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高をくくる



いつからか、確か、高校終盤くらいから好きだった歌手である天野月(子)が休止した。

「ゼロの調律」でカッコいい歌声に惹かれ、名前で検索して出てきたデビューソング「箱庭」で一気に引き込まれた。

その後も鮫、花冠、蝶、スナイパー、ニワカアメなど聞く曲から好きになっていった。

疾走感や、虚無感を漂わせる曲が特に好きで、名前を変えた後も、少しずつ変化はあっても好きだった。

歌手の気持ちは、きっとこれからどんな人生経験を積んでも分からない……気がする。

Coccoや、ゆう、といった好きになった歌手ほど引退や活動休止をしていく現状。彼女たちはどんな思いで歌っていったのだろう。

音楽はすごい。
彼女たちの活動は休止しても、
その音楽はいつまでも残っていく。
人生が、その瞬間瞬間が、
少しだけ彩られる気がする。
そんな歌を生み出してくれた人に
口先だけでもいいから、感謝したい。
実際口先くらいでしか出来ないのだが。
ありがとう。

 

3年も時間をかけて学習していると

手話学習者の中にも天才と凡才が居るのが分かってくる。

何にでもこういった才能の差というものは生まれてくるものだ。

残念ながら。それは学校の先生でさえ否定しない。

 

天才の特徴とは

・上手い人の表現を少し見ただけでトレースすることが出来る

・理屈を抜きにして自然な習得が出来る

・辞書などは参考にせず、会話を通して習得する。所謂ナチュラルアプローチか

・長期間の学習を必要としない

・強い意欲を必要としない

 

大体こんなイメージだった。

長期間の練習などせず、自然にレベルが上っていく、それが天才型であった。

 

凡才の特徴とは

・指文字単語習得辞書学習実践文法理解……手順を踏んで学習していく

・理屈で考えやすい、日本語に縛られることが多い

・長期間の学習によってようやく日常会話レベルに至る

・強い意欲を持たなければ学習が継続しない、すぐにレベルが落ちる

 

大体こんなイメージだった。

まさに自分が凡才型である。

しかし、凡才型というのも利点がある。

 

・大概の人間が凡才型であるために、その他の手話学習者の気持ちが分かりやすい

 ぶつかるであろう壁を想定することが出来る

・自然で習得ではないので、逆に理屈を相手に伝える土台がある

・習得に長期間を要するので、その過程で色んな人間と知り合える

 

挙げてみたものの天才型も同じような事ができる。

要するに努力する天才には勝てないということなのだが。

手話は所謂言語なので、本来そんなことを考える機会は少ない。僕のように誰かと比べたりを繰り返した人間くらいしかこういうことは考えないのだろう。

 

 

 

思えば大学に入ってからいろんなものに依存してきたと思う。

団体であったり人物であったりだ。

そういう人に一途みたいな、そんな振りをしていないと

世間体が悪いみたいな想いが自分の中にあったから。

 

実際にはそれに依存して、独りの時間を潰したいだけなのかもしれないのに。

依存心は決して美しいものじゃないと思う。

実益に繋がっていない。

では、果たして実益につながっていないからだめなのか。

お金がないからだめなのか。

 

では、逆にお金があればいいのか。

 

恐らく、僕は今の団体がなければ

死んでいるんじゃないか。

 

そう思うほどに、疲弊している。

なんでこんなことになってしまったんだろう。

   

 

体が疲れて気持ち悪かった。

痛くてだるい。

精神的にもうだめになっているのか。

それでも毎日は過ぎていく。

すり減っていく。

 

コミュニケーションも取れなくなっていく。

大切にしていた人ととさえもう無理なのかもしれない。

また1人、僕は人間関係を失うのだろうか。

もう疲れた。

許して欲しい。

こんな小さい人間じゃなければよかった。

   

 

合宿の運営は9月の初日から始まる。

……のだが、またトラブル発生である。

2日目夜に予定していた部屋を押さえられなくなったのだ。

これ以前にも追加料金を請求されたりと今年のトラブルは続いていたのだが、

実際これに関しては前例がなく、

トラブルといって差し支えない。

 

去年の運営をしていたときも、学園祭の部屋が取れなくなり、

結果交渉の末にホール状の部屋を手に入れるという逆転劇を演じた。

……しかしながら、今年もまた別の団体でこういうことが起きるとなると、

僕としても自分がトラブルを呼び寄せているような気がしてならないのだった。

 

