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高をくくる


今日から10月。
日付はなんの躊躇いもなく流れていく。
少しずつ終わっていく。

大したイベントが起きるわけでもなく。

感情が冷めていた。
確かに感情はあるけど、それが刺激されることは非常に少ない。

良いこと無いかな。
あるいは、何か起きないかな。

随分と涼しくなってきた。

空気が秋の空気になったな、と午後7時頃に感じた。

その時僕はカレーライスを食べていた。

あんまり美味しいとは思えなかったけれど。




起きた。
昨日作ることが出来なかった報告書と、出来ていなかった動画編集を済ませた。

その後、大阪に帰ってきている幼馴染の男に会いに行った。

幼馴染でなければ関わりあうこともなかったであろう男である。僕とはまた、違った方向で社会不適合感を出している。

女性批判と、世の中への怨嗟。他人の大切なものを壊して喜ぶその性格はまさしくネジ曲がりに相応しい。

どうして彼はこんな男になったのか。

因みに猫アレルギーにやられ、今もくしゃみがでる。

帰宅して寝た。

悠々自適。

定期券を買いに出掛けた。
これが最後の通学定期券になる。

入学したころ、
定期券の【10月1日まで有効】の文字を見て、「この頃になると大学に慣れているのかなぁ」などと考えていた。

あれからもう、長い月日が流れた。

なにもかも、もうすぐ終わる。
その前に僕は、出来る限りのことをしよう。


現在大学4回生なる僕は、20171月から就職活動をしていた。

そして、20179月半ばに就職活動を終えた。

 

そんな僕は就職活動を終えて感じたことなどを

ひたすら書いておこうと思う。

 

3回生の時に考えていたこと

1月はスタートダッシュ……らしい

●初めての面接

●クオカード狙い

●企業に無視された

●合説でも分かるブラック企業

●ブラック企業の説明会に行ってみた

●グループ面接での優越感と劣等感

●コネ入社、コネインターン

●嫌いになったグループワーク

●全てをかけて落ちた最終面接

●就活を終えていく同期達

●最終面接落ち男

●業界迷走

●真夏の就職活動

●最後の内定

 

 

3回生の時に考えていたこと

3回生時、僕は就職活動をしている先輩方の姿を殆ど見かけなかった。就職活動という響きも何となく遠いものに感じ、自分の団体の活動に注力した。

しかしながら、あまりにも「インターン」という言葉を浴びせられるので、ある先輩が口にしていた企業にワンdayインターンに向かう。

 

「みんなの学歴と活動、すごいなぁー」

 

それが僕の得た感想だった。この時もう少し焦っていれば、考えていれば、事態は変わっていたかもしれない。しかし、あの頃の僕にはそんなことをする猶予は、きっとなかったのだ。

 

そして、僕はサークルのクリスマス会で感動的なものを自分で作り上げ、自己陶酔して代表を降りた。

 

1月はスタートダッシュ……らしい

「就職活動を終えるまでサークルには戻らない」

 

何となくそれが格好いいような、キリの良いような気がして、代表を降りた日から就職活動なるものを開始した。様々なサイトに登録した。

 

1月は合同説明会に足を運んだ。

 

どうやら、1月というのはスタートダッシュであるらしい。人事の方がそう言うのを何度も目にしてきた。

 

実際、同期もこの頃は活動しているのか、していないのか、よく分からない状況だった。

 

ただ、僕は闇雲に行っていただけであり、プレエントリー開始日だの、就活解禁だのは全く気にしていなかった。

 

●初めての面接

ある合同説明会で、その場に役員が来ており、面接も行えるというブースがあった。正直説明を聞いても働き方や福利についてばかりで業務内容が謎の会社だったが、僕は挑戦心でそのブースへ行った。

 

僕を含めて3人。

その場で面接が行われた。

 

「はい!私の強みは……」

「私は○○の副部長として全国大会……」

 

2人は用意されていたであろう文章を読み上げていくように語った。一方僕はどうだ。なにも準備などしていない。僕は焦った。

 

結果的にしどろもどろに自慢話のようなことを話し、その面接を終えた。とりあえずその面接は0.5次面接のようなもので、その後、1.5次、2次と受けていくことになるが、ご縁はなかった。

 

「ぼ、僕……あ、いやっ、私は、○○株式会社さん、いや、御社……」

 

こんな状態がしばらく続いた。

 

