迷える若者はブラジルへ行け!
読者の皆さん、大変ごぶさたしとりやした。
どうしたもんか、最近は分刻みの忙しさで、
3度のメシよりも大好きな『1円パチンコ』にも行かれん状態が
続いとる。
楽になりたか…。
のほほんとパチンコを打ちたか・・・。
スーパーリーチでドキドキしたかあ・・・。
ばってん、考えてみれば今の番長の立場自体に
スーパーリーチがかかっとるごたあ。
パチンコ台でフィーバーしたいところばってん、
やはり、これからは己の人生でもフィーバーせないかんばいね。
そんな番長は、このほど
毎日新聞で一大プロジェクトを発表しよった。
『迷える若者 ブラジルへ』
若いうちから、こんな恵まれ過ぎた日本の環境に
どっぷりと漬かっておるから、青少年たちは引きこもる、
オレオレ詐欺をする、クラブで遊びほうける、パチンコ屋に通う。
大人たちは、なんとか青少年たちを立ち直らせようと
必死こいとるが、働かずとも飯が食える今の日本社会に住んどれば
当の本人はなかなかその気にならん。
巷では、子が親を殺し、親が子を殺す。
教師が生徒にイタズラする。生徒が教師をナイフで刺す。
立派な大人が、平気で食べ物をゴミ箱に捨てる。
パチンコ屋に通う。
どうしたもんか…。
そこで番長は考えよった。
日本の青少年たちをブラジルの奥地へ送り込んではどうかと。
まだ、電話線も通ってないようなブラジルの奥地で農業をさせながら、
異国の地で一生懸命に生きとる日本移民の後姿を見せる。
素朴で純粋なブラジル人たちと一緒に汗を流してもらう。
雄大なブラジルの大自然の中に立たせて、世界の広さを感じてもらう。
そうすることによって、青少年の視野を広げ、人生価値観を変える。
「そげな研修制度を作るばい!」
そう心に誓ってから、ブラジルで暮らしとる日本移民に連絡しまくり、
日本の青少年を受け入れてくれる人を探し回った。
そして、自力で見つけた。
ブラジルの奥地で大牧場を営んでいる久枝俊夫さんという人が
「ワシが青少年を預かってやろう」と名乗り出てくれた。
久枝さんはブラジル中西部の南マットグロッソ州で、
牛6000頭を飼っており、自然農法で野菜を育てとる。
久枝さん自身も「いまの日本人が心配じゃ」と話しておって、
最近、牧場の中に100人が生活できる施設を建てた。
この施設に日本の青少年を住まわせたいと言っとった。
ブラジル側の受け入れ準備ができたので、
番長は早速、今年6月に少年院から出てきたばかりの少年を
久枝さんの牧場に送り込んだ。
あれから3ヶ月が経ったが、現在、その少年は
馬に乗って牧場を駆け回り、久枝さんのカバンを持って
ブラジル国内を3000キロも一緒に同行したり、
ブラジル人から誕生日を祝ってもらったりしておる。
先日、久枝さんと電話で話したら
「番長が紹介してくれた少年は、よく頑張っとるぞ。
とても元不良だとは思えんなあ」
と感心しとった。
ちなみにこの少年、当初は「3ヶ月間だけならブラジルへ行ってもいい」
などと言っておったが、今となっては「3ヶ月じゃ物足りないんで、
半年間ブラジルに居ていいっすか!」と話しとる。
久枝さんは、「ブラジルまでの旅費さえ自分で払えば、あとはワシが青少年の
面倒を見るよ。食費も宿泊費もいらねえし、いつまで居たってええ」
と言ってくれとるので有難い。
番長がこの研修プロジェクトを青少年問題に熱心な
毎日新聞記者に話しよったら、
「新聞に載せましょう!」ということになった。
現在、番長が福岡支部をやっとる『NPOチャレンジブラジル』
が受け皿となって、青少年をブラジルへ送り出しとる。
NPOチャレンジブラジル
http://www.challenge-brasil.com/
青少年諸君よ!
パチンコでフィーバーするのもよかばってん、
己の人生もフィーバーせよ。
勇気を持って、世界へ飛び出てみんしゃい!
