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高をくくる

働きたくない、でもなく
死にたい、でもなく
生きたくない。

生きる希望のようなものが、
現状、僕の目の前で輝いていない。

みんなは生きていたいと思うのだろうか。
この現実を。

臭いし汚いし、人が異常なほど多くて、殆どは実際に性格の汚れている人間ばかりで、そんな現実。

歩くところもないような人だかりの交差点。交通渋滞。僕の目には見えてないが環境汚染とか、犯罪うんぬん。見てて飽き飽きする。

この世で最も汚いものであるお金。無意味に仕事を作って働いてお金を得て経済は回る。なぜ、経済を回すのか。

自分は生かされてきた。何百万というお金をかけて生かされてきた。死ねない。死ぬとそのお金はなかったことになる。無駄だったことになる。
無駄は嫌だ。
だから、死ぬことは出来ない。

しかし、無為とも思える僕の活動にどうしてお金をかけていいのか。お金を使う度に、申し訳なくなる。消えたくなる。

生きていい理由も分からないし、死んではいけない理由も実際のところは分かっていない。ただ両親の経済を注ぎ込んだ僕がパァになることは避けた方がいい。それだけは分かっていることだ。

でも、もうこの地球に未来はないと思う。人は増えすぎだ。よかれと思って増えているのかもしれないが。
倫理的に言ってはいけないのかもしれないが。人は増えすぎだ。何人かは消えるべきだ。

その時、きっと、自分もそうなのではないだろうか。

希望が持てない。
気付いた。
誰も自分のことを肯定してくれない。


合宿から帰って来て会った
小学校馴染みの2人の男。

Y……高校から普通科を外れてどこか遠くへいった賢い男
T……最近アニメオタク堕ちした男。友達自慢が多い。

1、2年ぶりの彼ら。
なんだか不思議な感じだった。

近所の公園。
小学校、中学校の生活。
正直、なかなか懐かしい。
思い出したくない記憶の連鎖もあるが、同時に、確かに少しばかり遊んだ記憶が存在した。

過去と現在は繋がっている。
しかし、小学校の自分と、今の自分はもはや何の共通点もない別人といって良いほどに変化していた。

何が、僕をそうさせたのか。
司会者としての僕はどうして生まれたのか。そのルーツはどこかにあったのか。

もしかしたら、小学校のときに、少し人気だったときに、なにかあったのかも。

虚しい。
無性に、あの時代を、あれから起こることを考えると、虚しい。

僕はどうやって形成されたのか。
あの環境があれば僕になるのだろうか。
人生とは?
いつか、電車にのっている嫌な中年男になってしまうのか。
いつか、信頼している人達を全て失っていくのか。

絶っている繋がりを取り戻したくなった。しかし、自分が自分を認められていない今。

僕にそんなことは、出来ないと思う。


再び東京。
再びスーツ。
嫌だ嫌だと駄々をこねる自分。

少しだけ大人になりかけている自分もいる。けれど、圧倒的に僕はまだまだ子供なのだと思う。

立て続けに2度面接があり、
疲労した末に僕は大阪に舞い戻った。

徒歩旅を経験したいまだからこそ、
新幹線の早さには恐れ入る。

しかし、あの高額には
納得できなかった。

●9/1-3 代表としての合宿運営
●9/5-7 大阪から三重まで歩く
●9/7-9 三重で合宿参加

立て込んでいて随分と日記を書いていなかった。また今後書いていこうと思う。
こう見ると9月は充実しているように見えたりするが……どうなのだろう。
灰色感は拭えてない。ただ恐ろしく色々なことをしているのは間違いないのだ。別に忙しいわけではないが。

