集中と開放 | 田窪一世 独白ノート

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

今から150年ほど昔に生きたロシアのスタニスラフスキーが確立した演技論の中に「集中と開放」というのがあります。

 

この「集中」という言葉を聞いてみなさんはどんな状況をイメージしますか?「精神を統一して己の心の中を見つめる」的なイメージを持った人、あなたは間違いなく日本人です。多分、僕たち日本人は禅や仏教からそんな連想をするのだと思います。

 

ところがアメリカ人に同じ質問をすると、彼らはなんと「敵」あるいは「獲物」に向かって集中すると答えるのです。これを最初に聞いたとき僕は衝撃を受けました。同じ言葉からここまで真逆のイメージを持ってしまうのかと。スタニスラフスキーもその愛弟子のリー・ストラスバーグも同じ西洋人です。彼らの演技論を学ぶとき、僕たち日本人は充分に慎重になる必要があります。

 

子供の頃に親に叱られた記憶の中で一番恐かった出来事、それは家から追い出されて鍵を掛けられ、中に入れて貰えなかったことでした。確か5歳か6歳の頃だったと思いますが、あの時の不安で辛い気持ちを思い出すと今でも胸が締めつけられるような感じになります。「村八分」という言葉がありますが、たぶん僕たち日本人は群れから追い出せれることに恐怖を感じるというDNAを持って生まれて来たのだと思います。ところがアメリカ人の子供にとって一番辛いお仕置きは「自分の部屋に閉じ込められること」なんだそうです。彼らに取って自由を奪われることこそが最高に苦痛を感じる出来事なのでしょう。

 

俳優たちに「相手役に集中しろ」と指示すると、「相手役に集中しようと集中する自分」となり、けっきょく矢印は自分に向いてしまいます。これではいつまで経っても堂々巡りです。