日本手話をなんと端的に言おう。
伝統的手話ともいわれている、いわゆるネイティブな手話とでも
言えばいいのだろうか。
健聴者で手話学習者が、この日本手話を表すことは殆どない。
相手が日本手話で話していたとしても、こちらは健聴者が
声と共に用いる形の手話を表現する。
だからこそ学ぶことに意義を感じる。
しかし、壁を感じる。
元々自分は何においても才能を発揮できないタイプである。
だからこそこういった独立言語を学べ、となったとき、
「自然に学んだらええねん!!」
「テキトーや! テキトー! ガッハッハ!」
そんなことを言われても困るのだ。
なぜならばその適当は感覚で捉えるといういわゆる、天才型のみがなしうる偉業だからだ。
僕には引き出しを沢山作って、そこから表現を引っ張ってくるということしか出来ない。
ろう的表現、日本手話ではないまがい物である。
一体この壁はどうやったら乗り越えられるのだろうか。
いや、乗り越えるという考え方そのものを否定されかねない。
しかし、その感覚を心に拭えるのは、習得に至った自分のみであろう、