ブラジル番長【Diary】 -9ページ目

最強暴走族総長☆伝説

読者の皆さま


減利威苦利巣魔巣!


メリークリスマスを暴走族文字で表すと

こげなふうになりやす。


あんまりカッコよくないばいね…。


さてさて久しぶりのブラジル番長日記ばってん、

まずは本題に入る前に、お知らせが1点ございやする。


ブラジル番長【Diary】


ジャーーン !!


先日受験した高卒認定試験(昔で言えば大検)の

結果通知書ばい。


番長にとっては初めての高卒認定試験で全8科目受けたところ、


なななんと


7科目受かりやした。


残念ながら数学だけは落っこちよったけどね・・・。


ばってん、これで皆さんもお分かりになったであろう。

番長がいかに優秀な頭脳を持っておるかが――。


フフフ。


これで皆さんに向かって、堂々と言えよる。

もう一度、声高らかに言わせてもらうばい。


「人生、学歴なんて関係なか~!」


「必要のない学校のお勉強よりも、人生勉強のほうが大切ばい~~!!」


(やった…)


この言葉を言うためだけに、今年は春から夏にかけて

机の上で勉強をやってきよった。


これでもう、よその連中から『負け犬(中卒)の遠吠え』なんて

言わせんぜ。



ああ、スカッとした。



さて、本題に入りやす。


先日、番長のお友達がやっておる『前向きぶっちぎりトークライブ』が

福岡市内で行われよった。


今回のトークライブで講師を務めていただいたのは、

番長の大大大先輩である岡本達也さん(43)ばい。


ブラジル番長【Diary】


岡本先輩は、かつて福岡市内最大の暴走族連合『餓鬼』の

総長やったお方じゃ。


当時は不良少年たちの間で暴走族が大ブームやったけんね。

人数も300人以上おったらしいよ。


そこのトップやけんね。

番長なんかとは比べものになりやせん…。


「暴走族をやってた頃は、年に何人もメンバーが事故死しとったなあ。

中途半端な気持ちでゾクをやってたら本当に死ぬとよ。

だけん、半端な思いでゾクに入ったり抜けたりしてた奴に対しては、

容赦なくボコボコにしとったね。だから普通の人にはゾクが務まらんのよ」


さすが先輩、この一言を聞いただけでも気合が伝わってきよる。


岡本先輩は小学校6年生からシンナーを吸い始め、中学校2年生で

覚せい剤に手を染めたという。


当時、流行ったウォークマンば学生から取り上げては、質屋にもって行き

そのお金で覚せい剤ば買いよったらしい。恐ろしい中学時代ばいね・・・。


そいて地元にあった5~6人の小さな暴走族チーム『餓鬼』を

わずか数年で300人規模にし、福岡最強チームにまでのし上げた。

今でもその時の岡本伝説は、地元のワルたちの語り草ばい。


ばってん、先輩が本当にスゴイのはこの後の人生。


23歳にしてヤクザ屋さんの賭博場に出入りしとった先輩は、

あれよあれよという間に4500万円の借金ば作ってしもうた。


もちろんこうなりゃもう、逃げるしかなか。


「どげんしよう・・・」と悩んどった先輩は、

とりあえず毛皮を売る会社に勤めるとばってん

この時にあみ出した究極の岡本流販売術が


土下座戦法


やったという。


とにかく「毛皮を買ってください」とあちこちに土下座してまわった。

福岡最強暴走族リーダーのプライドを捨て、必死になって頑張った。


そのお陰で先輩は、毛皮の売り上げ日本一になった。

やっぱ普通の人とは気合の入り方が違うばいね。


その資金で中州に飲食店を開き、徐々に店舗を増やしていき

建設会社も作った。ヤクザ屋さんにもお金を全額返済した。


今となっちゃあ、岡本先輩は我らが誇る青年実業家ばい。


もう一つ、先輩のスゴイ伝説がある。


ちょっと余談になるばってん、番長はいま福岡青年会議所の会員ばい。

でもなんで中卒元ヤンである番長が青年会議所に入れたと思う?


