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高をくくる



関西で一番名の知れた大学との交流会があった。どうやら僕には遅刻癖……どころか、早く来すぎる癖が着いているようだ。

念のため……、と言いつつ30分以上前に到着してしまっている、典型的な損人間である。

川原を眺めて数分。そして、数十分……。
集合場所に向かった。

4回生はチラホラといた。

この大学に来たのは、2度目だった。1回生の終わり、積極的に外の大学との交流を図ろうとしていた僕は赴いた。

後輩の頑張りと、何故か同期の地味な頑張りを見て、交流会は終わった。

食堂で一人だけ白湯……を飲んで過ごすことにした。お金がないのだ。昼も野菜ジュースのみであったので、非常に体が心配である。

この大学のひとつしたの学生にも個人的に関心があり、とても精力的で柔軟な子である。久しぶりに話せて良かった……と、僕は思うのだった。

夜7時。
京都。
ここから大阪に帰るのは一苦労だが、気分も悪くないので苦ではなかった。

明日から学生時代最後の合宿である。なんとも、無計画的だが、僕の始まりとなった合宿を、最後の合宿としよう。


昨日同期生との学園祭に関する話し合いがあった。

以前も似たような記事を書いた気がするが、女性メンバーがやはり声だけで会話する。
表面的に気にしてないようなふりをするが、内心怒り狂っていた。
何故、そんな体たらくで説教じみたことを吐けるのか。出来る、出来ないの問題ではない。する、しないの問題だ。

コミュニケーションの意味合い、しかり、後輩にたいする姿勢というものがまずあるだろう。

所詮手話サークル、と難聴学生に言われてしまうのももっともな状態である。自分で何度か働き掛けたこともあるが、どうにも状況は変化しない。



先日3日間かけて大阪から三重まで歩いた。5kgの荷物を背負って山を3つ越えたこのバカな行動は、社会人になってからは出来まい、そう考えてのことである。

それでは、そこから何を得たのか。

○上半身がパワーアップ
荷物を粘り強く持ったおかげで、胸板がかたくなり、力こぶがハッキリしている。
逆に下半身にそんなにたいした変化はなかった。今も若干痛い。

○面接のネタに
何故かこの話をする機会もあり、感想を聞かれることになった。しかし、大阪から三重という、字面だと微妙な感じである。

○距離感覚
20kmや、5kmといった距離が実際どれくらいなのかというのをイメージ出来るようになり、大概は歩けるのでは、というイメージが強くなった。

総じて一番の変化は体である。
上半身の負担はかなりあったということだろうか。

他の人も、80km歩くときは、重いものを背負うことをおすすめする。


起きて一階に降りると、先日最終回を迎えたのだろう過保護のカホコが映し出されていた。

確か1話目だけみたのだが、就職活動がうまくいかない過保護を受けているカホコが主人公だった。

正直主人公と同等かそれ以上に就職活動がうまくいっていなかった僕にとってはダメージ大な設定である。

そんなカホコが結婚して、なんか働いていた。一体9話の間に何があったというか。あまりにも急激な彼女の変化に僕は動揺した。

さて、過保護といえば、僕の同期の男も大概過保護である。
後輩の世話を必死で焼いているが、果たしてそれは良いのだろうか。
4回生には先がない。自分達が卒業したあと、後輩達は自分達の力でやらなくてはいけない。

4回生の関わり方とは?

そんなことを思いつつも、悪ではない感情からの行動を、咎めることはできない。

今日も少しくたびれた。


昨日、1つの変化を自分で起こした。
鞄を変えた。
正確には戻したということだが。

1月に就職活動を始め、
僕は鞄を手に持つタイプに変えた。
理由は就職活動で用いる鞄がそうだからだ。
パソコンを入れているが故に、手は痛み、手のひらが固くなった。

それが8ヶ月続き、体も成長したのか、パソコンを持つことは苦ではなくなっていた。むしろ習慣化したのだ。

昼に会議場についた。
同時期に後輩が部室でなにかをしていることがうかがえた。
近くのイベントに備えて練習しているのだろう。良いことである。

4年目。
結局、僕は、僕と同等かそれ以上の興味関心がある後輩を見つけられなかった。
あるいはそれは自分の力の足りなさなのかもしれない。

あと半年。
僕はどう過ごしていくべきなのか。

 

