「感動の喪失」 第三回
ただ、そうは言っても、マイナーと言うか、あまり人が求める事の少ない情報ばかりを扱っているわけではなく、少ないながらメジャーな情報も扱っている。そうすると、マイナーな物より圧倒的にアクセスがある。しかしである。メジャーな情報だけに、これは紙媒体に多く載っている。本屋でも取り扱っているだろうし、お金を掛けたくないと思えば、図書館にでも行けばいい。探せば、ある。そのアクセス元が大学であったりすると、本当に残念な気持ちになる。大学にいるんだろ?だったら図書館行けよ?910だったか920の所に行けば、普通に置いてあるから。僕が出た大学であれば、三階にあった。全集だから、普通に載ってるから。そう思えるし、普通のアクセス元であったりしても、やはり、本屋行けよ、図書館行けよ、と。それくらい、簡単に得られる情報である。むろん、その本に載っている内容の方が、僕が載せた情報より遥に多くの情報を得られる。僕がやっているのは、本にある内容の転載ではなく、自身で作り上げた、質も確度も低いものである。ネットにある情報であれば、この程度のが殆どなのではないだろうか。その情報で満足してしまえる知的欲求なのだろうか。いや、ネットで済まそうとしているのだから、それすら判断できない程度の知性と言った方がよいのだろうか。
「感動の喪失」 第二回
今は文明の利器によって、手元で多くの事を知る事が出来るようになった。僕がその一端に触れるようになって、既に10年以上が経ったが、その情報量たるや、カンブリアの爆発に匹敵するような勢いで増加した。果たして、学生の時にこのような状況下にあったらば、卒論を書く時に楽だったろうか、と考える時がある。答えはいつも、NO、にたどり着く。理由は至極単純である。検索を掛けたところで、ほぼ情報を得られないからである。カンブリアの爆発が如く情報が増えたとしても、結局は、誰かがその情報をアップロードしない限り、ネット上には存在しない。だったらと言う事で、自分でやった物をアップロードして情報を追加してみるか、と言う事で、HPを開始したのが、やはり、10年くらい前だったか。現行の形式に変えてからでも、06~07年になっているはずである。ここずっと更新を怠っているが、それなりの情報を追加したのではないかと思う。情報を追加すると言う事を基調にしているため、その情報を検索してくる人は、やはり稀である。
「感動の喪失」 第一回
初めて買った漫画やCDは、同年代で話の取っ掛かりとなる話題の一つであろう。漫画に初めて触れる年代は、CDよりも早いのが一般的であろうか。また、その値段から、漫画を初めて買う年齢は、小学校の低学年でも可能である。ここで言う漫画とは、単行本の事である。その年代に読む漫画の掲載誌は、数冊の少年誌からのであり、つまり、その買う作品には大きなばらつきは見られない。
CDとなると、その値段が、シングルでも漫画の二倍からするため、そんなに早くから気軽に手を出せる物ではない。漫画であれば、掲載誌で一度目にしている作品を買うため、当たり外れは無い。しかし、CDであれば、テレビでの短縮版で見たり、ラジオであればフルサイズを聴く事が出来るかもしれないが、それくらいしか買う判断材料が無い。だから、買うには、ある程度の勇気にも似た決心が必要になる。この年代にとっては、失敗の許されない買い物と言える。CDの値段は、小学生や中学生のお小遣いであれば、たった一枚であっても、半分ないし殆どに当たってしまう。この年代ではアルバイトは出来ないから、お小遣いを貯めて買うか、家のお手伝いをして、その分のお小遣いを貯め込んで買う他無い。
買うまでのちょっとしたこの苦労もそうだが、買いに行く行為そのものもまた、これまでに無い体験となろう。CD屋は、それまでに行く事の無かった場所だろうから、そこに入るだけでドキドキものだろう。初めて入る店内、初めて見る陳列方法、自分の探している作品が見つかるか。何とか見つけて、それをいざレジに持っていく。改めて値段を聞かされる。財布の中身を見る。商品を受け取り、店を出る。帰ってそれをいざ聴く。何年何月何日、何時何分何秒の事だったか、時と共に細かい数字は記憶から消え失せてしまうであろうが、この時の記憶、感覚、音、その瞬間瞬間の記憶は、色褪せる事は無いだろう。
しかし、時は下って近年、音楽を入手する手段として、CDその物を買うだけでなく、データとしてダウンロードすると言う形式が加わった。CDを買うと言う手段で入手していた世代は、はやり手元に残る物として買いたいと言う人もいれば、それが同じ物であるなら、ダウンロードでもと言う二パターンで入手方法を取れる。しかし、ダウンロードが最初の入り口となった世代にとっては、果たして、買う時の初体験を感じられるのだろうか。
普段使っている携帯電話などで、いつも友達や親に電話やメールをするのと同じような運指で、購入が完了してしまう。また、場所がどこであろうとも、それは一切問題にならない。店に出向く必要は無く、自分の部屋のベッドの上、いつも暇を潰しているように寝っ転がりながら、購入が完了してしまう。流石に最初の一回目は、指が震えると言う事があるかもしれないが、その全てが日常の場、空間の中で完結してしまう以上、最初の記憶としては、残り難いのではないかと、買う世代の人間からすると思えるだろう。買った時の様々な数字の記録は、対照的に半永久的に残るのであろうが。この買う世代は、今の小学生も、まだ含まれるだろう。つまり、これはまだまだ先の子の話と言える。しかし、遠くない先に、確実に来る。
音楽が、それこそ日本国中で気楽に買って聴けるようになる以前からすれば、初めて音楽を聴いたと言う経験は、もっともっと貴重で、もっと強いものであったろう。そう考えると、文明の進化は、感動を奪い続けているのかもしれない。