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高をくくる

   

 

どうも体が疲れている時や、精神的に負担がかかっている時に

僕の目は赤く充血しているらしい。

先日まさか後輩にまで心配されるとは思わなかったが

あんまり見た目に出るのはよろしくない。

 

ときおりいたんだり、こんな風になったりするようになったのは

小学生の頃、砂を目にぶつけられたことが原因だったと思われる。

 

砂は顔面に直撃した。

 

主に目に入った。

左右の視力が違うのもその影響もあるのだろうか。

 

パソコンを良くしている割には、視力は落ちていかない。

つまりそんなこと全然関係ない可能性も大いにある。

 

僕が視力を落としたのはPSPを買ったときだった。

やはり目に近い電子機器を扱うのは非常にリスクが高いのだろうな。

 

 

卒業論文の作成は今週から始めることになった。

幸い僕のゼミの先生は仏と言われるほどの優しさで、ゼミ生を温かく見守ってくれている。であるから、来週までに出来ることをやらねばならない。

 

さて、それでいて、今度こそ団体に関してもきちんと頑張らねばならないし、後輩の指導に関しても任されているぶんはきちんとやらねばならないし、

資格も1つ取ろうと考えているので、その勉強をしなければならない。

 

やることは山積みではないにしろ

少しばかり積み上がっている。

 

今日も疲れた。

同期は何も上手く行っていない。

 

残念ながら残念な方向にしか進んでいないのだ。



落ち着いた。
精神の方の揺らめきがお好み焼きとともに落ち着いていくのを感じた。
もう考えることをやめておこう。正直まだまだ他の問題に襲われそうなのだから、僕がいま悩むことになにも生産性がなさそうなことは考えない。

お好み焼きは偉大だった。

体の調子は未だに良くはなかったが、葛根湯を飲むことによって回復した。なんて素晴らしいのか、僕は何度葛根湯に救われたか分からない。社会人になったら、ぜひ葛根湯を持っていきたいものである。

当面の問題はゼミの課題を全く進めていないことだった。今後はある程度時間があるのだから、小出しにしながら執筆していきたい。

とりあえず、今日はしのぐべきなのか。今日も授業がふたつある。

また、全く関係のない話だが、10月に行われるコミュニケーション講座とやらに参加することにした。コミュニケーションとは一体何なのか、そういうことを教えようとする、その講師は如何なる人物なのかに興味があるからだ。

コミュニケーション能力、上がって欲しい。


どういう因果なのか、風邪を引いているようだった。この体調不良は3日前からである。

朝起きると蚊が死んでいるのを発見した。随分と赤い蚊だなと思ったが、それは血だったようだ。
いったいこの蚊はなにがしたかったのだろうか。

面接にいった。
とはいっても、就活ではなく、アルバイト面接である。
自分にとっての人間満足度チェックシートがあったとしたら、バイトしてお金を稼げていることがあげられるだろう。

その後大学に向かって、後輩と少しだけ話した。どうやら僕はまた、厄介なことに巻き込まれているらしい。

後輩と、更にそのしたの後輩との揉め事など、この4回生にどうしろというのか。そしてなぜ、見てみぬフリが起こってしまっているのか。

耐えられるのか。僕に。
今の僕には誰かを助けられるほどの余裕はない気がする。

早く体調だけは、なんとかせねば。


どうやら僕は思っていた以上にダメージを受けているらしい。
体の芯に、なにかがネジ込められているような気持ち悪い苦しみがそこにはあった。

そんなわけで午前2時頃に目が覚めた。3時かもしれない。

眠れない。
蚊に起こされていたわけでもないのに。
苦しい。

今日は毎月のイベントのジッコウをしたけれど、終始めちゃくちゃで、あーこりゃだめだななかんじだった。

つらい。

つらいぜ。

 

 

あまりに脳内でドラマティックに演出されていたはずのなにかは

睡眠を通して冷静になっていった。

時間は人も関係性も全てを変えていくし、流していく。

拘っている自分の方がおかしいのだと僕は素直に認めなければならない。

盛り上がっているのは自分だけ、

盛り上がっているのは自分の頭の中だ。

いつも通りの独りよがりだ。

 

目覚めた僕が最初にしたのはご飯を食べることだった。

次に入社誓約書を書くことだった。

しかし、インターネットで調べれば調べるほどに

頭を悩ませることばかりが書き連ねられている。

 

会社側からもへりくだるような書き方がされているので、

自分はそれを消して、へりくだるような書き方に訂正して返すべきとか、

添え状を送付せよとか、封のやり方はどうだとか、

一体何がどうしてこんな社会になってしまったのか。

作業効率が悪いとか、生産性が労働時間と全く見合ってないだとかは

このあたりの妙な風土や文化から来ているのではないだろうか。

それをマナーだとか、和の心だとか、どうかしている。

 