9/10は三重から帰って来て、ついでに小学校馴染みの2人の男と話して、その翌日である。

僕は再びスーツを着て会社説明会に参加していた。

就職活動。
就職活動。
就職活動。
就職活動。
就職活動。

あるべきこと、やるべきことに力を割けずに未だに僕はずっとこんなことをしている。ああ。なんて、愚かなんだろうか。

どうして……。

就職活動を開始してから、色々なものを失った。僕自身がどうこうというのもあったし、周りが勝手に変わっていったこともあった。

どうしてなのか。
別に理由をしりたいわけじゃない。嘆いているだけだ。

その後会議に参加して、12時に家に帰った。夜は食べてない。
翌日は東京にいく。
それさえ終われば、しばらくは何もない。

神戸での合宿を終えた僕は
9月4日にある駅前のパン屋に来ていた。

そこに現れたのは
高校時代でパソコン部の副部長を務めていた男だった。会計かもしれない。忘れた。

僕は5日から7日の間で
大阪から三重を歩くことにしていた。
その話を聞いた彼は、まさかの着いてきてくれることになったのだ。

真面目な彼は打ち合わせをする、と僕を呼び出したのだった。

パソコンで議事録を丁寧に取る。
まぁまぁ、彼は真面目な男だった。
ルートの心配をしているようだ。
何せ僕はそんなことなど全く考えていなかったのだから。

打ち合わせを終えた。
翌日から、僕の一生に一度のバカが始まる。

 

 

半ばノリのような感覚で東京に行き、

大枚を失って帰ってきた。

どうせ自分のことだから多くのミスをやらかすのだろうな、と考えていたが

実際かなり多くのミスをやらかしていた。

ああ、全くじぶんは成長しないなとも思うし、

今回ミスしたからこそ、今後の人生ではミスしないんじゃないか

とも思うことがある。

 

さて、明日から夏合宿の運営である。

自分が代表として動く団体の年内最大の行事であるといえる。

頑張ろう。

まだまだ頑張る余地はあるのだ。

やってやろうじゃないか。



夜のピクニックという本には、夜間に長距離を歩くというロマンスがあるらしい。
その過程で起こる出来事や、感情の機微がなんとも青春らしいのだと。

対して現在僕が乗っているこの夜行バスはロマンスもあったものではない。大阪から新宿まで3500円ほどで、無理やり行っている。

安いが、正直快適さなどはない。
隣に座るのは、みれば、足の太い男。

対して昨日も昼御飯が野菜ジュースの僕。

なんだか、最近拒食症なくらい痩せてきてはいないだろうか。身体問題に発展しないことを祈る。

 

 

 

手話に関する団体の合宿がもうすぐある。

合宿というイメージは体育会系か・文化系かでだいぶ変わるものだが、

こちらの合宿は大人しいものだ。

あえていうなら3日間、

声無しという環境なので語学系学習に近いのだろうか。

 

普段行わない機会としてディスカッションを設けている。

テーマは3つだった。

「自分と違う聞こえの人々に対する疑問」

「壁を感じた状況」

「それを下げる方法」

 

事前にこの企画に関するアンケートを集計した結果、

健聴者からの意見は大体「手話が出来ずに申し訳ない」ということだった。

さて、自分はどうだろうか。

参加者に出す以上、僕が何も考えなしでいるわけにはいかない。

何を批判する訳でも、教唆する訳でもないが、

幅広く議論する為に、先立って考えておくことは必要かもしれない。

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テーマ1「自分と違う聞こえの人々に対する疑問」

この場合、

健聴者はろう・難聴者に対しての疑問をディスカッションする。

ろう・難聴者は健聴者に対しても疑問をディスカッションする。

ディスカッションというよりは、案出し、所謂ブレインストーミングに近いのだろうか。

ブレインストーミングなんてカッコつけた言い方だが、

要するに疑問を次々と打ち出していけば良い。

 

ろう・難聴の区別は何なのか?

数字上の区別としては100db以上の障害があると「ろう」という。

しかし、実際のところは本人のアイデンティティによるところも多く、

「ろう」には「ろう文化」「伝統的手話」などの特色があるとの主張も多い。

ということで、疑問というならば、なぜ自分がどっちであるのか、というのを判断している、その判断基準が疑問である。おそらく人それぞれ、そのそれぞれの部分を聞いてみたくなる。

 

ろう学校か、普通学校か

自分の周りの学生を見ても、ろう学校卒業者、幼稚部だけろう学校、全て普通学校などなど、環境は様々だった。それは誰が判断していくのか? 親か? 自分か?

因みに聞こえとは全く関係ない話だが、僕は自分の学校を選ぶ基準は何一つ持っていなかった。ただ近くて、周囲が反対しないならそれでいいと考えていた。それがなんと大学まで続いてしまったのは、幸か不幸か……

 

普通学校で健聴者と共に学ぶことをインテグレーションというそうだ。

ろう学校でろう文化なりを身に着けた学生は、慣れるのに困難だと聞くが……実際に体験者は居るのだろうか?

 

学生団体に参加したいと思うか? なぜ?

