田窪一世 独白ノート -10ページ目

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

4月19日(日曜日)フジテレビ「日曜報道」橋下徹氏と自民党の西村康稔大臣(新型コロナ法・経済再生担当相)が出演していました。

 

橋下「今の国会議員の皆さんは国民の感覚からはかなりずれていると思います。30万円のあの給付、平常時なら妥当だと思いますが、今の政府の根本的な誤りは、この自由市場をあえて国民の安全のために政治判断で止めたわけなんです。だからマーケットに委ねちゃいけないんです。民間の判断に委ねちゃいけないんです。政治がルールを決めて政治が責任を持たなきゃいけないところを、政治家の皆さんは自分たちの給料はほとんど保証されるし、固定費、永田町の議員会館、民間の賃料で換算すれば100万円は越えますよ。これ税金で保証されて自分たちで賄う必要もない。3人分の秘書の給料も税金で100%保証される。こんな恵まれた環境の中で国民の切迫した状況を感覚的に捉えていないんじゃないかと思います。30万円の給付も平常時ならいいんです。でも、今は違うんです。マーケットが止まってるんです。政治が止めたんです。生活に困っている人たちを自分たちの責任でもって保証をするという気迫が足りないなと正直感じます」

 

西村「今、与野党間で色々と議論が行われています。国会議員の歳費について2割削減をしていこうと、返納しようという議論が行われていますので、ただ、私はそこに口出ししようとはしません。私は自分の目の前の、まさにこのウィルス感染症とどう戦うかというところに全力を上げて行きたいと思っています」

 

橋下「10万円の一律給付はベターなやりかたとしてやって貰えればいいんですけど、麻生大臣が「手を上げた人にだけ」と、これもまた民間に責任を押しつけるわけです。だったら、駄目な人は駄目と政治が責任を持って決めればいいんです。西村大臣が「国民が一致団結して」と言うのなら、高額所得者であれなんであれ全員に給付しなければいけませんよ。だけど収入が減らない公務員とか議員とか、政治のルールでそこには給付しませんと、でも医療従事者や窓口で激務に耐えている公務員には特別手当を出せばいいんです。それに国会議員が歳費を2割カットだなんて国民をだますのは本当によくない。大臣だって年間で受け取られる現金は5000万円から6000万円でしょ。歳費から2割カットというのは1200万円の2割ですから240万円、全体のわずか5%から6%ですよ。これは国民を甘く見ているとしか思えません」

 

西村「私はもちろん歳費も頂いてます。福島の復興以来閣僚は2割返納してますので、私は頂いている分の仕事はしっかりしていると思っていますし無駄には使っておりません。国民の皆さんの信託に応えるために全力でやっております。これはすべての国会議員がそういう思いでやっていると思いますが、ただ、どういうふうに我々が身を切るかはそれを議論する方におまかせして、私は給付をどうやって早くするか、このあとの支援策を法統に必要な方に届けるかということを全力をあげて行きたいと思ってます」

 

 

いやいや西村さん、橋下さんは実務の話をしてるんじゃないんですよ。「覚悟」「気迫」の話をしてるんですよ。もし、この番組内で西村さんが「新型コロウィルス収束宣言が出るまで私は全賃金の50%を返納します」と言ったら全国民が驚いたはずです。あるいは「全額返納します」なんて言ってくれたらびっくり仰天、感動したはずです。ひょっとしたら次の次の総理大臣はあなただったかも知れない。国民を良い意味で裏切ってくれるような感動を与えてくれるのが一流の政治家というもんじゃないでしょうか。

 

たとえば4月7日の緊急事態宣言のときに区域を決めずに全国一斉緊急事態宣言を出して、その場で「その代わりに全国民に一律10万円を給付します。しかも明日から受け取れる準備はすでに整っています」と安倍さんが高らかに宣言してくれていたら自民党はあと50年は安泰だったかも知れませんよ。先手必勝、国民の想像力を越える政策を実施出来る政治家こそが名政治家じゃないでしょうか。「桶狭間の戦い」「大政奉還」「日本列島改造論」国民の想像を越えるような覚悟と気迫のある政策を誰かやってくれないかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

4月7日、新型コロナウィルス緊急事態宣言が出されました。

この影響で本多劇場グループ全館が休業。

誠に残念なことながら、

5月公演「僕と真夜中の僕」を中止せざるを得なくなりました。

もろもろのキャンセル料や保証料など問題は山積みですが、

なんとか踏ん張って乗り越えたいと思っています。

 