●クオカード狙い

2月、3月ごろになると、合同説明会や、会社説明会に参加する理由は大概クオカードになっていた。

 

参加して1000円、インターンのレビューを書くと、一社ごとに1000円など、様々な形でクオカードを手に入れた。

 

しかし、こんな動機で参加した合同説明会が良いものになるはずもなかった。大した成果もなく、クオカードをゲットするだけの日々が続いた。

 

●企業に無視された

早めに動いているベンチャー企業から面談の連絡が来ることもあり、僕は特に考えもなくそこに赴いた。

 

ある程度面談を終え、「3月頃にもう一度、選社軸、就活状況をおくってほしい」という言葉を貰った。

 

3月になり、僕は言葉通りにメッセージを送った。無視だった。

 

●合説でも分かるブラック企業

ある程度合同説明会に行くと、毎回目立っている企業があるのに気付いた。他のブースを妨害するかのような大声、事業内容などではなく、独自の哲学をひたすら語る人事。

 

ブースへの勧誘も学園祭の売り込みのように強引である。

 

ブラック企業とはこういう態度に出るんだろうな、と思い、調べてみるとやはりブラック企業と名高かった。

 

●ブラック企業の説明会に行ってみた

ある日、(またしても)クオカードにつられ、明らかにブラック企業であろう企業の説明会に行った。

 

「ええねん」

 

という歌詞の熱血的な曲にのせて社員が生き生きしているPVをみた。そして、世界的な企業から内定をもらっているが、結局この企業にしたよ、という社員の紹介があり、飲み会が多いという説明を受けた。

 

どうやら海外旅行先で問題を起こしたり、寮で騒ぎすぎて社員寮を失ったようである。

 

物凄いぶっとんでいる企業だった。人材系に特に多く、ある同期が人材だったので、心配になった。

 

その後5000円クオカードを貰った。

 

●グループ面接での優越感と劣等感

選考を進んでいくと、グループ面接の時間も多々あった。その際に感じるのは、2つ。

 

①優越感

自分の方が反応よく受け取ってもらったり、隣の人間がミスをしたりした時に感じる優越である。

正直汚い感情だが、このおかげで緊張がなくなることも多かった。

一度手痛い失敗をした人と共に帰っていたとき、純粋に僕を誉めてくれたこともあり、胸は少しだけいたくなった。

まぁその会社ともご縁はなかったが。

 

②劣等感

待合室での会話、実際のグループ面接中よ、話している内容や経歴の違いに劣等感を感じていた。

 

「だめだこりゃ……」

 

そう思うことも少なくなかった。高校までなにもなしとげてない自分。いわゆるTOEICやらインターンやら留学やらは評価に繋がらなくはない。なにより自分を押し出せるエピソードになってくれる。

 

●コネ入社、コネインターン

待合室で僕はある男と話していた。どうやら有名企業のインターンをしていたようだった。それもコネインターン。

 

その男は学生ながらも飲み屋に行き、独自のコミュニケーションからコネクションを広げていたらしい。なんて男。

 

因みに親の会社にコネ入社という現場も見たし、実際僕にも報道系企業に入社するコネはあった。

 

現代でもそういうことは多々あるのだな、と初めて知る。

 

●嫌いになったグループワーク

 会議を実際に進行し続けた自分だったけれど、グループワークは勝手が違った。時間を余らせてはいけず、進行書記をかってでなくても、後からケチをつければ受かってしまう。実際に自分が経験してきた会議は議題が終わり次第、どんどんと先へ進んでいかなくてはいけなかった。そうすることで余裕ができ、決定事項への確認時間も取ることが出来るからだ。

 

 よく分からないオジサンに否定され、著しく低い評価をされた事もあれば、大企業のグループワークで、進行も書記もかってでなかったのに、最後にタイムスケジュールを決めて進めた方がいいのでは、と感想じみたことを言っただけで、評価が高くなったこともある。

 

 選考を勝ち進むためのグループワークであり、実際に課題を解決するためのグループワークではないのだ。企業側もそれを分かっているようで、フェルミ推定とかいう、答えがどう考えても分からないようなお題をだし、それについて考えさせる、いわゆる「考える過程」を見るだけのグループワークも沢山あった。

 

 実際の動き方ではないこのグループワークが、僕はいつしか嫌いになっていた。司会とタイムキーパーを分ける意味も分からない。一体あれは何だったのだろうか。

 

