ミニメイド社長の起業のブログ -212ページ目

新しいサービスを創る

私は、新しいサービスを創るのが好きで、いつも何か考えていました。
おばあちゃんサービスに続いて、料理を作るサービスを考えました。

主婦の持つ能力で、家庭料理を作るという素晴らしい能力があることに魅力を感じ、この能力をお客様宅で発揮することはできないだろうかと考えでしました。

掃除と違って、難しいところはありますが、この新しい料理サービス にチャレンジすることにしました。
キャストサービス 」として誕生しました。


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この仕事は、お客様宅に出向いて、夕食の支度をするというサービスです。
コンセプトは、「食卓に健康をお届けする 」ということでスタートしました。

この仕事は、数々の「感動ストリー」を生み出しました。

家事代行サービスが、企画した「おばあちゃんサービス」

東京都中野区にミニメイド・サービス株式会社の本社がありました。
安田生命中野ビルの4階を借りていました。難点は、エレベーターがないことです。
私どもスタッフは運動になっていいのですが、荷物を運んでくる方たちに申し訳ない気持ちでした。
新しい企画として、おばあちゃんの知恵袋と言うことで、おばあちゃんの持つ特技を必要とする家庭で発揮できないかと言う企画を考えました。例えば、着つけ・繕い・沐浴・料理・裁縫等を提供することで、おばあちゃんの知恵と経験を生かせるのではと考え企画しました。

「おばあちゃんサービス」を企画し、人材募集で、年齢60歳以上で募集を出したところたくさんの応募者がありました。
4階の面接会場まで、エレベーターなしの階段で上がってきます。これも体力テストのような感じでした。
採用者5名を決定しスタートしました。

テレビ局から、30分番組の取材の話が来ました。
日曜日の7時30分からやっていた番組です。
取材が、約1ヶ月かかりました。私の動きや、おばあちゃんサービスの実際のサービスなどが取り上げれれました。
最初の、注文は着付けの仕事でした。地図を渡してお客様宅に出向いて仕事をするところにカメラが入りました。

すごく、担当のおばあちゃんは緊張していましたが、無事作業完了です。
このサービスは、後のプレミアサービスという形に発展していきました。

便利屋が大流行

家事代行業は、ミニメイドが始めて6年後に、ダスキンのメリーメイドがスタートしました。その後、カナダから来たモーリーメイドもスタートしました。会社の頭文字が、三社ともmで始まります。

日本の市場へのアプローチが始まりました、

私どもは、富裕層に絞り込んだことで、迷うことなく愚直に進んでいきました。
三社ともフランチャイズ展開をしています。全国に広げるということで、同じ地域に三社の拠点ができた所もありました。ミニメイドの特徴は、主婦と女性の為の起業と言うことをコンセプトにしていましたので、フランチャイズの希望者は、女性が多かったのが特徴です。

家事サービスの仕事は、女性に向いている仕事でもありましたから、希望者が多くなるのも理解できます。
今でも、三社ともフランチャイズの展開をしています。

ミニメイドは、都市部が中心で開発しました。ウィークポイントは、地方展開が遅れていたことです。
今年になって、ようやく地方の展開が始まりました。

あるべき姿を明確にする作業

ブラジル旅行で親しくなった、経営コンサルタント飯塚 先生に指導してもらうようになりました。
会社で大事なのは、あるべき姿を描くことだ。ミニメイドのあるべき姿はと聞かれて中々答えが出てきません。
当時は、箱根のリゾートマンションで合宿をしながら朝まで考えました。夜が明けるころに、アイデアが生まれました。

ミニメイド のあるべき姿は「パーソナルライフプランナー の実現」。これは、個々のお客様に暮らしの提案ができる家事サービス会社になることを意味して創りました。

今度は、あるべき姿実現のために「誰に」「何を」「どのように」「どう感じさせて」「どう売るか」を考えろということで、又、徹夜の議論を行いました。

30代の若さは次から次へと初めてのチャレンジをこなしていきました。 そして、富裕層 の為に高品質な家事サービス を定期的に短時間でミドルプライスで提供するということが決まりました。


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当時、富裕層 に関しては、税務署に年収の高い順に発表されていましたので、お金持ちを知ることはそれほど難しいことではありませんでした。

各税務署管内のお金持ちを調べました。そして、ポスティングと折り込みを愚直に行いました。
富裕層の方々は、信用という点で大丈夫なのか。来る人は、身元のしっかりしている人かと言う所を心配します。
この時期は、マスコミ各社にもネタを提供することで、記事を書いてもらいました。

以前に、マスコミに取り上げられてお客様に出会えたこともありましたので、かなり売り込みをしました。
ポスティングと折り込みとDMそして、電話もしていました。この作戦を「DM・DT(ダイレクトテレホン)作戦」と名づけて3ヶ月ワンクールと言う流れで地域を決めて行いました。

成果が出てきましたので、次のワンクールと言うように、リズムも出てきました。

そして、全国の加盟店 にこのやり方で指示が出されました。とにかく、富裕層 がどこに住んでいるか調べて、後は愚直に攻めるだけと言う、典型的な弱者の戦略に徹しました。

いきなり全国展開を果たしたミニメイドサービス

家事代行業 として、いきなり全国展開を果たしたミニメイド です。更にこの勢いは、加速すると思っていました。
本社も、東京都中野区に移転し、安田生命のビルに入居しました。65坪の面積ですので、研修もできる場所も確保し、社員も増え忙しく動いていました。私は、その時には、学生時代から経営していたビルメンテナンスの会社等数社を経営していました。


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ニュータウン建物管理㈱で午前中仕事をして、午後からミニメイド へ移動して、夜まで仕事をする生活でしたが、若かったこともあり、疲れを感じた事はありませんでした。



全国に展開した加盟店が、新規の顧客がとれないという苦情に近い電話が少しずつ入ってきました。
流れと言うのは恐ろしく、新規の加盟店開発も上手くいかなくなりました。

そして、新規の加盟店開発を中止して、新規の顧客開発を重点的にするようになりました。
この時に、私は2週間ほど休暇を取り、ブラジルに行きました。

経営者のグループで行ったのですが、初めて会う方ばかりです。この中に、経営コンサルタント飯塚保人 氏がいて、この出会いが後のミニメイ ドの事業展開に大きく影響を与えました。