それは岡本達也委員長という前例があったからなのじゃ。


岡本先輩もその昔、番長と同じように青年会議所の門ば叩きよった。

その時、入会審査をしていた青年会議所のあるメンバーが先輩の前で

こう言ったという。


「今日はもう早よう終わせて、中州へ飲みに行こうや」


それを聞いて岡本先輩はブチ切れた。


「オイ、俺はこの日のためにわざわざ準備して入会審査に来とるんや。

なんかその言い方は! こんな下らん会なら俺は入らん!」


先輩は怒って審査の途中で帰ってしもうた。


しかし、この後の先輩のとった態度が立派やった。


先輩その後、もう一度青年会議所の入会審査を受けとる。

そいて先輩は深々と頭を下げ、こう言った。


「あの時はすんませんでした。どうか青年会議所に入れて下さい」


すでに岡本先輩は暴走族リーダーではなく、社会人「岡本」やった。


まわりからは「あんな元暴走族に何ができるか」と思われたことやろう。

ばってん、先輩は青年会議所の中で上へ上へ目指した。志が高かった。


先輩がやりたかったこと。

それは暴走族時代にお世話になった少年院へ

青年会議所メンバーを連れて行き

講演することやった。


その為に一生懸命、青年会議所の活動を頑張った。


そいて入会から数年を経て、委員長になった。



夢は実現しよった。



青年会議所の多くのメンバーを引き連れて、佐世保少年院へ行った。

院内で生活していた少年を抱きしめて、「頑張れよ」と励ました。


岡本先輩は今から3年前に、青年会議所を卒業されておる。



これが福岡を代表する元大物ヤンキー

岡本達也先輩の半生ばい。


改めてこのお方はすごい人物や~


『前向きぶっちぎりトークライブ』の最後には、

参加した子供たちに向かって岡本先輩がこう話しとった。


「社長になりたい、店を持ちたい、いい仲間がほしいという夢があれば、

そう思った瞬間から夢は実現する方向に向かう。おまえたちは夢を持て」と。


先輩、本当に有難うございやした!


ブラジル番長【Diary】


講演終了後には、久留米の元小学生ヤンキーで、

番長の弟分のシュンヤ君たちが花束を贈呈しよった。


シュンヤ君も「岡本さんはカッコよかった」と大喜びやったばい。



このブログを読んでくれとるヤンキー諸君も

目指せよ第二の岡本達也を!



=====================================================


お知らせコーナーばい。


いつも『前向きぶっちぎりトークライブ』を主催してくれとる

坪井恵子さんが、このほど一般社団法人ストリート・プロジェクト(ストプロ)

ば設立しよりました。


そいで現在、ストプロでは『親元で暮らせない子供を古本で救おう!』という

事業ば行っとりやす。


お宅に眠っとるいらなくなった古本ば、ぜひ社会のお役に立ててくんしゃい。


詳しくはストプロHPへ

http://kifubon-stpro.blogspot.com/



ではでは、よき苦利巣間巣ばお過ごしあれい!


=byブラジル番長=

二代目襲名披露


ブラジル番長【Diary】

むむ!

なんじゃこの怪しい看板は!?


『二代目襲名披露会場』・・・。


こんな看板ば立てとると一般人は、

あっち系の集まりかと勘違いしそうばい。


じつは番長、このほど実践空手養秀会から招待されて、

北九州市八幡のホテルへ行きよった。


養秀会と言えば、アメリカ、カナダ、ドイツなどにも

たくさん支部を抱える空手界の名門じゃ。


門下生も2000人はくだらんばい。


そんな養秀会を創設した山元勝王宗家も

73歳となり、すっかり年を取りなった。


それで、いよいよこの空手団体も世代交代をすることに

なったとぜ。


ばってん、


聞いて驚くなかれ!


この大所帯の二代目を継ぐことになったのは、

なんと、なんと!!


