皆さん、こんにちは。

本日は、「伝えることの難しさ」について、書き留めたいと思います。

 

現在私が継続して勉強しているテーマの一つに、「教育心理学」という分野があります。主には放送大学の大学院で学んでいるのですが、その中に大切な気づきがあったので、取り上げたいと思います。

 

人間は「学び続ける動物」であり、日々の経験から様々な「事象」に対し、自分なりの「枠組み」を作っていきます。

例えば、新しい街に来た時に、目的地へ行くための方法を考えることを例にとれば、初めは地図を見て大体の位置を把握するとか、メモを用意して現場で詳細を確認するとか、いまであればスマホを活用するなどの手段を採ると思います。でも、その目的地へ複数回通ううちに、移動の途中で体験する情景が心の中に蓄積されて、その人なりの「街のモデル」となっていき、ツールを使わなくても自然と目的地に到着できるようになる。

 

これは一つの例ですが、他のすべての学びも、経験則を作り上げ、それを必要に応じて少しづつ作り変えていくような作業を心の中でしていくのだと思います。

 

でも、この「枠組み」は、万人に共通ではありません。スマホが移す地図は同じでも、人それぞれ心の中に作られていく枠組みは、成長過程や度合い、文化の影響、周囲との相互作用によって異なります。

ということは、組織の中でも、家族の中でも、その自分が所持している思考の枠組みを当然と考え、他者も同じ枠組みを持っていると思い込んで、その自分基準で常にコミュニケーションを取ろうとすることは、問題があるように思います。

 

人間は社会的な動物であり、特にビジネスでは利益を生むための集団となりますので、自らが成長のために努力を重ねるという前提での集合体になります。よって、集団の持つ一定の枠組みのレベルが共有できなければ、ある意味で共存も難しいことではあると思います。

家庭生活も同じで、「性格の不一致」は、突然そうなるわけではなく、「枠組み」の相違にどれだけ柔軟に対応しようとしているか、ということの方が大切なのでしょう。

 

他者との思考の枠組みの違いに思いを馳せられるかどうか・・・

これはきっと、人間の「能力」の問題ではなく、「優しさ」の部分なのでしょうね。

 

小説家レイモンド・チャンドラーの言葉を思い出しました。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。」

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020.01.26 #045