皆さんこんにちは。
本日は、「分かること」と「できること」をテーマに書き留めたいと思います。
色々な組織において、先輩が後輩を指導するときに、後輩がすぐに習得して先輩と同様な仕事ができるようになるか、反対に、後輩がいつまでたっても自立できないか、人材育成の難しさが問われることがありますね。
一般論では、教えてもらう側の能力や意思の問題が大きく影響するとされていますが、どうやら教える側の問題も少なからずありそうだ、ということを前回のブログ(第45回「伝えることの難しさ」)でお話しさせていただきました。
カーミロフ・スミスという学者が、「表象書き換え理論」という理論を発表されています。これは、人間が物事を理解していく過程には、単に「出来ない」から「出来た」という1つの階段しかないのではなくて、通常は「経験則でできるようになった」段階から、それを単純な「ことば」にまとめ、自分なりの理論化をして問題解決に活用する段階に入ります。でもこの活用段階でも、すべてに上手く適用させることは難しく、内省を繰り返して、さらなる高度な理論化を続けてゆくプロセスがあり、ようやく「できる」状態へと到達する。
その物事の抽象化のプロセスを、カーミロフ・スミスは、表象が書き換えられる繰り返しと称し、「表象書き換え理論」と呼びました。
自分で分かった状態でも、いざ人に教えようとすると、上手く伝えきれないこともあります。抽象化された理論だけ知っていても、また具体的事象を経験事実だけに留めていても、そのレベルでは人には伝わりにくいものなのか、と思います。
経験から学ぶことは大切ですが、でも経験からしか学べないとすると、新しい価値を生むためにどれだけの経験をしなければならないか、想像もつきませんね。
先人たちが遺してきてくれている理論を使わせてもらいながら、でも現実や未来に対応するために、自身の経験則も活用する、という双方が大事なのだと思います。
そして、他者の思考の枠組みを知るためには、そのための配慮の気持ちを持つことが大切ですが、本当に円滑なコミュニケーションをするためには、物事を抽象化をして俯瞰して把握する能力も必要であることを、当理論を学習する際に学びました。
最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。
2020.02.02 #046