トラブルメーカーといっても僕自身に過失があるわけではないのだが、

運が悪いのだろうか。

せめて天気にだけは悪いことが起こらないように

祈るしか無いのであった。







盆休みに関連して、

なんだかんだで色々心配していたことだったが、活動はあまり上手くいっていないようだった。



チームで動くはずの活動が、4チーム中3チーム、動いていない状態である。



僕も僕で、よくもずっと活動参加できているものだと思う。よく当たり前のような顔でいるものだと思う。



来週からかなりのハードスケジュールだった。東京行きは二度めだし、夜行バスは出来れば使いたくなかった。全く何をしてるんだか。



9月3日にパフォーマンスがあることを知らされた。合宿最終日だった。行けない。

世の中はたいぶ、折り合いがわるくなってしまったようだった。今年は歯車が噛み合わないような、そんな印象があった。

潤滑油を注ぎたい。



いや、そういうことではないのかもしれない。

同期……

同回生……

場所は違えど、一緒に入学に、そして同じサークルに入って活動してきた、戦友ともなんとでもいえる人達。

 

そんな人達だが、なんともバラバラとしていて、

今は一番御しづらい人達となってしまっている。

 

むしろ、彼らから見た時に僕がそうであるのかもしれないと思った。

いつだって自分のほうが浮いているのだから。

今まではこんな浮いた自分を誰かが認めてくれた。

しかし、今は誰も自分を見ていない。

 

孤軍奮闘。

今までも孤軍奮闘だと思っていた。

しかし、振り返ってみれば全くそんなことはなかったのだろう。

いつも先輩も、大切だった人も、近くに居てくれた。

 

いつか面接か何かで、「率先垂範」が自分のモットーだと

うそぶいたことがある。

でも、本当は誰かの後に従っていた方が安心する。

なんでこんなことしなきゃいけなんだ?

一瞬でも気を抜けば、そんな想いになってしまいそうだった。

頑張っても、頑張っただけの対価がなく、

頑張ってない人のほうが評価されているのだ。

 

でも理想の自分は、頑張っていて評価されないからといって、それを卑下したり、嫉妬したり、マイナスな感情を持ったりはしないのだと思っている。だから、そこも、もう少し、努力してみよう。

一日中、特に何にせいをだすわけでもなく

漫然と過ごしていた。

特別用事があるとしたら、先輩から電話で引き継ぎ的なことをしてもらうことだった。なんといっても3代前の代表の方なので、電話をする時は緊張した。実際、話し方がたどたどしくて嫌になった。

 

引き継ぎが終了した後も

色々なお話を聞いた。

1時間で終了した引き継ぎ以降、2時間のお話を聞いた。

なるほど、とためになる話が多い。

 

そうだった。

最近の僕は先輩が居なくなって、話を聞くことがなくなっていた。

もっと熱心に話して、自分にベクトルを向けて話しているのを聞いていたかった。

 

誰かと話していたい。

でも話したくないし、話せない。

自分に話をするということの価値さえ見出だせなくなりつつある。

まだまだやらないといけないことが沢山ある。

   

 

 

近頃はなんだか小難しい話をする相手も居なくなったものだった。

なんだか、同回生女子と話している時に「男子」についての話題になっていた。

「周りの男子は子供っぽい」

そんなありきたりな話題だった。

 

「女性に優しくて気配りも出来てかっこよくてお金がある男子も居るよ」

そんな発言が飛び出した。

「男子なんて大抵ろくなやつが居ないよ」

そんな発言をした。

 

女性に優しくて気配りが……

本当にそんな男は存在するのだろうか。

なんというか、その男子はその女性を全く視野に入れていないんじゃないだろうか。

さながら空気のごとく扱いたい人間に対しては無情に接することも出来るだろう。

……出来ないかも知れない。

 

結局自分にできないだけなのか。

女性は「周りの男性が子供に見える」と言う。

経済や法学について語れたらそれは払拭されるというのか。

単なる趣味でしかないのではないか。

しかし、少なくとも僕はまだ22歳相当の何かを持っているとは言えなかった。

言えない。言えないから、ダメなんだ。

昼は本町に居た。

本町は名の通り、堺筋本町のすぐそばである。

堺筋本町駅には定期券の範囲内で行くことが出来るのに対して、本町には行けない。

 

本町に生きたいのならば、堺筋本町駅で降りればいいのだと、やっと頭に刻んだ。

 

夜の梅田で本当ならば学生交流会なる謎のイベントに参加する予定だったのだが、急に中止という連絡が入った。

開催予定時刻から4時間ほど前のことだった。

ドタキャンである。

 

予定を失った僕は仕方なく、大学へ行って、

印刷物の処理をすることにした。

 

もうすぐ合宿運営が近い。

3日間の企画をこなすというのは中々大変そうである。

この夏唯一、純粋に楽しみにしている予定でもある。

 

もう少しだ。

せめてよく見られるように練習して、備えようじゃないか。