「式神守り」にお付けする「式神祝詞」

(”式神守り“をご依頼お受けになる方にお渡しするものです)

 

 「式神祝詞(しきがみの のりと)」とは・・・。

 大倭神道謹製「式神守り」に向かって、唱えていただくための祝詞です。

 

 「式神祝詞」の内容は・・・。

 

1、事始めの祝詞(ことはじめの のりと)

 外出の際などに、唱えてください。

 式神守りを両手に持ち、額にかざしてから唱えてください。

 

2、事納めの祝詞(ことおさめの のりと)

 ご帰宅の時など、無事を守っていただいたことをご報告し、お礼を申し上げるための祝詞です。

 前回と同様に、式神守りを両手に持ち、額にかざしてから唱えてください。

 

12月には、新色が追加されます。

お楽しみにお待ちください。

「式神祝詞」のご依頼は ★式神守り のご案内 - 「大倭神道」 審神者祈祷師中村建日オフィシャルサイト (takenichi.club) を、ご参照ください。

 

 

 

 

「人心を惑わす妖魔百魔~大倭国大倭民族の霊性を取り戻そう~


「人心を惑わす妖魔百魔

~大倭国大倭民族の霊性を取り戻そう~


⭕️「日本人をダメにする国家的霊障 百魔」


88日の早朝。

大阪での勤務中にある(あやかし)の姿を見ました。

赤く長い目が特徴のです。

忘れぬ内に・・・と、スケッチしました。





この妖魔が、次のように告げてまいりました。


「われが、この大和の国(日本国)に住むすべての者に幸福を持たらしてやろう・・・

既に、そなたに災いをもたらさんとす邪なる妖(あやかし)は、ヤマトの海原(うなばら)に封じておいたぞ・・・(日本海のこと)

われを敬い祀るが良い・・・

しかれば、そなたの守り神となろう・・・

これは古(いにしえ)より結ばれし縁(えにし)であり、定めである・・・」


断片的ではありましたが、わかりやすく要約しますと、以上のような内容の意志を告げてまいりました。


私は『審神者(さにわ)』です。

その勤めに従って、まずは、目に見えないものの素性を調べねばなりません。


審神者術の結果、私に意志を告げてきたこの主は「妖魔」であることが判明しました。


名を「百魔」(びゃくま)と言い、「仏魔」や「宗魔」に属するモノで、しかもトップクラスです。

「百魔」は、仏教や宗教の陰に巣食い、私のみならず、日本国民すべての人生を狂わせ、人心を惑わす妖怪です。


よって、百魔の今回のお誘いは、お断りせねばなりません。


しかし、それは簡単ではありません。

今回は、私にその姿を見せただけでなく、意思まで伝えてきたわけですが、この時何が起こったかと申しますと、私と妖魔は意思の「交流」をしたことから、私は、百魔の「憑依(ひょうい)」を受けたということになります。

取り憑かれたということは、何らかの方法で、それを祓わねばなりません。


これがまた難しく、容易ではありません。



⭕️「百魔を鎮める〜神国日本の復活のために」


相手は妖の類いです。

しかも、神通力を持った魔物です。


その力は、神様と寸分変わりません。


そして妖魔は、人の心のの部分に憑依します。

人は誰しも、心にがあります。

心配・不安・迷い・苛立ち・苦しみ・痛みなどのネガティヴな感情は、人なら誰でも持ち合わせる「陰」の存在です。

妖魔は私たちの心の闇に憑依し、更に、ネガティヴな感情を引き出し増大させます。

まるで私たちの負の感情が、妖魔のの如くです。

気づかず放置すると、これより先の人生に、最悪な事態が起こることになります。


幸い、「白魔」を祓う方法は、すでに、指導神より承っております。


そのために、この10月に、ある場所に赴くことになりました。

そこで、ある神様封印を解くことが、「白魔」を祓う唯一の術である由。

大倭神道の指導神であらせます「御戸橘神(おとたちばなのかみ)」のご指導の下、「百魔」の憑依を解くために、ある場所の邪気祓いを行ってまいります。


指導神によりますと・・・


①その場所は「百魔」によって穢されており、古来より受け継がれるべき日本人の宗教観(神につながる為の感性)を鈍らせること(宗教の大半がご利益信仰中心であること)が目的で、日本列島に、深刻な災いをもたらせている。