9月の初め。

13日に合宿があった。

3日間代表として、

この合宿に運営として関わる最後の機会だった。

思えばこのイベントには

最初から運営としてしかかわったことがなかった。

参加者の視点を持ったことがないというのは重大な欠陥である。

 

ともかく手話サークルとしての合宿で

社会人・学生が集まったこの合宿は山奥で行われたのであった。

 

4回生は非常に少ない。

そして、社会人も少ない。

もっというと経験者も少ないという

異例の年であったように思う。

近年に見られる傾向として、

サークル内である程度会話が出来れるようになれば

手話の習熟としては満足だという学生が増えていることの証明か。

 

代表として準備段階から色々と取り組んできた。

進行や広報の仕方に工夫を入れてみた。

PPTにも独自の演出を入れてみた。

 

なんだか、施設側との不備は沢山起きてしまったのだが

それはそれで仕方ない部分もある。

去年どの学祭と同じだ。

我々受ける側としては常にマイナススタートで物事は始まる。

 

楽しいことは書かず。

自分の中のわだかまりや、

嫌なことを書くのがこのブログである。

よって、ここではそんな楽しかった思い出や

スタッフへの感謝などは書きはしまい。

 

この合宿で印象に残ったことといえば以下の2つ

写真撮影

声出し

 

最近の流行りとして自分の楽しい瞬間を撮影して

SNSにアップすることがある

それに関連してか、参加者内の撮影が非常に多かった。

そしてそれを共有するためのライングループが後に作られた。

さてここまでは構わないのだが。のだが。

僕の団体では時折写真に関する問題が起きていた。

それはこの団体の写真を不参加者に渡して、

それをネタに連絡先を交換する輩の存在である。

 

なぜそんなことをするのか、全く不明だが、

とりあえずそれが実際に行われたいた。

一眼レフカメラの持ち込みを禁止した。

しかし、今年度、カメラのシャッター音が各地で鳴っていた。

異常なほどだったといえる……、時代か?

3年間でここまでは初めてだった。

肖像権を訴えたり、写真に撮られることを嫌がる人達がふえている一方で、

写真を撮ってインターネットに載せてインスタ映えするよ、などと積極的な人も増えている。この中の風潮がこのように2分されているというのは実は珍しいことなのではないだろうか。特に若者の間では……

 

しかし、一旦始まったものに対しては

どうやったとしても静止出来ないのだった……

 

それよりも僕が一番心を揺らされたのは

「声を出す」という行為を続ける参加者が居たことである。

 

音の情報の差を減らす為云々……と声無しの理由を説明して

それを了承して参加しているというのに

なぜ3日間を通して声を出していたのかというところに

憤りを感じてならない。

 

声なしの環境でコミュニケーション。

そういう主旨ではあるが、

それも手話サークルという領分で行っている。

よって、出来る限り文字に頼ってほしくはないのだ。

筆談に頼り、声に頼ろうとするあの参加者に

僕は本気で憤っていた。

今度のイベントに申し込んでいるが、

正直歓迎したくはない。

 

多少の傷みはありながらも僕の夏合宿運営は終わった。

もう二度と、夏合宿を運営することはない。

元スタッフ、それも、同期にして尊敬する彼女が参加してくれて

それは本当に嬉しいことだった。

 

力を出し切れたのか?

