8月12日(土)シアターコクーン14時開演の
「プレイヤー」を観に行きました。
ネタバレあります。
立ち見席にもたくさんのお客さんがいらっしゃいました。
<タイムテーブル>
作 :前川知大
演出 : 長塚圭史
出演 : 藤原竜也 / 仲村トオル / 成海璃子 / シルビア・グラブ /
峯村リエ / 高橋努 / 安井順平 / 村川絵梨 / 長井短 /
大鶴佐助 / 本折最強さとし / 櫻井章喜 / 木場勝己 / 真飛聖
<あらすじ>
舞台はある地方都市の公共劇場、そのリハーサル室。
国民的なスターから地元の大学生まで、様々なキャリアを持つ
俳優たちが集まり、演劇のリハーサルが行われている。
演目は新作『PLAYER』。幽霊の物語だ。死者の言葉が、
生きている人間を通して「再生」されるという、
死が生を侵食してくる物語。
<行方不明の女性、天野真(あまのまこと)が遺体で見つかった。
死後も意識として存在し続けることに成功した彼女は、
友人達の記憶をアクセスポイントとして、友人達の口を借りて
発言するようになっていく。事件を追っていた刑事、桜井を前に、
天野真を死に導いた環境保護団体代表であり瞑想ワークショップの
指導者、時枝は、これは世界を変える第一歩だと臆面もなく語る。
死者との共存が、この物質文明を打開するだろうと。
カルトとしか思えない時枝の主張に、桜井は次第に
飲み込まれてゆく。>
物語は劇中劇と稽古場という二つの人間関係を行き来しながら
進んでいく。死者の言葉を「再生」することと、戯曲に書かれた
言葉を「再生」することが重なる。単なる過去の再生ではなく、
今を生き始める死者と、戯曲の言葉に引き寄せられ、
アドリブで新たな言葉を紡ぎ出す俳優が重なる。
演じることで死者と繋がった俳優達は、戯曲の中の倒錯した
死生観に、どこか感覚を狂わされていく。生と死、虚構と現実の
境界が曖昧になっていく。時枝の狂った主張は、
桜井の選んだ行動は、リハーサル室でどう響くのか。
パイプ椅子がたくさん並ぶ、稽古場でのワンシチュエーション。
安井さんと真飛さんと峯村さんが演出等、制作側の役。
櫻井さんが劇場スタッフ、その他のメンバーが劇団員という設定。
最初慣れるまで、普通の劇なのか、稽古なのか分かりにくかった。
劇中に、生きている者の体を借りて語る、まことの言葉は
何度も出てくるけれど、まこと自身は出てくる事はない。
でもまことの言葉を発する劇団員達の演技がリアルなので、
いるはずのない、まことがそこにいるかのような錯覚を覚えました。
久々の藤原竜也君。少々ビブラートがかった声で熱く語られると
聞き入ってしまって、どんな事でも信じてしまいそう。
催眠作用効果絶大な声。説得力がすごかった。
映画「I'M FLASH!」でのカリスマ教祖役を思い出してしまいました。
物語の確信に向かって観客をひきこんでいく感じ。
瞑想シーンでのシルビア・グラブさんの体の柔らかさにビックリ。
木場さん、台詞は少ないけれど、存在感がすごい。
役者と演出家で、まことの事を深く掘り下げながらの稽古は
本物のお稽古現場を見学しているような気分にもなりました。
劇中で出てくる、意識の集合体であり、
宇宙のすべてが記録されている全記憶というのは、
アカシックレコードの事なのでしょうか。
劇中では、肉体を脱ぎ捨てないとその意識には到達できない、
という事でしたが、以前読んだ本によると、トレーニング次第で
アカシックレコードにアクセスできる、との事でしたので、
ためしにやってみた事がありますが、雑念が多く、瞑想に
集中できない私はもちろん到達できるわけもなく…(笑)
また、世界を変える云々は、アセンションの事なのでしょうか…
人間の進化を促し、高次元の精神社会へと上昇(アセンション)
させる、という、ちょっと前に話題になった
宇宙的イベントのアレなのかな、と…憶測ですが。
スピリチュアル好きでないと、分かりにくいこの話、
まさか演劇になっているとは思いませんでした。
ただでさえ万人受けしないテーマを、劇中の稽古として
見せるのでさらに共感しにくい舞台だったかも。
興味のない人にとっては退屈きわまりないような気がしますが、
キャストの演技が素晴らしくて、まことは確かにそこにいる、
と思わずにはいられない不思議な体験ができました。
と言っても私、オカルトマニアでも霊感があるわけでも、
特定の宗教に傾斜しているわけでもなく、一時の
スピリチュアルブームに乗っただけのただのミーハーですので、
勧誘、専門的な見解等いただいてもご返答しかねます…