田窪一世 独白ノート -9ページ目

田窪一世 独白ノート

ブログを再開することにしました。
舞台のこと、世の中のこと、心の中のこと、綴っていきます。

座キューピーマジックを主宰する田窪一世のワークショップです。演技を学びたいすべての人に田窪一世がユニークで新しい演技観を指導します。

 

台詞は「うんこ」です。昔は「台詞に魂を込めろ」とかいう演出家がよくいました。しかし僕は思います。リアルな演技とは日常と同じ感覚や生理で存在することだと。演技を始めたばかりの人は、まず自分と格闘することから始めます。「感情表現の豊かな演技をしよう」「テクニックを駆使する上手な俳優になりたい」自分のことばかりです。しかし日常には「相手」がいます。相手を憎み、愛し、分かち合う。つまり「相手の台詞を聞き」「感情が生まれ」「言い返す」わけです。と言うことは「リンゴをかじり」「味わい」「うんこ」することと同じなのです。だから「台詞はうんこ」です。うんこに魂を込めてどうする?うんこをこねくり回してどうする?自分と格闘する演技ではなく相手と格闘する演技とは何かを発見してもらいたいのです。(田窪一世、談)

 

日時▶︎2020年9月6日(日)12時20分〜15時20分

会場▶︎東村山市立中央公民館、第1集会室(東村山駅徒歩2分)

▶︎受講料1人1000円(台本代、郵送費)

▶︎受講人数10名〜15名

▶︎テキスト「僕と真夜中の僕」作●田窪一世(台本一冊を進呈。ある1場面の台詞を覚えてから参加して頂きます)

▶︎興味が湧いたら、①お名前、②年齢、③性別、④ご住所、を明記して下記のアドレスにご連絡ください。

▶︎劇団口座への受講料振込みを確認次第テキストをお送りします。

▶︎受講後、希望者は2020年12月公演「僕と真夜中の僕」への出演をご相談させてください。

▶︎takubo77@w2.dion.ne.jp

 

座キューピーマジック主宰、田窪一世

 

 

2019年11月「最後のブラッディマリー」舞台写真

 

 

 

 

 

ナインティナインの岡村隆史氏へのバッシングが止まりません。確かに失言ですが、彼の発言はせいぜい「ついうっかり」とか「つい調子に乗って」程度のものです。決して「悪意」があってのものではないでしょう。そんな程度のことに目くじら立てて投書したりネットに上げたり、テレビ局に抗議電話したり、むしろそういう連中の発言こそが愚かで悪意に満ちているのではないでしょうか。

 

40年ほど昔、劇団の養成所生だったころ、ドイツの劇作家ブレヒトが書いた「第三帝国の恐怖と貧困」という舞台に立ったことがあります。第二次世界大戦の最中にナチスドイツへの抗議を勇気を持って表明した短編戯曲集です。当時18歳だった僕が演じたのは大学教授の役でした。彼は実の息子に密告されてナチスに連行されて行きます。戦時中のドイツ国民たちの悪意と愚かさをリアルに描いた秀逸な作品です。もちろん当時の日本でも同じような恐怖の出来事はたくさんありました。

 

以前、安住紳一郎氏がラジオ番組で紹介していたエピソードですが、毎日山のようにテレビ局に届く抗議メールの中に、次のようなものがあったそうです。「おたくの局のアナウンサーとよく似ている人がうちの町内でいつも大声出して暴れている。なんとかしろ!」これなど、もう、頭がおかしいとしか考えようがない。

 

最近、新型コロナの影響で倒産する企業や自殺者が増えて来ました。これについてある番組でカズレーザーが言っていた言葉「僕たちがテレビで新型コロナが恐いとあおったせいでこういうことが起きてしまっている」実に聡明で勇気ある発言だと感じました。

 