●全てをかけて落ちた最終面接

 目標を持たない漠然と、漫然と過ごすだけの僕にも一応第一志望はあった。それは誰もが名を知る有名企業で、合同説明会から度重なる選考を受け、ついに最終面接にたどり着いていた企業だった。福利厚生も、企業評判もかなり高いが、採用枠は決して広くない。だから僕は全てをかけるために、そこ以外の内定と選考先を断った。願掛け的な意味合いも自分の中にはあったのだろう。そして、その選考は15分で終わった。早かった。

 

 落ちた。受かる夢を見ていた。僕の就職活動はその時点で一度0になった。目の前が暗くなった。自慢もできるし、みんなに認めてもらえると思っていた。そうしてここから、僕の最終面接で落ちるというパターンがハッキリしていくことになる。

 

●就活を終えていく同期達

 6月を過ぎることになると、「就職活動、嫌やー」などと言っていた同期たちも、徐々に就職活動を終えていっていた。なんのポーズなんだそれは、と内心憤りを隠せなかったが、僕はそれでも就職活動を続けるしかなかつた。先の選考で、選考先の企業は0になっていたからだ。

 同期達が終えていく中、僕は心配され、哀れみを受けた。プライドだけは少しばかり高い僕だったが、それにはむしろ何の反応もなく、静かに自分のことを責めるのに終始した。

 

●業界迷走

 僕は就職活動を開始してからずっとIT業界一択だった。これからITに取って代わられる仕事も多い。よって、業務内容はどうあれ、その業界に身をおいて、その業界のスキルや様子を知りたいという考え方、あるいは単に営業向きでもないかな、と考えていたからだ。しかし、先の選考で第一志望のIT企業を落とされ、僕の志望する業界はどんどんブレていった。

 

 ある時はサービス系の企業を受けた。ホテル・レジャー・バーなどと書かれているような企業である。突然最終面接で圧迫的になり、「ヤクザとの関わりが多いと聞いていると思うけれど、そんなこと全然ないから!」と言われた。そもそもそんなことすら聞いていなかった僕だったが、そんなこんなで僕は落ちた。「社長の名前は?」「前期の利益は?」就職活動では聞かれるよ、と言われていた質問。実際IT企業で就職活動をしていた際は全く聞かれることがなく対策していなかったのだが、ここでそれが出題され、僕は落ちたのだった。

 

 ある時は介護業界の合同説明会にも参加した。介護業界は人も足りない、そして、僕のスキルである手話は、福祉系としての印象が強いからだ。だが、どうしても自分に介護意欲があるとは思えなかったために、僕は選考を受けることすらしなかった。心の何処かで自分が介護されることを望んでいないからだろう。

 

 ある時は冠婚葬祭に関わる職業を探した。葬儀に関しての募集がやたらと多かった。しかしながら書類試験が全く一般的とはいえず、落ちた。企業先訪問をした際、ブライダルチーフだけが非常に嫌な印象を与えてくれたことを覚えている。

 

 このように僕の業界迷走は続いた。人間、備えがなくなると迷走していくのだろう。僕は自分のことを「実はデキル奴」と思いたかったが、現実は尽くそれを否定した。

 

●最終面接落ち男

 いろんな企業を回ったのだが、僕はとにかく最終面接で落ちた。書類選考で落ちたことはなかった。大企業でも中小企業でも、どうやら一風変わった書き方から、取り敢えず面接してみよう、と思わせることには成功していた。グループワークや、グループ面接でも積極性を発揮することが出来た。しかし、最終面接だけはどうしても突破できなかった。

 「最終面接」という響きがどこまでも自分を緊張に駆り立てた。緊張に弱かった。色んな小細工をしたり、奇行に走ったりしてみたのだが、どれも全く効果がなかった。最終面接までいくということは、それまでの選考期間や交通費が勿論全て0になるということだ。

 

 この傾向は最後まで僕の財布と体と精神を苦しませ続けた。

 

●真夏の就職活動

 会社員がクールビズなるもので、ノーネクタイ・ノージャケットを実施している時でも就職活動生の僕は暑い格好をしていた。夏の太陽は黒いジャケットを通して、僕を焼き、僕は焼かれて変な汗を流した。

 僕はちゃんとしたスーツを買っていなかったし、就職活動グッズを1つも買わなかった。それも問題である。暑い暑い暑い。暑くてたまらない最後の夏休みの前半。苦しんだ。時には企業先訪問ということで、真夏の太陽の下、自転車で大きな坂を乗り越え、隣町まで行ったこともある。