若干13歳(中学1年生)の山元公貴くんなのである~

ブラジル番長【Diary】


写真左の大男が山元宗家で、右側の少年が公貴くん。


山元宗家は、たびたび番長のブログにも登場しとるので

読者の皆さんもご存知かとは思うばってん、


このお方は、かつて体長2メートルのベンガル虎と

金網デスマッチを果たし勝利した、伝説の空手家ばい。


『空手バカ一代』では唯一の他流派空手家として、

実名で登場しておる超大物である。


そげな山元宗家の後を継ぎ、二代目に就任するとは

公貴くん、まだよくわかっとらんだろうが、頑張ってね…。


ちなみに養秀会は、


ブラジル番長【Diary】


こげな人間離れした「試し割り」をすることでも知られとって、

K-1なんかが流行る以前は、格闘技好きの観客ですごい人気ぶりやった。


番長も小さい頃は、よく養秀会の演舞ば見に行ったもんばい。


ブラジル番長【Diary】


壇上で二代目就任の挨拶ばする公貴くん。


公貴くんが小学校低学年の頃から親しくしとっるばってん、

彼はなかなかの肝っ玉の持ち主ばい。


空手大会をやっとった最中、ほかの子供たちは正座をして

観戦しとるのに、公貴くんだけは床に寝転んで先輩の試合を見ておったもんね。

(もちろん師範から怒られよったけど…)


そんな公貴くんの姿を見て、番長はこう思った。

「この子はまるで織田信長公じゃ。将来きっと凄い武人になる」と。


最近は少々反抗期に入ったようで、番長と会うたびに

「暴走族の頃はどんなバイクに乗ってたんですか?」とかなんとか

質問してきよる。


番長の可愛い弟みたいなもんじゃ。


襲名披露ではしっかりと挨拶できよった。

エライぞ!


ブラジル番長【Diary】


襲名披露式を終え、最後に公貴くんと一緒に

ファイティングポーズ。


ちなみに公貴くんの横にいるイケメン青年は、

新極真会戸畑道場の山下先生の次男坊で、山下大貴くんという。


彼は日本きってのテコンドーの実力者で、次期ロンドンオリンピックの

最有力候補になっとうとぜ。


サインば貰うなら、今のうちばい。


日本の未来の格闘界を担う公貴くん、大貴くん

そして見掛け倒しの番長の3人トリオで、


来年も気合い入れよるばい~!



ところで読者の皆さん、

番長に手をあげたら後が怖いよ(笑)


=byブラジル番長=

番長、空を飛ぶ

このほど、佐賀市の嘉瀬川河川敷で

恒例の『2010佐賀インターナショナルバルーンフェスタ』が行なわれよった。


ブラジル番長【Diary】


このバルーンイベントがあっていた頃、

番長はのほほんと車で大阪へ出張しとったんやけど、


アミーゴ(友だち)の下野孝志さんから


「番長、熱気球に乗ってみらんね」

と誘われたもんやから、


「マジでですか~!」と急いで高速をぶっ飛ばして

九州へと戻ってきたとばい。


熱気球に乗れるなんて、一生に一度あるかないかの機会やけんね。

そりゃもちろん乗りますばい。


ブラジル番長【Diary】


大阪から約700キロの道のりを経て

朝6時半に佐賀市へ到着。


早速、河川敷に集まったメンバーで

気球を飛ばす準備ばはじめよった。


ブラジル番長【Diary】


写真のイケメンは、熱気球競技で史上最年少の

日本チャンピオンに輝いた藤田雄大くん(23)。


ブラジル番長【Diary】


広げた布の中にファンで風を送り込むと、どんどんと気球が膨らみよる。

その際、気球がバランスよく立つようにロープでしっかりと支えんといかん。


番長と雄大君は、鼻汁を垂らしながら力いっぱいロープを引っ張っとった。

朝っぱらから、よか汗ばかいたなあ。


ブラジル番長【Diary】


見事に完成!