きっと自分の中で何かが変わるけん。
=byブラジル番長=
稲盛和夫を唸らせた男
番長はつい最近まで、長々と東京さい出張しておった。
なので、すっかりとブログの更新が遅れよりました。
今回、東京では友人のご長男の結婚披露宴に出席したばい。
式場は「日本一豪華」だといわれる目黒雅叙園で行なわれた。
目黒雅叙園と言やあ、総理大臣の息子レベルの「おぼっちゃま」が
結婚式を挙げるところやん。
式場の中は金閣寺ばりの豪華さで、出された食事もロブスターだとか、
松坂牛だとか高級食材ばかりやった。
こんな場所で結婚式を挙げるとなっちゃあ、1000万円は下らんばい。
一体、どげな富豪がご長男の結婚費用を出したのかというと、
このおかた。
じつは番長の著書『ヤンキー記者、南米を行く』にも登場した
ブラジルの大実業家・谷さんじゃ。
そう、かつて番長がゴミ袋の中に素手で手を突っ込んで、
使用済みコンドームと石鹸の仕分け作業をやった、あのラブホテルの
オーナー様である~!
谷さんのご長男が、このたび日本人女性と結ばれたので、
番長ははるばる福岡から祝福に行ったというわけじゃ。
それでこの谷さんという人物。
著書では詳しく紹介していなかったので、このブログで氏の
サクセス・ストーリーをお話したい。
谷さんの生き様は、絶対に知って損はないばい。
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谷さんは早稲田大学を卒業した後、ブラジルへ移住した。
はじめは日系人の多いサンパウロ市で暮らしとったばってん、
「ここじゃあポルトガル語を覚えん!」
ということで、
単身でサンパウロ市から約3000キロ北上して、
ブラジル東北部のマセイオ市に移り住んだと。
↑の写真がマセイオ市。
今から40年前のマセイオには、日本人が一人も住んどらんかった。
谷さんはまったくの無一文で、この地へ行っとる。
お金がなく、マセイオの美しいビーチで寝転んでいたところ、
谷さんのところに物売りの少年がやってきた。
谷さんはその少年に向かって
「おまえが通ってる小学校へ連れて行け」と頼み
早稲田卒の身分でありながら、現地の小学校へと入った。
「教室の片隅で授業を聞けば、無料でポルトガル語を覚えられる」
それが無一文の谷さんの勉強法やった。
その後、リンゴ箱の上に野菜を並べて、
市場の路上で八百屋をはじめた。
ここで谷さんは、自身の商才に目覚めることとなる!
ブラジル人の八百屋さんたちは、泥だらけのジャガイモを
そのまま店頭に並べて売っとった。
しかし谷さんは、ジャガイモを一つ一つ丁寧に洗い、
泥を落として客に売った。
また、当時はまだ冷蔵庫がない時代やった。
ブラジル人の習慣では、一週間分の食料をまとめて買い込みにやってくる。
よその八百屋では、客から一週間分のリンゴを注文されると、
ドサーッとコーヒーの麻袋いっぱいにリンゴを流し入れとった。
ばってん谷さんは、ちゃんとコーヒー袋の底に青いリンゴを積めて、
袋の一番上に赤く熟したリンゴを入れた。
ブラジル人の八百屋の入れ方だと、一週間たてば、コーヒー袋の底の
リンゴは腐れてしまう。
しかし谷さんの入れ方やったら、底に入れた青いリンゴが一週間後には
赤く熟すので、リンゴを腐らせることなく全部食べられる。
ほんのちょっとした工夫やった。
それが八百屋をはじめて間もなく、谷さんが市場の客を総取りしてしまった。
八百屋で一儲けした谷さん。
今度はマセイオ市にはなかった食べ物屋をはじめた。
それが後にブラジル全土で大ブームとなった『パステル』だ。
パステル屋は連日、長蛇の列で賑わった。
小さな小さな店やったが、コーラの売り上げはマセイオ市で1番になった。
毎日、コーヒーの麻袋2袋分にお金が満タンになったというから凄か…。
そのお金で、今度はブラジル東北部で一番大きなシュラスカリア
(ブラジル式焼肉のレストラン)をオープンした。
この当時、谷さんは30代前半。いまの番長と同じ年頃じゃ。
谷さんにはかなわんばい…。
それで、谷さんはシュラスカリアのオープニングセレモニーで、
ブラジルの大物歌手・ロベルトカルロスの記念コンサートを実現させた。
ロベルトカルロスとは、日本で言うところの「美空ひばり」レベルの歌手じゃ。
これにはブラジル全土からマスコミが駆け付けた。
