り返りブログを。

sukekiyoでの活動記録はしっかりとオフィシャルサイトに残されてますのでそちらを。

 

 去る3/24(日)に、hide with Spread BeaverのINAさんが主催する電脳音楽塾で、「THE 3名様」と題してマニピュレーター座談会が催され、僕も参加しました。この話を頂いた時には、他のお二人とも僕より一回り以上も上ですし、まだまだ自分なんかが何かを語れる人間でもないと思いましたが、これまた折角のINAさんからの”白羽の矢”だと思い、臨んだ所存です。それにある意味、世代が違うからこその話を出来たらと思いましたし、よくよく考えれば僕も歳は”若者”ではないので苦笑、そういう若者に何か伝えていくような活動もやっていかなければと思いました。

 なかなか短い時間でしたし、ユーザーの皆さんにどこまでの専門用語が通じるのか手探りのところもありましたが、その点は次回に活かせればと思います。今回はちょっとくだけた面白おかしい話も出来たので、色々な人に興味を持ってもらえたらと思います。電脳音楽塾DMMオンラインサロンの方で、当日の動画がほぼノーカットで配信されています。お試し版はまだ見れるのかな?

 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=9IIXh7pPil4

 

そういうわけで、ロック界のマニピュレータとしてINAさんはX-JAPANを、JINさんはVAMPSを、僕はDIR EN GREYをサポートしているわけですが、それぞれの細かい手法、プロセス、ツールは違えど、それぞれ担当するバンドに対する深い愛情みたいなものは、皆しっかりあるのですね苦笑

 

ちなみに電脳音楽塾オンライン非会員でも有料配信しているようですので!

https://lounge.dmm.com/content/2813/

 

 

 

では、また

 

「テープレコーダーの話」

すごく久々の投稿です。

ココは閉鎖ではありません苦笑

 

久々だから長いけど、もしよかったら読んでね。

 

先月、スケキヨオンラインの連載でテープレコーダーの話が出ました。そうだ、あの高校生の時にスタジオで録音したテープの音がどっかにあったような気が。。年末のデータ整理に向けて、ついでに探してみました。ありました!何年か前にテープやらMDをやらまとめてデジタルデータ化した中に。多分一番古いやつではないかとおぼしき部類の録音が。おそらく親父が議事録用に買った、当時はスタイリッシュに感じた手のひらサイズのテープレコーダーを持ち出して録音したようです。でもちゃんと2個押すヤツだったけど笑。高校に入ってから交流の範囲もグッと広がり、いつくかバンドを掛け持ちしていました。1つは色々な縁あって知り合った年上の大学生のお兄さんお姉さん達と。山下久美子さんの「微笑みのその前で」やZIGGYの「La Vie en Rose」などを緊張しながら演奏してるテープ。みんな優しかったけど僕にとっては修行の場でした。だから僕の人生初ライブは、多分、、、女子短大の文化祭だったような苦笑。さて、それらの中でもやはり特別なのがXのコピーバンドです。御察しの通り思春期の僕と言えば1日の80%はXのことしか考えてなかったでしょう。家の部屋は天井までポスター、授業中は教科書のカバーで覆い隠したブルーブラッドの楽譜を見つめ、文房具類は地元のシーモールというショッピングモールの中にあった怪しげな店で買ったXの下敷きなど(。。今考えると完全パチモンですよね苦笑)。中学校の卒業式前には机に彫刻刀で綺麗に掘ったXのロゴとバラの絵をついに担任の先生に木工パテで修理しなさいと叱られました。これ系やってた人、全国に沢山いたと思うんだけど苦笑。さて、話を戻してこのXのコピーバンドは地元同級生を中心で(中学、高校はバラバラだったけど)組んだので、ますます青春色全快爆発でした。

 

さて、、、、再生。。。

 

いきなり笑えたのが最初の5分位はスタジオ内でのしょ〜もない雑談が録音されてることだ。

「あ、そういや○○○、またフラれたやろ!w」

「マジやろ!、アイツまた告ったん?○○○フラれすぎw」

とか、

「こないだの模試の判定がヤワやし、 A判定狙って◯◯◯大にしちょったのに。」

とか、もうこれ以上は書けない苦笑 しかしながら、このしょ〜もない会話が約四半世紀の時を経て、こんなに笑える宝物になることは。さて、そんな雑談から唐突に演奏が開始されます。曲は「DAHLIA-イントロだけ」「X」「WEEK END」「ENDLESS RAIN」「紅」でした。ああ、コレコレw この感じw

これはなんとも文章では説明し難い。テープレコーダーに残された青春の爪痕の音。

しかし、このスタジオ録音の「ENDLESS RAIN」では僕はキーボードを弾いている。??ライブではギターソロを弾いた記憶が残っているのに。。!?そうだ、シンセ本体に打ち込める機能が付いていたから、ライブではあらかじめ家で弾いたヤツをメモリーして流したんだった!