この熱気球は、競技用の気球よりもひと回りサイズが大きいらしい。

間近で見ると、そのデカさに圧倒されよった。


ブラジル番長【Diary】


このように火力を上げると、布の中の空気が温まって

気球は飛びよります。


なるほど~ 感心した~。


ブラジル番長【Diary】


このお方が下野さん。

最近、よく一緒にコーヒーを飲んでおる間柄じゃ。


下野さんはLMI(SMI)プログラムを日本に普及させ

一大ブームを巻き起こした張本人である。


このお方から教育を受けて、大実業家の道を歩んだ人は数知れず。

最近、番長も下野さんから教育してもろうとりやす!


ブラジル番長【Diary】


今回、下野さんから熱気球に誘われたのは

番長を含めて、わずか10人程度。


その中には、お仏壇の「はせがわ」の

長谷川裕一会長や



ブラジル番長【Diary】


香酢で知られる「やずや」の矢頭美世子会長など、

日本経済界を支える重鎮の姿もあった。


ちなみに番長は、日本元ヤンキー界の代表として参加(笑)


もうこの年齢になると、バイクで地面を走っておれませんぜ。

30代からは空を走るんですぜ、空を。


ブラジル番長【Diary】


いよいよ大空へ向けて出発ばい!

4人乗りのゴンドラの中で、ハイチーズ。


ブラジル番長【Diary】


「そんじゃ、皆さん行ってきま~す!」


ブラジル番長【Diary】


「うおお! たけえええ~!」


ブラジル番長【Diary】


「ひえーーー!! たけえええーー!!」


ブラジル番長【Diary】


「ちょ、ちょ、こええよ…」


写真でもおわかりのように、ゴンドラが宙を浮いておる―。


万が一、ゴンドラの底が抜ければ、下へまっさかさま。

ゴンドラを吊るしているロープが切れれば、籠がひっくり返るやろう。


そう考えると、だんだんと恐ろしくなってきよった…。


ブラジル番長【Diary】


「もうよか、もうよかって! おろして~~!!」


ブラジル番長【Diary】


番長の顔が引きつっておるのがわかる。


まわりの人たちは外の景色を楽しんでおるのに、

番長だけはロープにしがみついて、なるべく下を見ないように

縮こまっとった――。


ブラジル番長【Diary】


熱気球は高度600メートルまで上昇しよった。

飛行機以外の乗り物で、こんな高さを経験したのは

もちろん生まれて初めてのことじゃ。



ブラジル番長【Diary】


「わはは!キミは見掛けによらず、ビビリだね」と

空中で笑っていたのは、操縦士の藤田昌彦さん。


雄大君のお父さまである。


藤田さんは、人類ではじめてベーリング海峡を熱気球で横断した偉人で、

世界ハイレベルのバルーンニストなのじゃ。


「わしは気球で地上7000メートルまで飛んだことがあるよ」

と豪語しておった藤田さんに、


「その時、用を足したくなったら、どうするんすか?」と

素朴な質問をしてみた。


「ああ、わしはオムツをするから」とのことやった。


ブラジル番長【Diary】


藤田さんいわく「熱気球ほど安全な乗り物はない」とのこと。

これまで無事故・無違反なのだそうだ。


藤田さんの華麗なる操縦技術で、

なんの揺れもなく見事に風に乗って、無事に地面に着地しよった。


ブラジル番長【Diary】


その後、みんなで片付けタイム。

気球に使ったガスボンベなどはゴンドラの中に入れて、

ワゴン車の中に気球セットを運んだ。


ブラジル番長【Diary】


あれだけ大きかった熱気球が、

ワゴン車の中にスッポリと収まるなんて

ちょっと驚いたばい。


藤田さん親子は、このあとお住まいの栃木まで

車で帰られよった。


いんや~ いい思い出になりやした。

熱気球は、夢があって本当によかったよなあ。

怖かったばってん…。


最後に下野さんから


「恐怖心というものは己自身が作り出すもの。

最悪の事態というものは自分が思っているほど起こらないのだから、

自信を持ちなさい」


とご指導ば賜りよった。


ありがたや。


ありがたや。


今後とも夜露死苦お願いしよります。


=byブラジル番長=