Book 043 - 人体模型の夜 / 中島らも | 午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

時事問題から思想哲学に至るまで、世間という名の幻想に隠れた真実に迫る事を目的とする!

■概要

人体に関わる計12話から構成されるホラー短編小説集。



* 飛ばす場合はどれかを選択 *
A) あらすじ
B) 解説
C) 人体模型の夜


■あらすじ

一人の少年が「首屋敷」と呼ばれる薄気味悪い部屋に忍び込み、地下室で見つけた人体模型。その胸元に耳を押し当てて聞いた。幻妖と畏怖の12の物語。18回も引っ越して、盗聴を続ける男が、壁越しに聞いた優しい女の声の正体は(耳飢え)。人面瘡評論家の私に男が怯えながら見せてくれた肉体の秘密(膝)。眼、鼻、腕、脚、胃、乳房、性器。愛しい身体が恐怖の器官に変わりはじめる、ホラー・オムニバス。



* 飛ばす場合はどれかを選択 *
A) あらすじ
B) 解説
C) 人体模型の夜


■解説

第106回直木賞の候補に入りながらも落選したのが本書だったが、各選考委員の評言を読む限りでは惜しくも落選というよりも酷評という感じだった。だからといって、先入観には全くならなかった。なぜなら、評言のされかたがあまりにも薄っぺらかったからだ。どれを読んでも「小説とはこうあるべきだ」という時代遅れの文学的固定観念を物差しにしている。どうりで「これのどこが直木賞なの?」といえる作品が増えたのも頷けるって訳だ。だから、「●●賞」という世間のラベルに惑わされていれば、本当に優れたものが解らなくなると再認識出来た次第だ。

さて本書だが、ジャンル的には「ホラー・オムニバス」なんて呼ばれている。

ホラー小説は「クリムゾンの迷宮」以外読んだことないのだが、「エクソシスト」「13日の金曜日」「シャイニング」などの映画みたいな奇怪な恐怖というのはあまり感じなかった。寧ろストーリーで一番怖かったのは、我々と同じ人間だった。

本書もまた、計12話にわたり人間の内面に潜む狂気について書かれている。

しかしながら、どの章も面白く書かれているので、ついページを捲ってしまう。で、最後にズドンと恐怖に落としてくる訳だ。各話のタイトルには「邪眼」「セルフィネの血」「はなびえ」など、必ず人体の部位が使われており、それに因んだ民話的なストーリーになっている。が、タイトルの謎はそれだけじゃないのだ。人体の謎は、エピローグまで全部読み終えた時に解るのだが、これこそが1本の長編に変わる時であり、同時に最大の恐怖が待っているのだ。

小説としてとても面白く、各話の登場人物も素晴らしい反面教師になってくれる。



* 飛ばす場合はどれかを選択 *
A) あらすじ
B) 解説
C) 人体模型の夜


■人体模型の夜

プロローグ 首屋敷
邪眼
セルフィネの血
はなびえ
耳飢え
健脚行

ピラミッドのヘソ
EIGHT ARMS TO HOLD YOU
骨喰う調べ
貴子の胃袋
乳房
翼と性器
エピローグ 首屋敷


●プロローグ 首屋敷

この空屋がなぜ首屋敷と呼ばれたのか、誰も詳しいことは知らない。昔、頭のおかしい学者が設計して造らせた家だという。

学者はこの家ができてすぐに行方不明になった。生死の確認や相続権のもつれなどのために、屋敷は以降ずっと放置されているらしい。確かに、この家を設計した人物が正常な精神状態であったとは考えにくかった。

家のまわりを橋のない濠(ほり)がめぐっているのはいいとして、入り口が三階にしかないのは異常だった。そこに登るための梯子(はしご)も階段もない。ただ、方法はある。

この家は、近所の子供たちの格好の肝試し場になっていたが、家の中への潜入方法も口伝えで受け継がれていた。たくさんある窓の一つ一つに小さなヴェランダがついている。これを階段代わりにして三階の入り口まで上がっていくのである。

三階は、二畳ほどの小部屋二十一室で構成されていた。これも奇妙だ。その中の一室に二階へ下りる穴と梯子がある。

二階はやはり、三畳の小部屋十四室から成っている。

人間の住居らしいのは一階だけだ。ここは二十畳ほどの居間とふたつの寝室で出来ていた。トイレも浴室もなかった。

狂える学者は、風呂には入らず、用は外の濠でしていたのだろう。

近所の子供たちは、年に一度、春の新入生肝試しの時以外、首屋敷に近づくことはなかった。学校から厳禁されていたせいもあるが、本音はやはり恐ろしさのためだろう。学者の幽霊が出るという噂や、学者は実はまだ生きていて、迷い込んだ人間を生体解剖してしまうという噂。ありとあらゆる怪談がこの首屋敷に纏わりついていた。