そう言われてしまえば、100%出せたわけではないと思う。

全く、僕はもっと、頑張れるはずなのだ。

もっと頑張れる。もっと頑張れ。



東京から帰って来て、寝て、起きた。午前10時頃電話がなった。

薄々何の電話かは分かっていた。内定が出た。まさかこんなにはやくくるとは。

なんだか僕はスッと感情が降りてしまった。この会社の選考に参加してからたったの1週間ほどなのだが。

まだまだ色んな企業がたくさんある。しかし、僕はまだ就職活動を続けられるのか。大阪で、あの企業以上の待遇と事業内容のある企業を見つけられるだろうか、と考えると……難しかった。

何だか、色んな感情がせめぎあう。もう少しだけ待って欲しい。

終わりたい、終わりたくない。そんな状況が続いて、もう9月。夏の終わり。

僕の将来は確定されるのか。

僕はひとまず大学にパソコンの充電コードを取りに行った。パソコンで団体の事務作業をしているときが、一番落ち着くのだ。

疲れた。

僕は帰りにアイスを買った。
体調が悪くなろうが、知ったことではない。アイスはとても美味しかった。

大阪から三重まで歩く旅

3日目。

 

足は限界を迎えていた。

しかし、漫画喫茶の設備が思いの外良いことに感激する。

コインランドリーもあり、ドリンクも程よく、

漫画の数も昨日と違う。

 

残念なのは店員の態度くらいである。

何をいっているのかさっぱり分からなかった。

 

最後の朝、もう一度山を上る。

合宿上は山の中にあるからだ。

昨日リタイアした同行者は、電車でここまで来てくれていた。

 

最後は駅近くまで共に歩く。

畑の前でお別れだった。

 


 

最後の最後である。

昨日で全力をだしつくしてしまったので、

こまめに、こまめに座った。

 

虫にまとわり憑かれたり、

変な草に捕まることや、

鹿に遭遇したこともあった。

 


 

そして、僕は山を上った。

最後の謎の坂を上り、合宿場に着いたのだった。

 

長い旅は終わった。

歩いた距離、約80km

走れない。階段をろくに上れない。

 

宿に入ると、もう眠気に襲われてしまった。

みんなが来るまでは、あと数時間ある。

 

ここからが本当の夏合宿である。

後輩達を待ちながら、

僕は少しだけ床に伏せた。

大阪から三重に歩いていく旅。

その2日目。

 

午前3時に目を覚ました。

眠る前、午前1時だったことを考えると、

2時間ほど眠ったようだ。

 

早起き体質と固い床が裏目に出てしまう。

その後、何となく漫画を読んだ。

 

成年向け漫画が何故か堂々と置いてある。

女性受けは全く良くないと思うが、

何分僕は男性であるので、それを手に取ってみた。

残念ながら興奮しなかった。

 

午前6時、漫画喫茶退室。

足の痛みが酷いかった。

 

酷くなっているというか、

前日の痛みをそのままひきずっているようだ。

この足で今日こそ奈良を横断し、

三重に入ろうというのだから恐ろしい。

しかし、特にそんなことは考えなかった。

考えないことがこの旅の秘訣である。

 

僕と同行者は長い道を再び歩き始めた。

遠くの山に続いた道を歩いた。

 

幸いなのは太陽が照っていないことである。

もし快晴ならば、

水分をあまり取らなかった僕は死んでいたかもしれない。

 

再び山。

山を越える。

強烈な上り坂と、強烈な下り坂が繰り返される。

 

車道は整備されていても、

歩道は全く整備されていない。

草が生い茂り過ぎていて歩けない場所が多々あった。

 

山を歩くのは非常に危ない。

トラックだの、乗用車だのがバカみたいに走っていく。

こう交通量が多いと、

人間の多さをひしひしと感じてしまうのだった。

世界征服して人間を減らしたくなる

ラスボスの気持ちが分かった。 

 

山を1つ越えた。

まだ奈良を越えてはいないようだが、街に降り立った。

本日のチェックポイントである。

 

ここで同行者は足の痛みを訴えた。

近くの喫茶店に入ると380円のオレンジジュースを買わされ憤慨した。喫茶店のこういうところが嫌いだ。

 

さておき、同行者の足は腫れ上がって限界のようだった。

靴が悪かったのか、はたまた別の問題なのか。

痛みに耐えかねた同行者はここでリタイアすることになった。

 