②「百魔」は、外魔(異国の妖)”にも通じており、外魔と結託して、日本の神を封じるために暗躍している。

③「百魔」は、特に女性の神様女神を一斉に封じておりを産ませない策略“をくわだて、やまとの国の民霊性を根絶やしにするつもりである。

を産ませないことで、日本の繁栄を損ねさせ、日本人特有の霊性を消失させ、日本古来の神々の統括を止め、外魔(異国の神)の統治に取って代わる企てである。


このように、教えてくださいました。


神様は、この世のすべてのひな形ですから、神様が、子を産めない状況は、子孫が絶えてしまうことになり、一族の繁栄がなくなるわけですから、とても深刻です。

我が国の「少子化」問題も、これが原因です。

目に見えない「日本の神様の世界」が、私たちが住む日本国のひな形であり、日本の神様の世界に異変があれば、私たちの住む世界にも、その影響が出てまいります。

どのようなことも、「神様が基本」なのです。※鏡写しとも言われます


日本には、日本特有の「妖魔」がおりますが、外国も同じように、その国特有の魔物が存在するもので、その中には、日本を快く思わないものも存在しております。

特に日本は「神の国」「世界の霊的中心地」である理由から、古来より、日本列島は様々な攻撃を受けて来ました。


・・・続・・・



次回は・・・

「日本人の霊性心を読み取る能力の復活=その鍵はご利益信仰を改めること」




令和5年9月9日 大倭神道「重陽菊花祭並びに祖霊祭」


大倭神道神結神社大阪本社にて「重陽菊花祭並びに祖霊祭」を、執り行いました。

9月9日は古来「重陽」と呼ばれて、非常に縁起の良い日とされました。

また五節句のひとつである「菊の節句」でもあります。



この教えに従って、当社では「重陽菊花祭」と、まもなく秋のお彼岸を迎えますので、先祖への感謝の意味を込めて「祖霊祭」を、大阪本社にて執り行いました。


大倭神道で執り行う式典は「大真祭り(おおまのまつり)」と言いまして、人のみにあらず「神様」も、ご一緒にご参加くださる「神人合一」の式典であります。


ご臨席いただいた皆様方には、お祭りの趣旨をまずはご説明しまして、また式典で使用する祝詞集をお配りしまして、ご臨席くださったみな様とご一緒に、声を揃えて奏上するようにいたします。

そうすることで、心の一体感が生じます。

祈りが、大勢になりますと、大きな力となります。

それに、神様のお力も加わって、このたびの祈りが、世界中から神界にまで轟わたる、大きな力になると信じています。










またこの日に「菊酒」を飲むと、無病息災になれるといわれます。

直会では、みなさまに菊の花をうかべたお茶「菊茶」をお出ししました。

とても良いお祭りでした。







次回は是非みなさまもご参加ください。


 

朝拝の祈りごと〜祈祷のすすめ〜





日頃より、朝拝の時は下記にように祈っております。

大倭(やまと)の神の道坐(ま)せまつる
神結(みむすび)の神やしろに座(ま)します
命の神々を敬いまつりて申す 

大倭(やまと)の縁者の皆々 
 今日も無事でありますよう 
  良き縁に恵まれ 良き一日でありますよう 
   幸せでありますよう 
    守り給え導き給え 
     かむながら たま ちはいませ

  爆笑ウインク爆笑ウインク爆笑ウインク爆笑ウインク爆笑ウインク爆笑ニコニコ

みなさま
「祈り」はとても良いことです。
「祈り」は「心のエネルギー」です。

こうあるように・・・
こうしてほしい・・・

という思いは「夢」と「希望」であり、それを明確に思い、心より発信することで、自分自身よりエネルギーが発せられます。

これを「想像力」とも「イメージの力」とも言います。

そして、自分の想念を、手を合わせて神々に祈ることが、「祈祷(きとう)」と、言うのです。

「祈祷」は、人の心を動かす力、物事を動かす力です

大事でしょう?
そう思いませんか?

