no title -17ページ目

no title

高をくくる


僕ももう、学び始めてから2年経った。そんな中で沢山の学生と出会ってきた。そして、沢山の学生が消えていった。消えていったというか、上達させることを止めていったというほうが正しいのかもしれない。

上達させる方法といえば、その辺に転がっている。地元のサークルに行くでもよし、本を読むでもよし、動画を見るもよし。

重要なのは方法ではなく気の持ちようなのだと僕は気づいた。

地元のサークルへいったとする。しかし、そこで黙って企画などに参加して帰る……では意味がない。上手いと思える人を見つけて質問攻めにする。

本を読むとする。しかし、読んで終わりではいみがない。実際に伝わるか試してみる、他の本と読み比べてみる。

気の持ちようでその方法は更に深みを増す。

崇高な理念を持って始めた人が必ず上達するとも限らない。僕のように周りへの対抗心だけで進んだ人間もいれば、飲み会でなんとなく上達した人間もいる。

足りないと自虐的にならないと、今すぐにでも止まってしまいそうで僕は恐ろしい。どんな想いで周りの人は上達させているのか。恐ろしい。


秋学期の最初。
グループワーク系の授業は、あまり悪くはない雰囲気だった。
自己紹介時に大阪から三重まで歩いていった話をすると驚かれたが、果たしてこれはそこまで誇れる話なのか。
確かに過酷ではあったし、おいそれと出来ることではないが、かといって前人未到でもなんでもない。
しかし、受けがよかったならそれでいいか。

情報処理系の授業も、あまり使用した経験のないソフトを使うようで楽しみである。唯一、以前プレゼンの授業なのに、あまりプレゼン力のなさそうな先生だなぁ、と思った先生に再開したことは意外だった。

活動後、会議に出掛けた。
パンを食べた。
どうやらパン屋がリニューアルするらしい。危機は前触れもなくやってくる。大変だ。


ああ、そうだったのか。明日から秋学期だったのか。
昨日、久しぶりに覗いた大学のサイトを見てなんとなく僕は思った。

気付いたら、学生時代最後の夏休みは終わっていた。早かった。何て早かったんだろう。色んな最後があったはずなのに、ザルのように色んなものがぬけていった気がする。残ったのは密かな感傷と反省だけである。

あと少しだけ筋肉のついた体。現在身長171cm、体重54kgだった。オーラを出そう計画は頓挫していた。建て直さなくては。

こうして秋が始まった。
4回生といえど、僕は、普通に授業がある。ああ。いや、授業は受けたい。そのためにお金を払ってもらっているのだから。

グループワーク系の授業を1つとった。あと情報処理系のものも。前回取ったグループワーク系授業は散々だった。どういう基準で振り分けたのかは知らないが、男性しかおらず、妙に暗い男と、けん玉をしているという適当な男と、そのけん玉男にへらへらしている男と、僕である。

あまり良い記憶ではなかったので、封印しておこう。

とにかく、眠くならない授業を取る。グループワークは正直組むメンバーによって、楽しくも、最悪にもなる。初回となる今回は楽しみでもあり、不安でもある。どうせ4回生だ。失うものはない。思い切りワクワクして、いってやろうじゃないか。



夏休みが終わる日。
僕は高校に来ていた。この高校で手話通訳を始めたのも2年前。通訳対象の学生も1年生から3年生になり、かっこよくなっていっている。月日は偉大だ。

今日はスポーツ系の手話通訳だった。車イスバスケット、ラグビー。公演依頼を受けるだけあって、選手たちの喋りや、パフォーマンスは素晴らしいものだった。

しかし、裏を返せば、それを伝えるには卓越した技能が必要になる。

スポーツしながら喋る。
体験させる。
交流させる、などなど……。
苛烈を極めた。

後輩に頼るべきところは頼らせてもらった。他の団体に多少の絶望感を、いや、自分の団体にもしかり、抱いているところに彼女の一生懸命さは心地よかった。

明日から授業。
4回生ではあるが、授業は、受ける。


天然パーマは一種の呪いのようなものである。ぐるぐるうねって、丸く気持ち悪く伸びていく。

癖毛というレベルを超えていた。年々強くなっていく癖。縮毛矯正と癖の繰り返し。

今でさえ訳の分からない髪型になっている。特に横からの膨らみがそのアンバランスさを醸しており、非常に写真を見て気持ちが悪かった。




本日飛び入りで4大学の交流会に参加していた。

後輩/先輩に求めること。そんな話題があった。

「色々質問して欲しい」

そう僕は答えた。

「あなたは雰囲気が怖いんですよ」

そう後輩が陰から言った。
表情がさせるのか、なんなのか。どうやら僕は怖いらしい。

そういえば留学生の後輩もそんなことを言っていた。雰囲気。雰囲気、オーラなのか。

凄みというよりも、なんだか、近寄りがたい何かを出してしまっているようだ。半年しかない残りの期間。僕は積極的になることにする。



解離性同一性障害は病気として認められていると思う。
しかし、人間、誰しも一面しかもっていないなんて事は少ないのだろう。

最近やっと自覚したが、自分の中に危険思想ばかり考えているフシがあったり、なかったりする。

暴力をしてやりたくなったり、物を壊したくなったり、雰囲気をぶち壊したくなったり、全てに文句をつけたくなる。

表に出すことは殆ど無いが、出かける時がある。これは単なる妄想だろうか。ひとつでもしでかしてしまえば、もう生活がオシマイになってしまうようなことばかりを思い付いてしまう。というか、思ってしまう。

