演技には大きく分けて2つの種類があります。
ひとつは個人プレイ、そしてもうひとつがチームプレイです。個人プレイは例えばフィギアスケートのように記録を競うもの。チームプレイはサッカーやボクシングのように勝敗を競うものです。
日本には歌舞伎という伝統芸能があります。これはもう個人プレイの極致と言えるもので、役者は観客に向かっていかに見事な演技を披露するかが重要で、つまり相手役はどうでも良いのです。主役が演じているとき脇役は主役の演技を邪魔しないように静かに控えていなければなりません。
僕の好きなエピソードにこんなのがあります。明治時代の名優に守田勘弥という役者がいました。ある日彼の楽屋に弟子がやって来てこう言います。「先生、今度の舞台でこういう工夫をしてみようと思うのですがいかがでしょうか?」勘弥それに答えて「ああ、好きにおやんなさい。どうせお客様はわたししか見てないから」ここまで徹底しているとむしろ気持ちがいい。歌舞伎の場合、衣装は自前で先祖から代々伝わって来た衣装を身につけます。つまり成田屋にも中村屋にも代々伝わる弁慶の衣装が保管されているのです。あるいは舞台を見るとき、客席から向かって右側を「上手」左側を「下手」と言いますが、これも昔から主にに主役級の俳優の演技エリアは上手で端役の演技エリアが下手という身分制度のようなものが決まっていたからだと言います。なるほど、だから上手(じょうず)、下手(へた)という字を当てたのですね。まさに徹底した個人プレイです。
そして僕が20代の頃に影響を受けたアメリカン・ニューシネマ。これは70年代にベトナム戦争に反対する若者層の心情を綴った映画群で、当時まだ無名の青年だったロバート・デニーロやアル・パチーノたちがリアルな演技の担い手として登場して来ました。彼らは日常と同じテンションでボソボソと喋り、クライマックスでは強烈な爆発力を発揮して観客を魅了しました。
個人プレイの演技とチームプレイの演技というのはまったく別のジャンルです。個人プレイの演技を見たときの観客の感想は「上手だった」「あの俳優は魅力的」と言ったものですが、チームプレイの演技の場合は「登場人物たちの関係にハラハラドキドキする」「物語の先が気になる」というものです。どちらが優れている劣っているとかではなく別物の競技を見ていると考えた方が良いでしょう。
僕が座キューピーマジックで目指しているのはチームプレイです。まるでアパートの一室を覗き見しているような臨場感。フィクションなのにドキュメンタリーではないかと錯覚してしまいそうになる舞台。しかしこれが中々に難しく、30年間ずっと悪戦苦闘は続いています。