そうした噂は、少年にとってありがたいバリアーになった。
絶対に誰も訪れないこの空間に、少年は自分の王国を築いたのだ。

殆ど毎日、少年はこの王国を訪れては、二、三時間、空想の中に遊ぶのだった。
ただ、その王国も今日限りの運命にあった。

地元住民が以前から申請していた予算がおりて、取り壊しが決定したのである。明日からは業者がこの敷地に入る予定になっている。

今日、少年は自分の王国に別れを告げにきたのだ。


古い薬品や錆びたピンセットの入っているキャビネットに厚く埃がつもっている。その埃を指でなぞって、少年は自分の名を書いてみた。

たくさんある抽き出しの一つを抜いてみる。何か面白いものを記念に持って帰るつもりだった。抜いた抽き出しの中には、様々な色をしたガラスの小壜が並んでいた。どの壜にも半分ほど、粉末や結晶が入っている。黄ばんだラベルには毛筆で薬品名が示されていたが、ドイツ語だ。少年には読めない。

抽き出しを元へ戻そうとした手が、ふと止まった。キャビネットの奥から、抽き出しの抜けた穴を通してかすかに風が流れてくるのだ。ランドセルから懐中電灯を取り出して、穴の奥を照らしてみる。そこにあるべきはずの壁はなく、暗闇が口を開いていた。

少年はキャビネットの横腹に肩口を押し当てて、思いっきり体重を掛けてみた。キャビネットは案外抵抗なく横に滑り、そのあとに一メートル四方の入り口が現れた。

”地下室があったんだ”

入り口から地下へ、急な階段が続いていた。少年は足元を照らしながら慎重に降りていく。降り立った床面は、セメントで固めてあるようだった。地下室にしては天井が高くとってある。空気は冷たいが、一階ほどカビ臭くない。少年は大きく息を吸って、腹に、くっと力を込めた。心臓は、いまにも肌を破って胸から飛んで出そうに脈を打っていた。動機が鎮まるまで、何度か深呼吸を繰り返す。あまり効果はなかった。少年は覚悟を決めていた。

”学者は、失踪したんじゃない。この地下室で死んだんだ”

懐中電灯の光がまず最初に照らし出すもののことを、少年は何度も脳裏にイメージした。その凄惨さに慣れておくべきだった。

それから、ゆっくりと部屋の中を照らし探る。
巨大な一枚板で出来た机が、部屋の中央にあった。

その上に、ビーカーやフラスコ、見慣れぬ工具類が雑然と並んでいる。机の中央に灯油ランプとマッチの大箱があった。

”何十年も前のマッチが、使えるのだろうか”

少年は、マッチを擦ってみる。最初の一、二本は脆く崩れて煙も出なかったが、三本目にじりっと火がついた。灯油ランプの芯を少し引っ張り出すと、ある部分から先は濡れていて、つんと鼻をつく匂いがした。

ランプに火がつく。火屋(ほや)をかぶせると、部屋の四周が仄暗く浮かべあがった。白骨死体は、無かった。

少年が目にしたのは、それよりも数等異様なものだった。
部屋の片隅に、一体の人体模型が立っていた。

それは、少年が理科室の裏倉庫で見るものとはあまりにかけ離れていたが、他に呼びようのない物体だった。骨格標本が全体の軸になっている。

頭蓋骨の上に、腰まである長髪のかつらが被せられていた。そのかつらの前髪は、髑髏の額なかばでおかっぱに切り揃えられており、しかも髪全体は抜けるような銀白色であった。両目には宝貝の殻が、底を表にしてはめ込まれている。ギザギザした貝の口は、開口部に沿ってうがたれた穴を通るワイヤーによって何重にも縫い合わされている。

耳孔に、二つのフラスコが差し込まれていた。
鼻孔には干からびた梔子(くちなし)の実が詰められ、口腔(こうくう)の中は枯れた薔薇の花で満たされていた。骨格標本の全体を、細いチューブが複雑に這い回っている。肩の部分に歯車状のリールがあり、そこから四本ずつの腕が出ていた。都合八本の腕はそれぞれ、天・地・前・後・東・西・南・北を指している。

肋骨の内側には湾曲した鏡がはめ込んであった。その下部に硫酸の壜が括りつけてあるのは、これはたぶん”胃”なのだろう。

腰骨の中央に、獣の足が一本、針金で固定されている。蹄(ひづめ)のある、何か大きな獣の足首だ。

脚部の骨は、分厚い獣皮でグルグル巻きにされていて、異様に太くなっていた。膝蓋骨(しつがいこつ)に面がふたつ。凶悪な印象を与える呪具のような面が左右の骨にかぶせてある。少年は、息を呑んでこのオブジェを見つめ続けた。

動機がおさまるのを待って、大机の傍らにあった椅子に座り込む。灯油ランプに照らされた机の上に、一片のメモがあるのを少年はみつけた。

『ほぼ出来た。老生は彼(か)のピグマリオンと成って、我がガラテアを造った。ガラテアは動かぬ。が、動くものならば虫でも動く。石が動かず、虫の動くことは自然にして驚天のカラクリではあるが、もはや私は驚きに飽きた。今は、動かぬ石の語るを聞きたい。ガラテアが縫われた目の裏側に見るものを知りたい。彼女はこの現世に死物として氷結されておるが、次元の一つも踏み外せば、石は唄い、ましてやこの美妃は』

メモはそこで途切れていた。

少年は、もう一度その人体模型をながめた。
そして近づいていった。
人体模型の胸元に耳を押し当ててみる。

遠くかすかに、
ふつり
ふつり
泡のような呟きが響いてきた。


●邪眼

ここから先は本書を読んでからのお楽しみ。

人体模型の夜 (集英社文庫)/中島 らも

¥514
Amazon.co.jp


ペタしてね