「店にロベルトカルロスを呼んだ日本人」
谷さんのレストランはブラジル東北部の名物店となり、大繁盛した。
そしてこの頃に連邦大学法学部を首席で卒業し、弁護士の資格を取得した。
「ブラジルで商売をするなら、まずはこの国の法律を知ること。
そうせんとブラジル人に騙される」(谷談)
そして谷さんの40代、50代は凄まじかった。
ファッションに乏しい東北娘たちの心をつかんだ「アクセサリーショップ」事業、
マセイオ市が近い将来、ブラジルの観光名所になると見越しての
リゾートホテル事業、不動産業、そしてラブホテル事業と、
あらゆる仕事を成功させ、大実業家となった。
じつは谷さん。
20年ほど前に京セラの創設者である稲盛和夫氏をマセイオ市に招いとる。
稲盛氏といえば、塾生5000人を越える「盛和塾」の塾長で、
「経営のカリスマ」として有名や。
その稲盛氏が、マセイオでやっとる谷さんの事業を視察して、
「谷くん。もしキミが日本で事業を展開していたなら、おそらく
私以上の会社に成長していただろう」
と絶賛した。
これは実話である。
現在、谷さんは70歳。
年を取っても、ブラジル日本語センターの理事長やブラジル龍馬会会長
などを務め、活発に活動しておる。
『無一文から大富豪へ』
谷さんの次なる夢は、マセイオで生まれ育った息子たちに託された。
谷さんが目標にしているもの
それは結婚した長男たちと親子で建設会社を設立し、
マセイオ市で5本の指に入る企業にすることだという。
谷さん、相変わらず凄すぎるばい。
読者もブラジル旅行をする際は、ぜひ谷さんを訪ねてみらんね?
ばってんこの人、厳しいよ。
=byブラジル番長=
教育界に乗り込んだばい!
うあああ~!
ものすごい人の数じゃった。その数、じつに500人以上…。
番長はこの程、福岡市南区の保護司会やら
推進委員会やらに招かれて、
『第2回南区大会―青少年問題を考える集い―』の講師ば
させていただきよった。
こんな番長がです。 はい。
大会に出席しとった各団体の代表者たちもハンパじゃなかったばい。
警察署署長、少年院院長、少年鑑別所所長、保護観察所所長、
保護司会会長、小中学校校長、PTA連合会会長、社会福祉協議会会長、
青少年育成協議会会長などなど、
ようは福岡教育界のボスたちが勢ぞろいしとったと。
ほか、議員さんたちもたくさんお越しになっとった。
こんなお偉方から期待されて、壇上へと上がったもんやから
この講演ばかりは失敗するわけにはいかんやった。
講演内容ばハズしたら、まさに切腹もんばい。
やけん、講演の1週間前から原稿ば書いて覚えて、
i Phoneで自分の講演を録音して聞いて、修正して、
なんて作業ばずっとやっとった。
その甲斐あって、本番はうまくいった。
いま番長は、少年院から出てきたばかりの子供を
ブラジル奥地の日系農家で研修させるといったボランティア事業をしとる。
「恵まれ過ぎた日本社会に若いうちからドップリと漬かっておるから、
若者が軟弱になる。若者を南米大陸へ送り出し、大自然の中で生活させ、
その地で逞しく暮らしとる日本移民の姿を見せれば、
若者の人生価値観は必ず変わる」
「非行から立ち直りたい少年は、南米へ行け!」
と、最後に公の場でバリバリ格好つけながら言わせていただきやした。
講演が終わると、今度は柏陵高校吹奏楽部の皆さんの
演奏会がはじまった。
今大会のゲストである番長のために、
わざわざ「情熱大陸」のテーマソングを演奏してくれよった。
こんなに嬉しいことは、めったになかよ。
吹奏楽部の皆さん、オブリガードでござんした。
そして、嬉しいことは立て続けにあるもんで、
南区大会を終えたあと、今度は中学校の同窓会が行なわれよった。
約15年ぶりに香椎第一中学校の連中たちと再会した。
番長は中学2年生の時に、校内でシンナーを吸ってしまい
気持ちよくなっとったところを先生に取り押さえられ、
学校側から転校を勧められて、そのまま皆の前から姿を消した。
いや~、いま振り返ってみると哀しい出来事やったなあ…。
ばってん、こんな番長にも同窓会の声を掛けてくれて、
同級生たちには感謝、感謝ですばい。
同窓会では、ひとり浮いた存在やったけど…。
「福岡の住民から支えられて生きておる」
そう痛感した一日じゃった。
=byブラジル番長=