!?と、いうことは、俺はギターを構えたままシンセサイザーのスタートボタンを指で押して曲を始めていたのか!。。。今とやってること何も変わってない。。。まぁそういう宿命だったってことだね苦笑

 

そして、またそれ以上に笑えたのがギターの基本的な音造りの方向性が今とたいして変わっっとらんトコだった苦爆笑 まぁ一周回ってライブではギターのピックアップがEMG-81という、その時使ってたヤツと同じだしね。ホント、コレには参った笑。

あれから時間が経って色々な経験がありましたが、俺はたいして成長してないんじゃないかとも思いましたが、どうやら「初心忘れるべからず」という点においては、今のところ大丈夫そうです、hideさん。

 

これからも初心は忘れずに、人として色々な面で成長出来るよう精進しなければと思いました。

 

テープレコーダーには、思いの他、色んなモノが残されていたのでした。

 

 

2018年のEYES LOVE YOU

20年前の隅田川沿いの列は長く険しく、日差しがジリジリと照りつけました。物心ついてからは自分の家族も含めて、大好きな人がいなくなることへの態勢がまだなかった自分には受け止めきれない、よくわからない感情が長い列にならぶ時間の中でぐるぐる周っていました。生前のステージを見たことがなかった僕には全く実感がわかず、茫然としていました。

大学進学で上京してすぐの5月のことでした。

 

Xも解散し、これでもう自分が強烈に好きなのものは完全になくなった感じでした。進学で上京し、環境も変わって、「ああ多分ここまでが青春で、ここからはきっと大人の社会への入り口に入って行くのだろう」と思いました。

普通の?穏やかな?一般的な?親が望む?人生の道を進むのだと思いました。

 

東京での大学生活3年目を迎えるにあたり、後悔だけはしたくないから一度だけ本気でバンドをやらせてくれと親に許しをもらいました。なんとか約束の卒業後1年以内リミットに、今もお付き合いしている事務所に入ることになり、バンド継続の許可を両親から得ました。理想に向かうべく不器用に、悪戦苦闘する、楽しいこともありましたが、概ねは苦悩の日々が続きました。音源作品は最終的には納得出来るものが作れました。

しかしながら気がつけばメンバーは20代後半に差し掛かり、このままで自分の思い描いた理想に本当になるのか問うた時に、何か迷いがあったこと、また他メンバーも似たような思いがよぎり始めていたこと、その他色々と重なり2008年の2月の広島のホテルでのミーティングにて内々に解散が決まりました。

 

2008年の3月にXの再結成ライブを東京ドームに三日間見に行きました。初めてXのコンサートを生で観ました。もう見れないと思っていたものが見れた感激は凄まじいものでした。

同時にこんな思いも分かりました。

「ああ、思い起こせば僕が元来なりたかったのは、やっぱりコレだ。こういうスケール感だった。もう今、到底たどり着いてない現実がある。だから自分のバンドは解散でよかったのだ。今はっきり分かった。

ステージ上に、hideさんは、そこにいないのに、光り輝くオーラを放っている!!

凄い!!

自分にはそんな星はなかった苦笑

気付いてよかった。でも音楽は納得行くもの作れたから後悔はない。

だからそれでいいさ。」

 

その後、ディレクターの推薦により僕はDIR EN GREYのマニピュレーターの任を与えられることになりました。勉強をしました。今でもしています。そのうちに京さんのソロプロジェクトsukekiyoのバンドメンバーとして再びステージに立たせてもらえることにもなりました。

思ってもいなかったことが、ゆっくりと、そして次々と起こっていきました。

 

2015年のルナフェスでINAさんに挨拶をすることが出来ました。翌2016年のVJSで、思わぬ白羽の矢でhide with SpreadBeaver のマニピュレーターを務めることになりました。無事に終わり、沢山のエネルギーをもらってまた通常の職務に戻り2017年も頑張れました。

 

2018年、先日20thメモリアルのスーパーライブ SPIRITS でのhide with SpreadBeaver のマニピュレートが無事終わりました。

 

仕事には、常にいい意味で自分にプレッシャーをかけます。プレッシャーがあればあるほどに自分も成長するはずだからです。

 

仕事中は当然冷静でいなければいけません。

でも大切なところはなんでしょう。そうタイトルそのものです。SPIRITS 。hideさんは生前沢山の言葉を残されました。

"どんな状況でも楽しんでやらなければ、ロック、エンターテイメントじゃない"

それが自分なりに咀嚼し解釈したSPIRITSでした。

 

だから”冷静に情熱を持って”楽しみました!

 

前回の幕張では「TELL ME」で涙が溢れてきました。

今回は、24年ぶり?に1stシングル「EYES LOVE YOU」が演奏されている時に、涙が溢れ出てきました。皆さんそれぞれに色々な思いがあるでしょう。僕はシングルのバンドスコアも買って必死に練習した曲でした。

 

27日の会場ゲネプロでは我慢しましたが

4/29の演奏中に涙と共に溢れ出ました。

 

 

「ああ、hideさんがいる!いるよ!

そして、、14歳の俺もいる。14歳の俺が見てる!ギターソロを練習していた、PVを見ていた匠少年が。ああ、今、僕は、、!」

 

 

人生、なんとか気長に頑張っていれば、ホントいいこともあるもんです。

だからこれからも自分なりに、形にとらわれず、楽しみながら苦労もして、

そのSPIRITSを忘れずに、生きて行きたいと思います。

 

 

hide さん、ありがとうございます。

 

これからもずっと。