 誰にも真夏の就職活動をおすすめできない。

 

●最後の内定

 こんな僕だったがサークルの卒業生の話をずっと聞いて、興味を持った末に選考を受けて内定をいただいた。二次と最終面接が一気に行われ、選考開始から2習慣も経たずに、僕は内定を獲得した。正直現実感がなくて、喜べなかった。あまりに早すぎた。

 

 こうして僕は就職活動を終えることにした。

 

「がんばれた?」

「がんばれたかは分からないけれど、頑張った」

 

 問われてそう答えた。もうだめだった。いくらなんでも心が疲れすぎていた。志望は半分叶い、半分は叶わなかった。

 関西から、関東へ行く。多くの人々と離れることになる。もっとも、18年間はほとんどの人間と付き合いがなかったのだ。大学からの人々と別れることだけが惜しい。

 

 少なからず、友達が出来た。大切だと思える人も出来た。時間は残酷だから、もしかするとこの選択は僕から色んな物を奪っていくのかもしれない。大体の人間が、将来よりも今を優先する。将来を優先できた人間こそ、成功するだろうし、いい人生を送れるのではないかな。でも、僕が優先したのは、たぶん今だった。結局、自分はなんの特別性もない、ただの一般人だ。



起きた。
後輩の家に泊めて貰っていたのだった。廊下で寝るといえば布団も貸してくれて良い後輩である。
ありがとう。

そのまま学校に行かないか、と言われ、出来るなら言ってあげたいものだったが、僕は髭が生えてきて剃りたかった。

理想的じゃない。髭など生えなくて良かった。

午前11時。地元の駅に着く。
澄んだ青空の駅前をみるのは久しぶりだった。



それから僕は眠った。

今日も会議である。
代表、代表である自覚が最近薄れてはないだろうか。もっと、もっと実力が必要なんだ。

自転車から転倒した痛みで、右手は上手く動かない。どうしてだろう。右手どころか、右腕が随分と痛かった。筋肉痛的な痛みである。

昨日、何かしただろうか?


起きて学校へ行った。
スタディスキルゼミなるもの、
情報処理でaccessというもの、
この2つを学ぶことにした。

どちらも身になると考えたからだ。

アクティブラーニングとかいう意識高そうな内容で、これから毎回行われるらしい2分間スピーチに向けての説明がメインだった。

僕はスピーチがそこまで得意ではないはずだ。論理的であることを求められ、PREPというものを紹介された。覚えていた。主張、理由、具体例、主張。僅かな期間だけ関わった学習支援でこれだけは面白いなと思い眺めていた単語だった。

ルーブリックという単語は今まで忘れていた。

1回生とペアを組んだ。流石に1回生と自分とではやり方に大きく差があった。それでもスピーチをそこまでうまく出来る自信はない。

ここで1回生の頃に授業にいた4回生を思い出した。同じくスピーチのような事をしていてあまりにも流暢過ぎた学生に、周りがあっけにとられていたのだ。終わると「自分は就活を終えた4回生である」と話始めていた。

今や自分が4回生。「3年も何かで経験を積んだんだから、その経験、見せてくれよ」音の無い声が、自分の中から僕を責めた。

僕は1番最初に立候補した。就活でも感じたことだった。1番はなにげに1番楽なのだ。だから僕は、1番でいい。今朝方見た映画について発表してやろう。

サークル活動を終えた。
学園祭前の雰囲気を帯び始めていた。延長届けが出された活動は午後10時まで続き、誘われついでに僕はそのあと駅前のファミレスに行った。

終電を逃した。

こんなことは1回生以来だ。
特に絶望は感じなかった。しかし、後輩が泊めてくれるというので言葉に甘えた。3人だった。

短い間だったが、色々と話をした。男性による性的被害がよくもここまで沢山あるものだと、僕は逆に驚く。変態も強姦も痴漢も画面の向こう側にしか感じないのに、確かにその被害があるのだ。

男性は信用すべきじゃない。なんて言いながら、僕に警戒してほしいのも確かだった。

その話を聞いていた僕には同時に3つくらいの感情が生まれていた。

・どうにかして恐怖を取り払ってやれないか、距離感を考えた方がいいか、などという理性的な感情
・本当にそんなことがこの子に起きるのか、でも言ってるんだからそうなんだろうな、などという冷めた感情
・その情景をなんとなく想像する変態的な感情