いい人、であろうとする自分が居る反面、危険思想を持った自分が存在する。人間だいたいそんなもんだろうか。この前、「女性優しくて人よくて…………な男も居る」と聞かされて以来、ずっとその言葉が離れない。

そんな人間はいないはずだ。幼馴染だろうがなんだろうが。そんな人間がいたら社会で生きることすら不可能になるはずだ。そう思えば思うほどに、自分の危険思想がやはり駄目なものに思えてくる。

いつかタガが外れそうで怖い。
学生時代はもう、終わるのだから。

この夏5回目の合宿として、都会よりの大阪で3日間合宿を行っていた。
グループに分かれて3日間を通して手話エンターテイメントを作り上げるという主旨だった。

初心者の成長、
ろう者と聴者の立場の逆転、などなど、その環境下が作り上げる助け合いが印象的な合宿だった。

しかし、僕としては複雑な気持ちも多かった。話の迷走も、後から入る変更も、普段ならば絶対に不満を出してしまう。それにエンターテイメント創作というのは僕にとってあまりない経験であるので、チーム内の経験者に押し切られてしまうのも事実である。以前も同じような体験をしたが……。

結果的に無難な仕上がりになったと思うし、他のチームの発表を見るのも億劫だったが、見てみると笑えた、面白かった。

3日間で主催団体の代表の方と話せたことも嬉しく、カリスマ性を見せてくれた。一体どんな修練を積んだのか、と思い尋ねてみれば、「自分の性格が押し出されているだけだ」という。

天才型である。
僕には真似できないとは思ったが、真似で終わる必要はない。

4月からろう的表現についても学んできた。それを幾人かに認めてもらえたことは嬉しかった。しかし、まだまだだと言われることも多い。あと半年でどこまで伸ばせるか。今、またしても壁にぶち当たっている。

自分にはエンターテイメントは向いていない……と、時折思う。根が暗いのかだろうか? 幅の狭い自分が嫌になる。もっとなんでもこなしたい。しかし、僕は不器用だった。

もっと器用になりたかった。
もっと器用になりたい。
どうしたらいいか。
頑張れば良い。

けれどまだ、頑張ることは怖い。
そんな印象が拭えなかった。


この世の全ての人間に対して、あるいは自分に対して「偽善者」という言葉を浴びせたい後輩。

「あなたは誰かの為に行動しますか」と彼女は問う。

自分は「助けてあげる」という精神が気になるようだ。「あげる」が上から目線になってしまっている、と。

それでは考えてみたい。
自分は誰かの為に行動するのか。

ご飯を食べるのは自分の飢えをしのぐためである。NOだ。これは当たり前だ。

団体の代表を務めたことはどうだろう。300日以上をつぎ込んだあの活動の日々は。NOだ。あれは自分がしたいから代表になった。そして、戦略のために周りに働きかけてきたからだ。だからこそ、後任育成は最低限だった。

大切な人のために沢山の言葉を書いたことがある。これはどうだろう。その人のことだけを頭に浮かべていた。これもNOだ。沢山の言葉を書いて、約束を守る自分や、大切に思っている自分をアピールしたかったのだろう。

後輩の指導もNOだ。教えたい欲の表れだ。勝手な欲求と、勝手な期待にすぎない。

どうやらどんなことも自分のためにしているようだ。

しかし、僕はそれを悪いこととは思わない。そこは後輩とは違う部分である。確かに人のために行動出来る人間は美しいと思う。

そんな天然物で綺麗な存在が居たら、どんなに嫉妬してしまうだろうか。だが、汚れていてなお、綺麗であろうとする人間の方が僕は好きだった。

偽善者というが、本当に悪いことなのか。偽で迷惑かけたのか。それは自身の受け取り方によってしまうのだろう。

後輩よ。
君が助けてあげる、という精神を持っていようが、助けない人間よりも、君が好きでいられると思う。

僕はネガティブなのか?
ポジティブなのか?



正直僕はあまり緊張に対して強くなかった。前にプレゼンテーションの授業を受けたときに「緊張は慣れて、いつしかしなくなる」と教えられた。
その先生が妙にカミカミで、説得力を感じなかったことを覚えている。

第一緊張といったって、色んな場面がある。面接なり、発表なり。

正直、僕は思い入れがあればあるほど、緊張してしまうタイプである。代表として挨拶したときも、練習して発表するときも、ずっとだ。

緊張感を持たないコツはもしかしたら、何にも感情を入れないことかもしれない。悲しいことである。