田窪一世 独白ノート -6ページ目

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

演技しているときの優先順位とはと、よく考えます。

 

かつて「アクターズスタジオ・インタビュー」というアメリカのテレビ番組がありました。アクターズ・スタジオの教授であるジェームズ・リプトンが、毎回、著名な俳優を招いて演技についてインタビューする番組でしたが、アル・パチーノがゲストに来たときのことは今でも鮮明に覚えています。「演技するときに一番大事なことはなんですか?」とリプトンが訪ねます。それに答えてアル・パチーノが言った言葉は「相手の台詞を聞くことです」でした。「相手の言葉を聞くことに集中してさえいればその後どう演じるべきかは自然に任せれば良いのです」当時まだ30代だった僕はその言葉に衝撃を受けました。それまで演じるときに、どう喋ろうか、どう動こうかばかりを考えていた自分の考えとは真逆だったからです。その言葉は、その後の僕の演技テーマになりました。

 

しかし、あれから30年、現在の僕自身の演技テーマはそれとは真逆です。日本の俳優たちに足りないものは「聞く力」よりも「相手のテリトリーを犯す力」です。相手のテリトリーに入り込む意志と欲求があれば相手は驚いてこちらに集中してくれます。つまり相手役は無意識にこちらの台詞を聞くようになるのです。お互いが相手のテリトリーを犯すことで、お互いが相手の台詞を聞くことに集中する。これでなんとかならないか。

 

1970年代に放送されたテレビドラマで鶴田浩二主演の「男たちの旅路」というのがありました。ガードマンという仕事を軸にして人間の信念や価値観を描いた山田太一脚本の名作ドラマです。ここに当時まだ新人の桃井かおりさんが出演していたのですが、ドラマの後半エピソードで歳の差を気にせず彼女が彼に迫っていくシーンがありました。そのとき彼女は大スター鶴田浩二のテリトリーにどんどん入っていって鶴田浩二が役というよりも彼自身としてたじろいでいたように僕は感じました。その後、萩原健一、松田優作、田中裕子など相手のテリトリーを犯す俳優たちがどんどん登場して来て、ハラハラワクワクしながら映画やテレビドラマを夢中になって観るようになりました。

 

 

 

 

 

 

今から150年ほど昔に生きたロシアのスタニスラフスキーが確立した演技論の中に「集中と開放」というのがあります。

 

この「集中」という言葉を聞いてみなさんはどんな状況をイメージしますか?「精神を統一して己の心の中を見つめる」的なイメージを持った人、あなたは間違いなく日本人です。多分、僕たち日本人は禅や仏教からそんな連想をするのだと思います。

 

ところがアメリカ人に同じ質問をすると、彼らはなんと「敵」あるいは「獲物」に向かって集中すると答えるのです。これを最初に聞いたとき僕は衝撃を受けました。同じ言葉からここまで真逆のイメージを持ってしまうのかと。スタニスラフスキーもその愛弟子のリー・ストラスバーグも同じ西洋人です。彼らの演技論を学ぶとき、僕たち日本人は充分に慎重になる必要があります。

 

子供の頃に親に叱られた記憶の中で一番恐かった出来事、それは家から追い出されて鍵を掛けられ、中に入れて貰えなかったことでした。確か5歳か6歳の頃だったと思いますが、あの時の不安で辛い気持ちを思い出すと今でも胸が締めつけられるような感じになります。「村八分」という言葉がありますが、たぶん僕たち日本人は群れから追い出せれることに恐怖を感じるというDNAを持って生まれて来たのだと思います。ところがアメリカ人の子供にとって一番辛いお仕置きは「自分の部屋に閉じ込められること」なんだそうです。彼らに取って自由を奪われることこそが最高に苦痛を感じる出来事なのでしょう。

 

俳優たちに「相手役に集中しろ」と指示すると、「相手役に集中しようと集中する自分」となり、けっきょく矢印は自分に向いてしまいます。これではいつまで経っても堂々巡りです。

 

 

 

 

 

 

 

俳優に演技を披露してもらった後に「どうだった?」と感想を尋ねると、ほとんどの俳優が「自分はこういうことは出来たがこういうことは出来なかった」と熱心に話し始めます。でも、僕が聞きたかったのはそういうことではなく、「相手役をどう出来たか出来なかったか」なのです。

 

個人プレイは自分がどうするかを考える演技ですが、チームプレイは相手をどうするかを考える演技です。対戦相手に自分自身がどういう攻撃を披露したかではなく、結果的に相手にどんなダメージを与えることが出来たかにこだわって欲しいのです。

 

しかし、これは俳優にとっては至難の業です。まず台詞を覚えなければいけない。人物が過去に経験して来たことを想像して、その経験が彼や彼女の性格にどんな影響を与えているのか、なんてややこしいことを考えなければいけない。さらに、どこをどう演じれば良いのか、ニュアンスを駆使するのか、感情はどう盛り上げれば良いのか、リアルにも演じなければいけないし、演出家や監督やスタッフや観客や視聴者に認めて貰えるような出来の良い演技を披露しなければならない。俳優は、こんなふうに自分だけに集中し、七重苦、八重苦を背負って演技しようとするのです。