一体どれが自分のものなのか。どれにしたがうべきなのか分からない。

「日本の男子は要らない、クソ男子」

ある留学はそういった。
確かにそうだ。
クソ男子。

変態的なクソ男子【かもしれない】周りの男子と違って、僕は確かに自分のなかにそれを感じている。

しかし、せめて彼女らの前では、クソ男子でありたくない、そうしようというのが、今の感情である。




人間色々なキャラクターがあると思う。親しいコミュニティとか、他人に対してとか。

僕も例に漏れず、そうだった。しかも意図的に色々と使い分けている状態だったのだが、それが最近混乱しつつあるのに気付いた。

就職活動の自分。
盛り上げる自分。
落ち着いている自分。
素のような自分。
素の自分。

これに更に母語のようにしつつある言語と、LINEなどの文体をかけると、更に分化してしまい、以前どのように話すか、迷い、一瞬固まってしまったことがある。

一人称も僕なのか、俺なのか、私なのか、一体どれなのか分からない。

これを書くときは僕で、実際に話すときも僕だが、それは意図的に変えたものであり、本来は俺と言っていた。

しかしだからといって僕という一人称が作り物の嘘なのかというと、それも違う気がする。何故ならば話すときに、最早自然に出てくる一人称だからだ。

いまや俺という一人称を扱う方が珍しい。

混乱する。
大体みんなこんな感じなのだろうか。

   

 

 

先日ブログに関して色々整理していた時に

テーマなるものがあったので「ネクラ系男子」というところに

所属することに決めた。

 

特に誰に対して発信している訳でもないブログなのだが

「高校生ブログ」になっていたり

「ゲーム/生活」などという訳のわからないバナーが表示されているのが

どうも違和感があり、気持ち悪かったので消したりしたついでである。

 

ネクラ系男子……

折角ランキングがあるようなので、少し見回ってみたが

一定の人達が「仕事辞めました」という記事を更新していて怖くなった。

 

ネクラと自称するからにはそれなりに歪んでいたりするのだろう。

まぁ、自分に合ったテーマを選べたようで何よりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

サークルの学園祭発表。

毎年行われてきたこの発表に「4回生」という学年は

「4回生発表」としての時間を分け与えられる。

 

就職活動を終え、

一致団結出来る時間を得た我々4回生は

3年の知識と経験と技術を活かして発表する……はずだった。

 

1人の男が授業、教習、バイト

と言う理由で学園祭発表出場を取りやめた。

もともと有志発表であるために

彼自身に貸せられた団体的な責任はない。

しかしながら、

彼が居ることを想定して作成されてきた発表内容は

大きく変更されることになった。

 

そして、今週火曜日に

もう1人の男が突然ある日の発表を取りやめた。

理由も語られず、ただ「出来ない」ということだった。

「ああ、分かった分かった」と体面上は言ってみる。

そして、頭の中でも

「起こってしまった事態には悩んで愚痴をこぼすより、

解決のための策を講じるべき」

ということが分かっていた。

 

それでも、ふざけるなよお前らと思う気持ちがあった。

そんな姿を下級生に晒して、よくも先輩面をしてきたものだと。

それによって生まれた綻びを立て直すのは

欠場する2人ではなく、残っているメンバーなのだ。

 

一体なぜこんなことに。

いつも僕は「なぜこんなことに」と問いている。

理由は分からない。

他人の人生も、判断基準も僕には一生理解できないだろう。

ただ悲しんだり、嘆いたりするしかないのか。

 

 

起きて、食べて、寝た。

 

正確にはもっと真っ当なこともしているのだが、

どうにもこのブログに書きたい内容というのは

自己批判であるように思える。

 

善行について書き連ねても仕方ない、と自分で思っているのだろう。

善行というのはまた違うか。

 

タイピング能力をあげたかった。

 

今日は色んな連絡が来るはずの日だった。

月曜に郵送するよと言われていた書類や

アルバイト面接の結果など

僕は待っている。

 

待っている……というか、それ次第によって

今後の動き方やスケジュールに大きく影響してくるのだから

出来る限り早く送ってほしいという思いがある。

 

今日は会議を少しだけした。

最近ショートカットキーを覚えることに盛んである。

コントロールキーを主体としていたが、AltWindowsキーを

扱うものも多いようだというのを知った。

 

おお~、と言われることを目指して頑張ろう。