それを一通り、済ませた後は

選挙投票に向かった。

日曜日は大阪には居ないので、期日前投票になる。

地元の区役所を探している時、幼稚園を通りかかった。

それは自分がはるか昔に通っていた幼稚園である。

活気ある、妙に渋い卒業歌だった思い出の幼稚園だ。

 

 

どうにも空の色も相まって、活気あるようには見えなかった。

ケイコ先生は今いくつになっているのだろう。

 

僕は投票を終えて、あえて遠周りな方法で帰った。

 

インターネットで何気なく「手話 合宿」と調べると

去年度自分が運営した合宿の参加者の誰かが書いたであろう

合宿日記が残されているのを発見した。

どうやらとても楽しんでくれたようであるので、僕は少しだけ気持ちが良くなった。

 

お腹はいまだ満腹である。

体の調子は悪い。

心の調子が悪いからだろう。

 

最近の僕は劣情に負けている。

理想の自分に、4回生の間は近づけるように努力すると誓ったじゃないか。

頑張れよと自分にムチを打ちたい。

しかしムチを打つからには、アメが欲しかった。

 

今年は残り100日しかないらしい。

日めくりカレンダーでも買いたい気分だったが、

そんなものを勝っても、97日目からめくらなくなるだろうことは目に見えているので、僕はそんな思いを殺した。

 

今は非常に物悲しい気持ちに浸っている。

自滅したかのような感覚だった。

ゆう「甘い水」を聞いて、今日1日の、残り時間を過ごすことにする。面接の連絡が入ったので、月曜日は面接に行こう。

12:40に目が醒めた。

夢を見ていたような気分になっていたが、

午前2時に起きた自分は色々と徘徊したあと、

長らく連絡を取っていなかった人間に連絡したらしい。

 

何でもない会話のようなものを終えて

それは切れてしまっていた。

 

これでよかったのか。

本当はもっと言いたいことが

沢山あったのかもしれない。

いや、あったはずなのだが。

 

頭が痛くなった。

取り敢えず昼食を食べることにしたい。

 

 

日本手話をなんと端的に言おう。

伝統的手話ともいわれている、いわゆるネイティブな手話とでも

言えばいいのだろうか。

 

健聴者で手話学習者が、この日本手話を表すことは殆どない。

相手が日本手話で話していたとしても、こちらは健聴者が

声と共に用いる形の手話を表現する。

 

だからこそ学ぶことに意義を感じる。

しかし、壁を感じる。

元々自分は何においても才能を発揮できないタイプである。

だからこそこういった独立言語を学べ、となったとき、

 

「自然に学んだらええねん!!」

「テキトーや! テキトー! ガッハッハ!」

 

そんなことを言われても困るのだ。

なぜならばその適当は感覚で捉えるといういわゆる、天才型のみがなしうる偉業だからだ。

僕には引き出しを沢山作って、そこから表現を引っ張ってくるということしか出来ない。

ろう的表現、日本手話ではないまがい物である。

一体この壁はどうやったら乗り越えられるのだろうか。

いや、乗り越えるという考え方そのものを否定されかねない。

しかし、その感覚を心に拭えるのは、習得に至った自分のみであろう、

 

4回生でも授業がある。

とはいったものの流石に毎日授業があるわけではない。

今日は丸1日空いていた。

ゲームがしたい。

1年以上僕はゲームをしていなかった。

 

一時はゲーム中毒になっていた時期もあった程なのに

なぜここまでゲームをしなくなってしまったのか。

 

前にアルバイトに応募したところからは

未だに連絡が届いていない。

全くどうなっているのか。

よくわからないから、また別のところに応募しておいた。

 

丸1日も空いていしまうと何をしたらいいのか、迷った。

しかし、僕は本当は気付いていたのだ。

夏の間、ほったらかして、ホコリを被っている哲学書が

自分のすぐ左にあることに。

 

哲学のゼミの課題、つまり卒論は

全く進んでいなかったのだ。

長らく全く触れていなかったのだが、

にほんブログ村に登録していたことを思い出した。

 

パソコンの中のパスワード集を確認して

ログインすると、登録タグが何故か高校生活と

堺情報発信になっていた。

 

あまりに意味がわからないので速攻変更しておいた。

今このブログで取り上げているものといえば

生活と手話くらいのもであるので

手話を探したのだが、あまり見つからなかった。

 

ひょっとしたら……と思い、探すと発見した。

「介護」「点字・手話」

 

点字タグと一括りにされていたことにも驚いたが

介護タグの中にあったこともなかなか驚いた。

 

なるほど手話と言えばやはり福祉介護に関連するところが

大きいのかもしれない。

 

しかし個人的にはイベント運営やエンターテイメントとして

触れる機会のほうが多いのである。

僕はもうすぐ手話を学び続ける理由を失うのだが

どうやっていけばいいのだろうか。

深く考えてはいないが、深く考えても良いのかもしれない。