是非みなさまも、「祈祷」してください。

自分のために・・・
家族のために・・・
あなたの、大事な人のために・・・

頑張りましょう😊


​唯一無二の「山の神様」家業の守り神




先日家祓いで行ってまいりました、兵庫県にお住まいのご神縁者に作成して送付しました「しめ縄」と「御幣」です。





ご神縁者は、敷地内にある小高い山を中心に自営業を営んでおられます。
ご神縁者は、“二代目”の奥様です。
この家の事業は、そのお山の自然を使って“癒し”の空間を提供されています。
地域内外からたくさんの方が、その癒しを求めて訪れます。
このご神縁者は、信仰の深い方であります。
常々、神様にご無礼があってはいけないと、考えておられます。
そのお山の頂上付近には、先代の手によって「山の神を祀るための祠」がご安置されておりました。
ところが、祠の中にご安置する「御神体」選びに迷いと疑問を持っておられまして、この度私にご依頼があったのでした。
どういうことかと申しますと、先代が指導を受けて建立したその祠には、その時の建立指導者である霊媒師が作成した「お札」が納められており、毎年一度、新たなお札に交換して祀るように指示されていたそうです。
ところが、間も無くしてその霊媒師が死去しまして、祠に納めるお札が準備できなくなったのです。
困ったご神縁者は、あちらこちらと問い合わせをしまして、祠に納めるお札をいただけるように交渉なさったそうです。
ところが、神社さんにあたっては“我関せず”という姿勢で、相談にも乗ってくれません。
仕方なく、知人を伝って四国のあるところに電話で相談したところ「山の神様だったら大山祇神でしょう」と言われたそうで、それならば・・・ということで、大山祇神のお神札を送ってもらって、ご安置したそうです。
ご神縁者はそれでも腑に落ちず、それで本当に良いのかを、悩んでおられたのです。
私は「審神者」の立場で、こう申し上げました。
「残念ながら、この祠に神様は宿っておりません 
この祠は、ただの“箱”です」
ご神縁者の不安は的中しました。
後で伺うと、ご神縁者も、常々、そう感じておられたそうです。
さらにこう申されました。
「実は、様々な理由で、山の頂上で、このようにしてお祀りするのは、きっと私で最後になると思います
できましたら、祠そのものを撤去しまして、お山の麓に有る我が家の神棚にてお祀りできませんでしょうか」と。
私は「それはとても良いお考えで、あなたの思いを尊重いたします」と、申し上げました。
そして、その理由を、こう申し上げました。
「貴方の営む家業は、まさに山神様のお恵みがあってこその家業ですから、感謝のお参りは欠かせません
実は、山の神は、山、そのものですから、ちょうどこの山の麓にあるご自宅から、この山を仰ぎ見上げるようにしてお祭りなさるのは、理にかなっております
また、この山の神は、審神者の立場から言わせていただくと“大山祇神”ではありません
ここに人が住み着く前から存在していたこのお山は、他のどなたでもない、このお山の神様であり、唯一無二なのです
神様は、”心“でつながり”思い“で敬うものです
”名”が大事ではなく、何よりも、あなたと、あなたのご家族や、頑張ってくれている従業員のみなさまに頂戴する”お恵み”そのものを、大事に思い、神様を敬うと良いでしょう」
そして山の頂上にある祠は、やがて撤去することを想定し、完全にいわゆる“御霊抜き”を施して、再び何らかの御霊が宿らないように処置いたしました。
また、この山を訪れ登る人にも、神様の存在を知っていただくために、お山でも大きくて立派な樹木に「しめ縄」を結んで、その根元には「御幣」を立てていただくように、お願いをしました。
そして、この山神様のお祭りと祈りは、ご自宅からお山を拝する形で行うように致しました。
ご神縁者は、心より安堵なさったご様子で、笑顔でお応えくださいました。
これからも、このご神縁者の御関係者が、弥栄でありますように、引き続きご祈祷致します。