 

例えばこれを侍の真剣勝負に例えてみましょう。師範代や兄弟子から教わった流派の型を覚えなければならない。その型が体に馴染むまで稽古しなければいけない。体を鍛えるために毎日走ったり素振りをしたり、兵法を学んだり論語を誦じたりもしなければならない。そして、身につけた全てのものを背負い技を駆使して敵と戦わねばならない。さて、彼は戦場に立って鞘から真剣を抜き構えて相手と相対します。「これからこいつと殺し合いをするのだ。そしてどちらかひとりが殺されて、どちらかひとりだけが生き残るのだ」そう実感した瞬間、これまで訓練して来たことや学んで来たことはすべて吹っ飛び、自分が生き残るために相手だけに集中し必死に死に物狂いで戦うのです。

 

演技では実際に殺したり殺されたりすることはありません。でも、それくらい懸命に相手のことだけに集中することが出来れば、きっと素晴らしい演技になるだろうなあと、思ったりはするのですが。

 

 

 

 

 

 

 

朝起きてボーッとしてるとき、感情は極めて無に近い状態です。

 

顔を洗って歯を磨いてるとき窓の外からウグイスの鳴き声が聞こえて来ました。「ああ、のどかだなあ」と微笑ましい気分になります。リビングに入っていきなりテーブルに足の小指をぶつけます。「痛えっ!」なんとも情けない気持ちです。ソファに腰掛けてテレビを点けると、災害被害のニュースを放送していました。「ああ、可哀想だなあ」悲しい気持ちになります。するとそこへ妻が降りてきて僕に向かって文句を言います。「燃えるゴミ出さなかったでしょ!」朝っぱらから不愉快です。日常、感情は外からやって来ます。ところが俳優は自分の内から感情を生み出そうと苦心惨憺するのです。

 

演技の場合、感情は自分で作るものではなく相手役がくれるものです。ということは演技中意識するのは自分ではなく相手役ということになります。つまりお互いが相手の感情を揺さぶってやれば良いのです。相手が泣くシーンでは自分が相手が泣くように仕向けてやる。相手が怒るシーンでは自分が相手役を怒らせるようコントロールする。これをお互いの俳優が行う。これがチームプレイの演技です。

 

1980年「クレイマー、クレイマー」という映画が公開されました。その15年後、ビデオ発売された映画の特典映像の中で監督や俳優たちが当時を振り返って貴重なエピソードを披露してくれていました。その中でもダスティン・ホフマンが語ったエピソードに僕は衝撃を受けました。映画の内容は、ある夫婦が離婚して子供の親権をどちらが持つかというシリアスファミリードラマなのですが、後半シーンで夫婦が喫茶店で言い争います。そして感情的になった夫は決裂して立ち上がる直前に目の前のグラスを手で払い壁にぶつけて粉々に砕いてしまうのです。凄まじいガラスの割れる音。驚いて顔を強張らせる妻。度肝を抜かれる場面です。そしてダスティン・ホフマンはこの演技プランを相手役のメリル・ストリープに内緒で実行しました。それどころか実は監督にも内緒だったというのです。彼はカメラマンにだけプランを打ち明け、彼女の驚いた顔がしっかりと画面に映る位置にカメラをセッテイングするようカメラマンに依頼したのです。

 

自分の感情は作らない。相手の感情を作ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

最近の脳科学で、人間が何か行動を起こすとき、感情から行動に移行するのではなく、行動が感情を誘発するのだということがわかって来ました。

 

例えばペットボトルのお茶を飲もうとするとき、頭の中で「ああ、喉が乾いたから水を飲もう」と思ってペットボトルに手を伸ばすのではなく、無意識にペットボトルに手を伸ばしてから「ああ、喉が乾いた」と感じる、というのが正しい。そしてここからが驚きなのですが「ペットボトルを掴む」という行動は脳が行動の8秒前に命令しているというのです。つまり、まず喉自体が「喉が乾いている」という信号を脳に送り、脳は手に「ペットボトルを掴んで水を摂取しろ」と命令し、人はそれを無意識に行うというわけです。

 

演技をするとき、台本には怒れ、泣け、笑えという指示が書いてあります。俳優は怒ろう、泣こう、笑おうと自分の心中から感情を生み出して演技しようとします。つまり感情から行動へ移行させようとするのです。しかし脳科学的にはこれは間違いで、いきなり怒る、いきなり泣く、いきなり泣く、そして感情が自然に生まれる。生理的にはこれが正しいのです。

 

では、「8秒前の脳からの命令」を演技に当てはめると、実はこれが「台本」なのです。