一方僕の足はといえば、激しく疲労してはいるが、

腫れなどはないようだ。

これは意外なことだったが、幸運である。

 

同行者に冷えピタを貰い、

僕は最後の道である国道165号線をひたすら歩くことになった。彼とはここでお別れである。

 

目的地の辺りまで20kmという看板が見えた。正直ここまで来るのに10km近く歩いていたはずなのだが。

もう独りになってしまったのだから、

覚悟を決めて行くしかない。

元々単独行動の方が得意なのだ。

 

またしても山のなかに入っていくことになった。

人は居ない。

僕は歌った。

歌っていると、足の痛みから気が紛れた。

幸い、今の時代、コンビニは数キロにひとつはあり、

トイレ問題は起きなかった。

 

ただひたすらに歩くということが出来れば問題ない。

しかし、坂と坂と坂に襲われる。

 

道筋で色々なことを考えた。

団体の代表であることや、

個人としてどうあるべきかということ。

 

数少ない友人関係。

それが縺れつつある現在。

 

縺れてしまったのならば

それはそれで、もう構わないのかもしれない。

それでも悲しいことは悲しいことである。

 

夜になった。

山は終わり、街に来た。

漫画喫茶を目指すために更に数キロ。

 

推定40km

今日は歩いてしまった。

漫画喫茶に着いたあとの僕は、

もう、限界だった。

僕の大阪~三重の旅は、午前八時。
ある駅前から始まった。

そもそもなぜ三重なのか。
それは合宿場がそこにあるからだ。

9/7から三重の赤目口辺りの山中で、その合宿は行われる。
ならば9/5から3日かけて歩いていこう

というのが僕の計画である。
バカだった。

午前八時、駅前を出発する。
自分の来たことのある地域を越えていく。最初は歩いても歩いても車だらけで、ビルだらけで、移動しても移動しても、変わらない景色が続いた。

 

 

同行者と何の実りもない話をした。
こういうことは親友やらとやるものかもしれないが、僕と彼はそれほど深い仲でもなく、彼の旅好きが今回の計画にヒットしたという形になったのだろう。

就職の話、サークルの話、恋愛の話……

実りはない。話は続いた。

それは青春らしい青春ではなかった。
開始から数時間して人が居ない場所にたどり着いた。

畑ばかりだ。
遠くに街が見えて、その遥か先に山が見えた。どうやらそれを越えねばならないようだ。

 

 

山を越えて奈良に入った。
正直肩と足はもう痛くなっていた。

 

 

座れる場所を探す。
座る。歩く。座る。歩く。
繰り返し。

山を越えて次の町に着いた頃、
もう日は落ちていた。

銭湯を見つけて入った。
リュックの重さを計測すると5kgあった。

そりゃあ肩も痛くなる。

だが、意外にも体が適応してくれたのか、

その後肩が痛くなることはなくなった。

肩が成長したのだろう。

お湯には浸かったのだが、足の痛みは全くとれなかった。筋肉痛なのか、足の使いすぎなのか、よく分からない。既に無理やり動かしている状態に入っていた。

宿泊場は漫画喫茶である。
何分お金がないのだからナイトパックで夜を越すしかない。
出来るならばもっとゆっくり漫画喫茶を楽しみたかったのだが。

団体の反省文やら適性検査などもやることはまだまだあった。
よって僕は持ち歩いているパソコンでそれをせざるを得ない。
リュックが重いのは、このパソコンの責任である。

大体のことを終えたあと、
漫画喫茶を少しばかり見聞した。

この漫画喫茶、明らかに設備が悪い。
漫画の数も少なく、ついているのはドリンクバーのみ。

そして、席はめちゃくちゃ固かった。

そんななかでも、

前々から読んでみたいと思っていた漫画を発見する。

浅尾いにお「おやすみプンプン」

これは、と思い手を伸ばした。随分と自分が読みたかったものである。読んでいくと次の巻が気になった。
久しぶりに読みたい本に出会えて非常に満足した。

そして、1時頃に眠った。

この日の徒歩距離、25km
スマートフォンアプリ計測で34km