「僕と真夜中の僕」は、

そのまま12月公演にスライドさせて上演します。

ある意味、一本の舞台を半年かけて準備するという初の試み。

じっくり時間をかけ愛情を注いで作り上げていく所存です。

ぜひ、皆様お誘いあわせの上、

劇小劇場までお越しくださいませ。

詳細は以下の通りです。

 

vol.72 座キューピーマジック公演

僕と真夜中の僕

2020年12月2日(水)> 6日(日)

 

昭和初期に建てられた古い洋館。

戦後アパートに改築されたその一室は天井を塞がれ、

無用の長物となった大きな階段にスペースを占領されていた。

その部屋の住人、劇団研究生の杉本伸也は27歳。

親の反対を押し切って舞台の世界に飛び込んではみたものの、

最近自分の将来に不安を感じている。

父親との約束の5年もあとわずか。

ある深夜、誰も降りて来られるはずのない階上から、

謎の青年が現れて告げる。

「俺はお前の心の中からやって来たんだ」青年は続ける。

「お前が出来ないことを俺が代わりにやってやるよ」

狼狽える伸也を尻目に青年の行動は暴走して行く。

 

南進也、時任盛二郎、田窪一世、鶴屋紅子、河合雪絵

細野谷季恵、大嶽典子、河野まとい、逢川ともみ

真柴恵美、中村なつ美、鎌田ゆうり、他

 

前売り券/日時指定自由席 ¥3800

当日券/日時指定自由席 ¥4000

 

詳しい情報、チケットお申し込みは劇団HPへ。

http://cupid-magic7722.com

 

 

 

 

 

 

 

2019年 インフルエンザ死亡者数 3252人

2019年 交通事故死者数 3215人

2019年 自殺者数 19959人

 

新型コロナウィルス死亡者 29人(クルーズ船含む)

2020年3月15日現在

 

カミュの小説「ペスト」の中にこんな一説があります。「この忌々しい病気め、かかっていない連中まで心は感染している」

 

 

 

 

 

 

 

 

5月公演「僕と真夜中の僕」の準備を始めました!

女優数名を募集します。

次回はダブルキャストが多いのでスケジュール的にもチケットノルマ的にもひとりひとりの負担を少なく出来ると思います。

題名▶︎僕と真夜中の僕
日時▶︎2020年5月20日〜24日
劇場▶︎下北沢劇小劇場
物語▶︎杉本伸也はある中堅劇団の研究生。30歳を目前にして将来に不安を感じている。父親の援助期限もあとわずか。そんな状況の中、伸也を誘惑する先輩女優、伸也が好意を寄せている同期の可愛い女優、生意気な隣人の女子高生と生気のない女性生物学者、母親が連れて来た清楚な婚約者など女難に見舞われ追い詰められる伸也。ある真夜中、謎の青年が現れて「俺がお前の代わりに問題を解決してやるよ」うろたえる伸也を無視して謎の青年の暴走が始まる。

興味があったら連絡ください。台本と詳細書類を送ります。その上で検討して貰えたら嬉しいです。

takubo77@w2.dion.ne.jp

 

 


▶︎前回公演「最後のブラッディマリー」

 

 

 

 

 

なぜ日本では「にほん」と「にっぽん」という二つの呼び方があるのか。大東文化大学文学部准教授の山口謡司氏によると「まず日本が自国のことを「日本」と表記するようになったのは飛鳥時代だと言われています」ただし当時の日本人はこれを「やまと」と呼んでいました。720年に完成した日本書記にも「日本此耶麻騰云」ひのものこれやまとという、と記されています。ではなぜ「やまと」が「にほん」「にっぽん」となったのか。

 

平安時代になると我が国は中国、当時の唐との国交が盛んになっていきます。そのとき中国の人たちは「日本」を中国の読み方で「にえっと」「ぷぁん」と発音していたのです。これが変遷して「にっぽん」となったのです。この中国人の発音を聞いた日本人が真似をして自分の国のことを「にっぽん」と呼ぶようになったのです。

 

では「にほん」という呼び方はいつ生まれたのでしょうか。これが広まってくるのは江戸時代になってからと言われています。江戸時代の学者、本居宣長が国名の由来についてまとめた書物「国号考」これには「新たににほんという」と書かれてあり江戸時代には「にほん」と呼ばれていたことがわかります。なぜ「にほん」という言葉が生まれたのかというと、実は早口の江戸っ子たちによって「にほん」という呼び方が生まれてきたのです。せっかちな江戸っ子たちが早口で「にっぽん」と話すうちに簡略化され生まれた呼び方なのです。つまり京都や大阪など西の地域では「にっぽん」江戸を中心とする東の地域では「にほん」と呼ばれていました。なので大阪にある日本橋は「にっぽんばし」東京の日本橋は「にほんばし」と呼ぶのです。

 

 

▶︎日吉