視聴率が取れれば良いという判断で新型コロナをあおったマスコミ。口は出すけど金はなかなか出さない政府。そういうマスコミや政治家にまんまと乗せられて右往左往する愚かな国民。なんとか踏ん張って冷静な日常を送って行きたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナウィルスに対しての台湾の蔡英文総統ので迅速な対策。ドイツのメルケル首相の人道的な発言など見聞きするにつけ日本の政治家や官僚の優柔不断や無責任さにはほとほと愛想が尽きます。なぜ彼らは迅速で的確な行動が出来ないのか。舞台演出家の立場からの見解を述べてみたいと思います。

 

まず、政治家に多い資質としてはサイコパス的要素があります。サイコパスについては何も犯罪者だけに限ったことではなく、歴史的な英雄や一流の政治家にはよく見られる傾向で、政敵と戦ったり難しい決断を下す時には必要な能力です。しかし一流の英雄や政治家たちには同時に客観性という「他人の気持ちに思いが至る」という才能も不可欠です。主観だけのサイコパス政治家は相当に厄介で、サイコパスに特有の「他人を自分の思うがままにコントロールすることに快感を感じる」という部分だけが発揮されると国民に取っては実に不幸なことになります。緊急事態宣言を発信することも重要ですが、国民の痛みを理解することも大切で、迅速で具体的な保証や対策を実行出来ない政治家たちは殆ど犯罪者に近いサイコパスです。マスク2枚を配布?お肉券お魚券?ステイホーム?客観的才能のない政治家たちを次の選挙では絶対に当選させないことが重要です。

 

官僚についてはもっと単純です。彼らはお勉強が出来るというだけの優等生ですから「絶対に間違った答えを出してはいけない」という精神的な病に取り憑かれている人たちです。非難されたくない、責任を取りたくない、そういう自己保身に凝り固まった官僚ばかりが採用されてしまう、国の仕組みにそもそもの病理が巣食っているのです。

 

 

 

 

 

 

 

戦国時代、フランシスコ・ザビエルが日本で布教活動している時に日本人にはほとほと手を焼いたという記録が残っています。日本人は宣教師たちを質問攻めにしたようで、「そんなにありがたい教えがなぜ今まで日本に来なかったのか」「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は今どこでどうしているのか」「あなたの信じている神様というのはずいぶん無慈悲だし無能ではないのか。全能の神というのであれば私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」等々。ザビエルは本国に送った手紙の中で「日本にはよほど優秀な宣教師を派遣すべきだ」と書き記していたようです。

 

政治家の政策を全面的に支持し讃えるあの国の国民と、政治家に対して常に疑問を投げかける日本人と、どちらの民度が高いかは明らかです。政治家や官僚に対して常に疑問を投げかけることこそが民主主義を磨くのです。ちなみに、現在、日本でのキリスト教信者数は全国民の僅か1%だそうです。宗教が悪いというわけではありません。偉い人の言うことを鵜呑みにしてはいけないと言いたいだけです。宗教でも政治でも学問でも自分自身がきちんと吟味して受け容れたいのです。アジアで欧米の植民地にならなかったのが日本だけだということに、その判断をした先人たちを誇りに思います。

 

 

 

 

 

 

 

西郷隆盛の言葉です。

 

アフリカや中東やアジアの国々を植民地にして搾取し、後に自国民となった黒人やスパニッシュを差別し、かつては鯨の油だけを採ってあとは全部捨てていたくせに、鯨は知能の高い生き物だから殺して食べるのは残酷だと言ってみたり、世界中から盗んで来た美術品を自国の博物館で展示したり、彼らの暴虐無人ぶりは目に余るものがあります。

 

最近、オーストラリアの海では鯨が増え過ぎて、その死骸を狙って集まって来た鮫にサーファー15人が犠牲になったというニュースを見ました。地球温暖化に対して目を血走らせている少女も、それを嘲笑っているあの国の大統領のどちらにも僕は違和感を感じます。

 

新型コロナウィルス対策にしても、西洋的な「押さえ込んで撲滅する」という強硬策ではなくもっと日本的な共生共存のやり方があるのでないでしょうか。政府や自治体やマスコミのエキセントリックな方策や報道に違和感を感じる今日この頃です。