ろう・難聴学生団体として大きなものに全日本ろう学生懇談会などがある。残念ながら、僕はこの団体に関してあまり大した知識はないので、何とも言えない。

周囲にはこの団体に関わる学生が多い。反面、「高校までで聴覚障害者と共に過ごしてきたから、大学生になってまで、そこで固まるよりは健聴者とも関わってみたい」という理由で入らない学生もいた。

これに関する考え方とは何だろうか?

 

理想の手話サークルとは?

現時点、自分の大学において代表を務め、また、他の団体も6・7以上は見てきた。しかし、実際手話サークルというのは欠点のようなものが多いと、個人的には感じている。

 

例を挙げれば、

・健聴者同士になると声だけで会話、たまにしか手話が出ない。

・手話コーラス/手話劇の練習と発表

・手話学習者に向けた活動の繰り返し

・運営にかかりきり

……などなど

 

手話サークルが聴覚障害者のためのものであるべきだ、とは言わない。

言うならば手話学習者・聴覚障害者のためのものであるべきだ、くらいだろうと考えている。

よって、その気持ちを知ってみたいのだ。

 

とはいっても聴覚障害学生が一括りになるわけではない。

ある一定の共通点があったとしても、彼らの意見はバラバラであるし、

考えずに話していると僕には聴者学生との区別もつかないこともある。

 

習得するのはどちらの手話か

手話は日本語文法に合わせたものと、

手話独自の文法に合わせたものとがある……

まぁハッキリと分かれているわけでもないのだが。

 

近年手話独自の文法を保っている日本手話が消えつつあるという。

さて、どっちを扱っているのだろうか?

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テーマ2「壁を感じた状況」

健聴者とろう・難聴者との壁を感じた状況ということである。

因みに収集したアンケートの中には「同情で一緒にいるなら止めて欲しい、と言われた」

そういう意見もあった。

 

集団としての壁

先程挙げたようにろう・難聴学生のみで構成された団体がある、ということが僕にとっては壁のように感じてしまう。

しかし、運営的な目線でも、組織的な目線でもその垣根を壊すことは+には働かないと思う。「同じ悩み・同じ立場」だからこそ、力を振るえるし、守りたいこともあるのではないか。そこに健聴者がなだれ込めば手話サークルと何ら変わらないものが出来上がるのかも知れない。

 

しかし、だからとって壁を感じない訳ではない。

言うなれば、聞こえで分けている時点で、これはもう壁なのだろう。

 

……残念ながらあまり思い浮かばなかった。

そもそも壁というのは難しい。壁ということは現在ぶち当たっているということか?

僕自身手話を学んではいるものの、福祉的精神もないので、そこまで聴覚障害者と積極的に接しているわけではない。かといって、普通の聴者と接しているわけでもない。元々、人との関わりが少ない人間なのだ。残念。

 

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下げる方法については壁が、壁として機能しなくなって起こる弊害を考えると

提案する気にもならなかった。

さて、本番ではどんな意見が聞けるだろうか。

今日からまた東京に行くことになっている。

前に言ったのは3月だったか。

とても綺麗な塔のようなものが見えて、

結局アレがなんだったのか、調べたりもしていないものだから

よく分からない。

 

 

しかしながら、元来アウトドアがあまり得意ではないので

行きも帰りもバスで東京に行くことになっているのは

憂鬱だった。

 

出来るならば新幹線で行って

新幹線で帰って来たいと思う。

 

荷物は充分なのか?

いつも着いてから気づく

 

いつも起こってから気づくことばかりだった。

今回もそうなるのか。

 

そして帰ってきたら合宿が始まる。

自分が代表である団体の、最後の合宿が、始まる

 

 



瞬間的にものすごい雨が降っていた。
夏はそういう祖谷な天気も多く、クーラーの冷気もあまり気持ちの良いものではない気がする。

母親と極限まで喧嘩をする夢を見た。これが夢だと思うのだが、現実感が恐ろしいほどあるのが、苦しく、目を覚ませば午前3時だった。

現実でも精神をすり減らせているが、それが夢でも追われてはたまったものではない。

改めて昔言われたことを思い出した。僕は自分の大切にしたひとものだけを極端に大切にするようだ。そして、それ以外を異常なレベルで拒否するようだ。

こんな極端でピーキーな性格を誰かが分かってくれるのだろうか。ずっと寄り添おうとしてくれた人にさえ、伝わっていなかったのかもしれない。

自己分析なんてものは、大抵終わってから気づくものなのだと思った。