審神者・祈祷師 中村建日の神事

審神者・祈祷師 中村建日の神事

審神者とは善神と悪神を見極め、浄め祓の神術を使う者です。八百万の神々の加護を受ける者だけが行う特殊な業です。

「審神者(さにわ)」とは唯一神々より与えられた霊的資格です。

人間でもそうであるように、神様にも様々な性格の神様がいらっしゃいます。

邪気祓いがお得意な神様、お導きが上手な神様、穢れを祓いきれいにしてくださる神様、魔を鎮めることがお得意とされる神様、人間などの生き物を育む神様などなど。

様々なお役目や御働きをされる神様を見出して、真心をこめてお願いをすること(これを神事と言います)を行う人を「審神者」と言います。

私は、神々より審神者の資格を与えられ、日々に勤めております。
中村建日へのご相談やお問合わせは、「大倭神道 中村建日オフィシャルサイト」をご覧ください。



台風襲来の懸念もあり、大阪から熊本への移動日を急遽13日に変えて、到着いたしました。

そして14日の今日、遅れましたが、我が家の先祖を迎えるための、お盆の準備が整いました。

今日のお休みを利用して、ご祭壇の掃除を行いました。

綺麗になりました。

先刻、気持ちよく、やっとご先祖様をお迎えできました。

台風の影響を受ける地域にお住いの皆さまのご無事を祈っております。











心霊一言
信仰は心を大事にすることです
心に寄り添い、心を思いはかることから始まるのです

「靖国の関係者は再び日本を軍事国家にしたいのか」

宮内庁、靖国の陛下参拝要請断る 創立150年で昨秋」



このリンク先の記事の問題、賛否両論あるのでしょうが、よく考えてみても、象徴の立場たる天皇陛下が、政治的要素の強い靖国の参拝行為には応じられないでしょう。


これまでのことを考えても、そう思うのが至極当然のことなのに、一体、靖国神社は、どんな了見で宮内庁に申し入れたのでしょう?


きっと、先の陛下も苦しい胸の内にあったことでしょうに・・・。


あえて、人の心の痛みをえぐるような、このような行為には、憤りさえ覚えます。


人の痛みを思いやらず、人の心に寄り添わず、自己主張を何振り構わず押し通すような言動は、愚かなことです。


かつて、我が国が軍国主義であった時代は、まかり通っていたのでしょうが、今は違います。


天皇陛下自らが、民主主義国家の認識の元で、かつての統治支配の時代の国家元帥の雰囲気を、国民に感じさせないようにと、

膝を折って国民の目線に降られ、国民と直接対話し、国民に親しみの持てる「象徵天皇制」を確立なさったと言っても、過言ではありません。


並大抵のご努力ではなかったと思います。


そのご苦労を思い、労う気持ちが少しでもあるならば、天皇陛下の思いと、民主主義に至るまでの我が国の歴史を、なによりも大事にせねばなりません。


靖国の関係者は、時代に逆行するつもりでしょうか?


軍事国家へ戻したいのでしょうか。


最近は、靖国神社の要職の立場にある人間の、不適切な言動やハレンチが、週刊誌にも書きたてられているようです。


19歳の若さで戦死した私の叔父も、靖国に祀られています。


この靖国関係者の体たらくな有り様に、失意の念を禁じ得ません。






心霊一言
➖精霊に 人の邪気が取り憑くと妖怪に変化する➖



なんじゃこりゃ〜  って、声が聞こえてきそうですね。(笑)

決して、落書きではありませんよ(笑)。

あるご相談者の、お子さんの身の上に憑依していた「祟り」であります。

しかも祟っていたのは、小学校の土地の「精霊」でした。

可愛い顔をしておりますが、残念ながら、災いを及ぼす方の精霊です。

ご神縁者のお子さんの通う、小学校の校庭に浮遊しておりました。

ご神縁者のご相談内容とは、
ご自身のお子さんを含め、他のお子さんも、小学校内部で、怪我をする子が、異常に多い・・・
何かあるのではないか・・・

と、ご相談においでになりました。

実は、そのお悩みの原因は、目に見えない「祟り」のせいでありました。

私の審神者術の結果、「祟り神の霊障」であることが判明しまして、子供達に触りを及ぼしていたのは、この画像の「精霊」でありました。

これは、人間が、そこに小学校を作る前から、そのまた古くから、その小学校の土地に住んでいた、精霊(神霊・八百万の神)の姿なのです。

当然のことながら、学校には、子供達がいます。

この画像は、
元々その土地に住んでいた精霊に、子供達が発した強い邪気が取り憑いて、このような姿に変幻してしまったのです。

見た目は、どこか可愛いような、無邪気なような。

でも、見た目のあどけない表情の裏に、いたずら心があって、人を傷つけて、困っている人を見て喜ぶのです。

まさに、子供の発する、子供ならではの邪気が混じる(邪気に取り憑かれる)と、見た目は可愛いけど、内面は邪気にまみれた妖怪が、誕生するわけです。

救霊の御神事を行い、ご神縁者のお子さんに憑依している、この妖怪の邪気を祓いまして、清めを施し、大倭神道の導神の力により元の清らかな姿へ戻していただきました。

そして、お子さんが、再び大怪我しないように、神結の神様の式神の守りを施しました。

残念ながら、ご神縁者のお子さんを守護いただくことのみで、学校全体の清めには至ることはできません。



次は、下の画像の妖怪です。


これもカナリ下手なスケッチですが(笑)雰囲気だけは伝わるでしょうか?

ノミみたいな身体をしていて、四つん這い、顔は老人でした。

これは学校にいた妖怪とは違って、見た目にも明らかに凶々しく、明らかに人々に災を及ぼすもので、やはりこれも、精霊のなれの果てです。

この妖怪は、京都市内の、有名な神社の近くにお住まいになる、あるご相談者の土地に、無数にいて、その土地に住んでいる住民全体に災いを及ぼす妖怪でした。

古来より、実に様々な人々の怨念や思惑が渦巻く、古都ならではの因縁です。

他の地方では、なかなか見かけない、古都の独特な因縁であり、このような姿の妖怪は、特殊だと思われます。

この妖怪もまた、元々は、その土地に古くから住まう精霊(神霊)ですが、
その土地に住んで生活を送る、人間達の「邪気」にあてられて、清らかで純粋な姿が、徐々に薄汚れてしまい、次第に、決して拭われぬ、“強固な穢れ”と化して、このような哀れな姿に、変貌を遂げるのです。

私は、人間の私利私欲の「邪気」が原因で、「祟り神」となった、神霊や精霊を清めて、元のきれいな姿に戻して、昇天頂くための「清め、鎮め、祓いの神事」を、日頃から行っています。

私たちの「悪しき因縁」の大元には、こういった、穢れた神が、祟っていて、子々孫々にまで及ぶ、深刻な霊障を及ぼしているケースは、意外に多いのです。

精霊と言えども、「神々」でありまして、
しかも、たとえ祟り神になったとしても、神通力は衰えておりません。

祟り神は、神通力を駆使して、邪気を放った住人に、子々孫々に渡り、祟りを及ぼします。

とても怖いものです。

ですから、慎重に真心を込めた、神事を行わねばなりません。

それにしても、このご相談者のお住まいは、京都でも屈指の大きな神社の、目と鼻の先にありまして、なぜ、有名な神社のある土地に、このような祟り神・妖怪が跋扈(ばっこ)するようなことになるのか・・・。

霊感や神感を持たない、サラリーマン神職様ばかりですから、致し方ないとは思いますが、それにしても、お粗末です。


大変、嘆かわしいことですね。

お盆の入りに合わせて、神縁者様のご先祖供養の祈願祈祷を執り行いました。


「一切の亡者 一切の痛み苦しみ拭われ 心清められ 心安らかであれませ」


との思いを持って、

「鎮魂印」を結び「鎮魂歌」と「薬師如来和讃」をお唱えいたしました。




私たち現世に生きる者が、供養をする際の心構えは、「穏やかで和やかなこと」です。


亡者は心の世界にいるわけで、明らかに、この世の様子が見えているわけではありません。


それは当然です。

だって、「心に迷い」があるわけですから。


心に迷いがあると、迷いのベールが目を覆ってしまい、まるで暗闇にいるかのような状態になります。


生きている人もそうですよね。


心に強い不安や迷いなどが生じると、物事の判断を誤ったりして、見えていても見過ごしてしまい、失敗することもあるわけですから。


成仏できない亡者は、心の世界にいて、心が迷い不安や怒り、痛みなどの、邪気の蔓延るところに居るわけです。


そうなると、子孫が手を合わせて拝んでいる姿や、お供えした綺麗なお花やお供え物など、一切見えることがありません。


常に、自分自身が発した迷いのベールの中に、囚われの身となるのです。


そんな迷いの心の世界にいる亡者へは、「安らかで穏やかな心」を、私たちが届けてあげなければなりません。


しかも、先祖にお弔いの真心を届けてあげられるのは、子孫を置いて、他にはありません。


先祖と子孫は「縁」で繋がっています。


「縁」とは、「道」のことです。


「血筋」という「縁」は、先祖と子孫の間に繋がる「線」みたいなもので、この「線」を伝って、思いが繋がれるのです。


ですから、唯一先祖供養にて心が通じるには、縁のある「子孫」のみ。

と、言うことです。


私は、神縁者様とは、血筋の間柄にない「他人」です。


しかしながら、今世で神縁者様と出会ったことは、神様がつないでくださった「神縁」があるからです。


その「神縁」を使って、神様がつないでくださった縁の道を伝って、みなさまのご先祖供養を成せるのです。


ですから、私は、私の供養の祈りが、神縁者のご先祖に繋がるように、縁を繋いでくださった当事者である、神様へお願いするのです。


そうすると、たとえ血縁関係のない神縁者様のご先祖であっても、供養の真心が、届けられるわけです。


と、いうことは、私とご縁のない方のご先祖供養は、

難しい、、、と、いうことになります。


霊的な世界は、「心の世界」です。


だからこそ、嘘もつけないし、誤魔化しもできない、厳格な世界なのです。


失敗は許されません。


だからこそ、よーく神様に伺いながら、行わねばなりません。


私は、以上のような心構えで、ご神事を執り行っております。


どうかご縁のあるみなさまが、お幸せでありますように。


これからも、心配り、祈願祈祷を行いたいと思います。

私より、皆さまへお伝えしたい言葉があります。


今の自分が、明日の自分を創る


明日の自分が、一年後、十年後の自分を創ります。


運を開くのは、今の自分自身。


変えよう・・・今の自分を。


未来が、穏やかで、豊かでありたい・・・と願うなら、ネガティブな今の自分をなだめてあげよう。


悩みがあるのなら、

「きっと大丈夫だよ自分。きっと立ち直れるからね・・・」

そう、自分に声を掛けてあげよう。

声を掛ける際に、片手で自分の胸を「ポンポン」と、優しく叩いてあげてください。


前向きに念じること。

それこそが、将来の自分を、良い道へ変えていきます。


今、生きていることへの感謝と、そして願い。


良い思いを、日々積み重ねていくことこそが、明日への力になります。


自分と神様を信じて。


頑張りましょう。